見出し画像

なんで映画と本が好きか考えてみた


「よくそんなに映画を観られるね」
「本全然読めないんだけど、すごいね」

これは私が死ぬほど言われてきたセリフ。

私からすると「よく映画や本がなくて大丈夫だね」なんだけれども。

各々に趣味があるし、そもそも映画好き/読書好き界隈でも好きなジャンルは多岐に渡る。

アクションが好きな人もいれば、恋愛映画が好きな人。
ホラーは怖くて観られない!なんて人もいれば怖ければ怖いほどグロければグロいほどいい!なんて人もいる。
エッセイ本が好きな人も、自己啓発本が好きな人も、ミステリー小説が好きな人もいる。

そんな中、自分がなんで映画や本が好きなのかちょっと考えてみた。
割と無趣味だしこれといって好きなものがない私が、なんでずっとこのふたつは好きなんだろう。

まず、私は映画も本もジャンルとしては恋愛もの以外は大体好き。
本に関してはあんまり自己啓発本とかエッセイも読まない。

これから書くけれど、そもそも私が映画や本の世界に没頭するのは現実とは違う世界を求めているからで、ドロドロの恋愛だとかキュンと恋するだとかは現実世界で自分や友人の話で間に合っているし今後経験する可能性があるものなので、そう、端的にいうと間に合っている。アクション映画の世界とかスパイ映画の世界は、一生経験しない自信があるからね。

自己啓発本も似たような理由で、現実を生きるための道標としての内容が多いので没頭できない。

エッセイに関してはちょっと違っていて、好きではある。
ただ、個人的に「その人の生活」「人となり」を見せてもらえるものだと思っているから紙媒体よりネットで読みたい。
この現代社会だとなんとなくネットの方がリアルタイムというか、今のその人を読める気がして。

この記事でも書いたけれど(というより今回の記事がこれの詳細版かも)

そもそも本が好きなのには親の影響が大きい。
テレビだとかゲームだとか禁止で、門限も消灯時間も厳しく決まっていた我が家。

本は勉強より大事だという教えから
買ってもらえるおもちゃが圧倒的に少なかった中珍しく買ってもらえるアイテムだったので、幼少期から(幸運にも)本は好きだったけれど正直本を読むくらいしか娯楽がなかった。

ゲーム機もスマホもない中、
眠くないのに消灯時間だからとベッドに入ったあとでも豆電球があれば本は読めた。

一緒に遊べるゲームもなければひとりだけ早く帰らなくてはならないのであんまり友達もいなかったし、元々浮いていたので些細ないざこざをきっかけにいじめられてもいたので私には逃げる場所が必要だった。

それが、本の世界。
つまり現実離れしていればしているほど良かった。

学園ものなんか読んだら自分とのギャップで不登校になってしまうわ。

魔法使いとかドラキュラとか名探偵とかドラゴンとかが出てくる世界であることが重要だったのだ。

多分、その延長で映画も好きになった。
前述した通り親が厳しかったので映画館にはあまり連れて行ってもらえなかったし、子どもだけで映画館に行くなんてもってのほかだったので幼少期はあまり映画は観たことはなかった。

流石に幼少期はあんまり洋画だとかそういうのは存在もよくわかってなかったからたまにTSUTAYAに行くことはあってもアンパンマンとかをレンタルしていた。

高校生になってアルバイトをし始めたものの、
相変わらず親は厳しく仲良しグループで行われるお泊まり会にも参加できず、未だに門限もあるしで健全に18時頃までファミレスでだべったあとは家で本を読んで過ごした。

口喧嘩をするという点だけでは激しい反抗期を迎えたものの、
親は厳しくて怖いものだと思ってたのでなんだかんだちょっと門限を破ったり学校をサボったりはしたけど、不良になるとか夜遊びするとか補導されるとかそういうことはなかった。
学校をサボっても別にどこにも行かず部屋でYouTubeを観たり、アルバイト先の昼のパートさんの欠員を埋めたりしていただけだったし。
そもそも学校をサボったのは親への当てつけと集団生活ってやっぱり馴染めないな、ひとりでいたい。自分のペースで生活したいと自覚し始めたのが同時だったので、別に親が厳しくなくても学校には行かなかったかも。

この頃からすでに社会に適応できていない。もっと手を打っておけば。
バイトは楽しかったし(当時は)覚えも良く、褒められることが多かったので学校に向いていないだけで働きに出たら大成功だと思ったんです。残念。

話を戻して。
そんな中、午前授業だとかそんなタイミングで友人と映画を観に行く機会がやってきた。
これなら門限も破らないしと大チャンス。

そこからだったと思う。
本以外にも、こんなに現実から遠く冒険できるものがあるなんてと感動した。

テレビを観る習慣がなかったので、そもそも大画面で映像を観られることに感動したし、読書好きが功を奏して字幕を追いかけることにも抵抗がなかったから俳優さんそのままの声を楽しむこともできたし(高校生だと吹替派の友人も多かった)最高だった。

3Dメガネなんかかけちゃった日にはウキウキで写真を撮った。

そして、「実写化」という言葉を知り自分が大好きで読んでいた本たちは映像になることもわかった。ここも高得点。別の角度から2回楽しめるなんて。

門限と、アルバイト代が許す限りしょっちゅう映画を観にいった。
学割を利用したり会員カードに6ポイント貯めて無料で観たりできるだけ多く鑑賞できるように工夫もした。

ちなみに当時はポイントカードは紙でスタンプを押してもらったし、チケットは必ず対人で発券だった。座席表眺めてどの席に座ろうかと窓口でキャッキャしたな。

今もちょっとスタンプ押して欲しい。

こうやって、自分の生活の中に本や映画があることが当たり前になっていった。
悪く言えば人生がうまくいかなければいかなくなるほど、触れる作品が増えてお気に入りが増えていった。

でも歳を重ねるごとに現実から離れる世界があることがもっと当たり前になっていったことで、うまくいっている時も趣味として成立していったし、大人になってからの辛いも当初と同じように逃げ場を持っていることで乗り越えてこれた。

うつになって逃げ場であったはずのこれらすらもできない時期があったけれど、調子が良くなってきて1番初めに行きたいと思った場所は映画館だったし、実際に出掛けた場所は映画館だった。

家にいる間、寝てる以外にも何かしようと思えた時
1本観るのに1週間以上かけてしまったけど、やっぱり映画鑑賞をしたくなった。

散歩がいいと聞き身体を動かそうとした時、行き先は本屋だった。
無職なのにと思いながらもお金を使うのを許せる場所だった。


映画と本。
私をいつも助けてくれてありがとう。
人生辛いことがないことなんてありえないはずだから、これからも一生趣味にするよ。
今のうつ病を乗り越えるためにもたくさんいろんな世界へ冒険しようと思う。

長々私の好きについて読んでくれた方ありがとうございました。

今日はこれでおしまい。
明日も頑張って生きるぞ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?