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人を怒らせる天才かもしれないと思った話〈中学校編〉


小学校編に続き、
中学でもそれなりに人に怒られ
謝り続ける人生は変わらない。

まず、一番怒られたのが部活の顧問。
運の悪いことに、部活の顧問は学年主任でもあり、ことごとく目をつけられた。
いつも学年棟の出入口に立っていて
警察のように取り締まっている。
何かと呼び止められ皆の前で叱責をくらった。
理由はスカートを折っていることとかそんな感じだったと思う。
どーでもよくね。って感じのことで
よくそんなに怒れるな、エネルギー使えるなって感心するほど。

そんなのは序の口で、
一番印象に残っているのは
校長室に呼び出されたこと。

当時、一番仲良かった子がいた。
しかしその子はかなり嫉妬深くて、
私が他の子と仲良くするのを極端に嫌った。
アスのことは好きだけど、
アスの友だちは嫌い、って言っちゃうくらい。
そんな束縛にも似たような彼女の
異常さに(もちろんいいところもたくさんあるのだけれど)、少しだけ離れたくなってしまったのは
本音。
彼女を省いた友だちと一緒に遊びに行ったのが
運の尽き。
ただの1回だけ。

なんで誘ってくれなかったの?

という彼女の疑問は

“私はいじめられている”

という被害妄想へと変化した。
そして、彼女の母親は地元で学校の先生を
していて、通っていた中学の校長と親しい仲に
あった。

最初は彼女の母親から自宅に電話が来て
何日も何日もどうしてそんなことをしたのか
きかれ、アスは悪くないよね?
アスの友だちが省こうとしたんだよね?
と詰められる。
ここでわかると思うが、
彼女の母親は過保護だ。
対して私の母は放任主義。
一切、この件に関わってこなかった。
毎日毎日、電話が来て、
みんなで遊ぶってなったのは
なんていうんだろ、、
その子を省こうって誰かが言ったわけじゃなくて
自然とそうなった...
ということをうまく説明できずに、
めんどくさくなった私は
“私がみんなを誘った”と言ったのだ。
嘘でもないし、本当でもない。

その親が騒ぐものだから、
その子のクラスの担任、生徒指導の先生、
部活の顧問まで先生たちみんな巻き込んで
最終的に校長室に呼ばれ

“謝れ”

と言われたのだ。

もう、うんざりだ。

と思った。

でも、ここで謝ったほうが穏便に済むことくらいは中学生の自分でも理解できる。

ごめんなさい、

と頭を下げた。

俗に言う機能不全家族ということもあり、
私には家に居場所がなかった。

唯一の逃げ場だった学校にも、
行きたくない日が続いた。
こんなことがあったから
パニック障害やら過呼吸やらを発症し
中学校の記憶はほとんど抜け落ちている。
人間、嫌なことがありすぎると
記憶を失うみたいだ。

担任や生徒指導には
“謝らせてごめん”と言われた。
校長に関しては、
謎にケーキを奢ってもらった。
これでちゃらのつもりなのだろうか。

先生たちがこんなにいて、
たった1人のモンスターペアレントには
敵わないんだって思った。
何が大人だよ、
笑わせんなって思った。
何のために教師になったの?
私があそこで謝ることで
何が解決したの?

大人を信じれなくなった。

それでも、今では絶交したその子のことを
私は嫌いになれない。
私はその子のいいところをたくさん知っている。
家に居場所がない中、私にとって友だちという
存在は大きかった。
その子は、私のことなんか嫌いで
顔も見たくないと思うけれど。

だけど、その子の親は嫌い。大嫌い。
その子がああいう性格になったのも
あの親のせいだと断言できる。

むずかしい。
どうしてこんなに複雑になってしまったのだろう。
ただの子どもの諍いに、
親が、大人が割って入ってきたからでは
ないか?
私はそう思う。

あの頃、大人によって守られたのは
私じゃなくて、あの子だった。

守ってもらえたんだから、
彼女にはそれなりに幸せになってほしい。
私のトラウマの分まで
明るいところで生きていてほしい。
そしてどうか、
あなたの親と同じ過ちを犯さないことを願う。
私と同じような思いをする人を
生み出さないでほしい。

ちょうど10年前の出来事。
彼女は、元気だろうか。

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