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うつ病になった私へ 2


さて、自分の記憶のある範囲でなんで病院へ行ってみようと思ったのか記録しておこうかなと思う。

もし初めて私のnote読んでくれている方がいれば、はじめまして。
過去記事ありきで書いていることが多いので気になってくださったり
内容の意味がわからなくなったらぜひ過去の記事も読んでやってください。


まず、毎日が楽しくなくなった。
以前書いたように1日1本観るほど好きだった映画を観てもなんのときめきもなくなった。
というより、集中力が続かず観続けるということができなくなった。

お昼休憩がせめてもの救い!と楽しみにしていたはずなのに、
食事が美味しいと感じられず、苦痛の時間となった。


この時は疲れてるのかなあなんて思っていた。

次に、突然脈略も無しに涙が出てくるようになった。
仕事いやだなあとか漠然とマイナスな事が浮かんでいる日々だとはいえ、
そんなことみんな思うだろうし、私の場合会話しているときに突然ボロボロと涙が出たり、笑いながら泣いていたり、きっかけもなく泣いていた。

ラップをかけるのに失敗して途中で破れただとか入れようと思ってたより料理に少し醤油が多く入ってしまったとか、そういうなんとも無い事がきっかけになることもあった。


この時も、まだ疲れてるとそういうことあるよなあと思っていた。
うつになっておいて何だが、結構前向きな呑気な人間なのかも。


あとは、通勤中に電車でパニックになることが多かった。
立っていると心臓がドキドキして苦しくなって、唾を飲み込んだりもできなくて、息ができない!眩暈がする!と途中下車するようになった。

目の前がチカチカして、倒れたらどうしようとか遅刻したらどうしようとか不安ばかりが募って電車に乗るのが怖くなった。

ここで、ようやく疲れてるのかなあに、ちょっと疲れからメンタル来てるのかなあが思考に追加されるようになった。


それでも、何か身体的な病気だったらどうしようとか思っていた。


そんな毎日を過ごしながら、平日は毎日早く寝て、土日はほとんど一日中ベッドで過ごし、友達付き合いもせずしっかりと身体を休めることに努めたが、一向に私の症状は良くならなかった。


上記の症状が出始めてどのくらい続いたかは覚えてないが、
ある時仕事帰りに疲れたしか頭に浮かばなくなって、プツッと何かが切れた。

疲れすぎた。仕事を休みたい。でも有給まだないし、お給料減っちゃう。
会社に連絡するの気まずい。体調悪いなって思ってたけどこの間健康診断受けたしな。
じゃあ体調不良じゃないしズル休みだよな。仕事辞めたいな。
でも今辞めたらまた短期離職か。そんなの情けないよな。

じゃあもう、飛び込んじゃおう。

駅のホームで、そう思った。よし行くぞと思った時、ふと夫の顔が浮かんだ。
結婚したばかりで、私が飛び込んだりしたらなんか手続きとか申し訳ないかな。
結局迷惑かけるのか、そう思って突然我に帰った。

愛する夫!とか悲しませるかも!とかそんな話じゃなくて申し訳ないし、余裕だったじゃんと思われるかもしれないが、あの時本当に私は飛び込もうとしてたし、これが頭に浮かんだのだ。

現実はドラチックでは無いもの。
そもそも自分なんて生きている価値がないとか追い込まれる状況にいたので、別に私がいなくなったところで悲しむ人がいるかもなんて1ミリも思わなかった。
なんならせいせいするに違いないなんて思うほどだった。

それで、そうだおかしい。仕事が嫌なら辞めればいいのに、解決できることで多大な迷惑をかけるようなことをしようという思考がおかしい。
私は、何かおかしいに違いない。こんなことで人生を終わらそうと思い至る思考が、普通じゃない。

泣きながら帰った。


その後の時系列が曖昧なのだが、たしか病院に2軒行った。
電車でのエピソードをもとにパニック障害を疑った病院と、うつ病の傾向がありますねと薬を出してきた病院。
まさかそんな、誤診に違いないとまた泣いた(自分でおかしいと思って心療内科に行ったくせにね)。
今思うと問題ないですよと言われたかったのかな。

明らかに様子のおかしくなった私を夫が問い詰め、
実は病院に行ってうつ病かもしれないと言われた。仕事も休みがちになってきていて。
と涙が出たり電車で辛い話をしたように思う。

甘えるなと呆れられると思った。夫はしっかりしていて、タフなところがあるし、
短期離職をしてばかりになる私のことは見限ると思った。

でも、違うと思う。疲れてるだけでたまたまそういう診断になったけれど、
うつ病じゃないと思う。必死にアピールしたのは記憶にある。


その時どんな言葉を掛けられたかは覚えてない。
その後仕事に行っていたかも覚えていない。

数日後にもう一度来て下さいねとパニックに効果のある薬を処方してくれて様子見を、と言ったパニック障害の疑いを持った病院へ再度受診した。

そして、前回行ったうつの傾向を調べるテスト?のようなものの
結果を出され、何とあと1点で満点だった。

点数が高い方が良いのか悪いのかと思っている私に、
このような数字は滅多に出ることがありませんし、
話を聞くに重度のうつ傾向にあります。診断書を出すので仕事はすぐに休んでください。
と担当医師が言った。


そうかあそんなに悪いのかあ。どうしよう。

出されたテストの紙と、診断書を握りしめて項垂れながら帰った。
これが、私のうつだと発覚するまでの流れだ。


時系列がおかしかったり、もしかしたら事実と若干の違いがあるかもしれないが、
覚えている範囲と、夫から聞いた私についての話をまとめてみた。

うつ病になるとあるあるらしいのだが、記憶がない人、多いらしい。

また、仕事に行かなくなってからのことも書こうと思うけど
正直あんまり覚えてることはない。

重度のうつ病となってしまったあの頃の私。

今読み返せばもっと早く気付けよ〜と自分にツッコミを入れたくなるけど、
当事者になると本当にわかんないもの。

私みたいな人いたら病院に相談に行ってみてもらえばいいなあと思う。
軽度だったら、もっと色々やりようがあるかもしれないしね。
社会復帰も早いかもしれないよ。わかんないけど。


今日はこれでおしまい。
明日も頑張って生きるぞ。

タイトルが、うつ病だった私へになるまで、頑張ろう。

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