見出し画像

言語化力   とは関係ない話

初めましての人も、そうでない人もここに来てくれてありがとう。

GWあったかいね本当に。


言語化力
三浦 崇宏 (著)

を2月に読みました。その感想を書こうと思う。今回は、本当にグダグダで思考の垂れ流しでしかないけど、しばしお付き合いください。

実はこの本は、読んだ時に結構、心を動かされたの。心に響くものがあったからこそ、ちゃんとnoteを書かなきゃと思い続けて2ヶ月が経ってしまった。「後ろ髪引かれまくり期間」をどうにか完結させたくて、ようやくこの記事を書き始めている。

が・・・。内容を全く忘れてしまっている。書けない(笑)だから慌てて読み返した。

…おかしい。読み返したら、どこに感動したのかちっとも分からない。さっぱり思い出すことができない。まずいな。何を書けばいいんだ?←イマココ 


・・・


何を書こうか15分悩んでいるうちに、なんだか可笑しくなってしまった。だって2ヶ月前の自分とはもう感じ方が全く変わっているということだよ。 「言語化力」はきっととてもよい本で、過去の私に気付きや感動を与えてくれたにも関わらず、今2020年5月のGWを過ごす私はそれらを受け取れなくなってるなんて。


あぁ、自己同一性の儚さよ。

時々こうやって「私は、自己同一性をもった自己なのか否か?」と考える。嘆いている訳では無い。人間って矛盾と混沌に満ちていて本当におもしろいなと思うのだ。


ここで、もう一つこれに関連して気になることがある。

2ヶ月前のその「感動」の行先。


あの感動はどこへ行った?あのエネルギーはどこへ消えた?私のチーズは何処へ?脳のどこかに仕舞われているとも考えてみるが、読み返したら記憶の引き出しから出てこないのはおかしいよな。ないもん。引き出されてこない。読み返せど読み返せど自分の中から引き出されないとしたら、それはもうすでに。自分の中にない。

つまりは感動が消化されたってことか。

毎日髪が抜けて垢が落ち、汗をかいてうん●でもしているうちに、その感動も排泄されてしまったんじゃないだろうか。
感情が体内を移動して体外へ出て行くことを想像するとなんだかおかしいのだけど、でもそういうことは起こっているのではないかと思う。感情はエネルギーだ。身体を循環しながら最後はどこへいくのだろう。

感情はエネルギーとしてその量を保って滞留させておくことがとても難しい。となると感情の瞬間最高風速時(つまり、これやりたい!心揺さぶられたって時)に行動うつさないと、そのエネルギーは次第に形を変えてしまい、うんこになってしまうという訳か。そうなのか。

その中で持ち続けられるエネルギー出会ったり繰り返し生成されるエネルギーがあるとする。きっとそれは大切な価値観に触れているのだろうし、それらが人生の軸になんだと思う。


あぁ。「言語化力」に全く触れていない。本に申し訳無い。だけど発散する思考は楽しかった。

結論、本は読んだらすぐ感想を書きなさいってこと。


最後まで読んでくれてありがとう。



20200504











この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?