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【凡人が自伝を書いたら 39.尾張の国(上)】
3月の初め。愛知県は名古屋市。
「僕ら3人」は、とあるファミレスに集合していた。
僕らは、本部直轄の「新規店オープン」を担当する部署である。4月から始まる新店開店ラッシュに合わせて、新たに創設されたチームだった。
僕らは「オープンチーム」と名付けられた。全3チームで、それぞれエリア毎の新規店を担当する。
僕らはその中で、1発目のチームだった。
これが何を意味するか。
そう。ほとんど全て「手探り」である。
営業部の社員との役割分担、僕らが何をどこまで、どんなふうにやるのか、ほぼ「白紙状態」だった。
ほう。それは面白い。
白い紙とペンを渡されて、「さあ、ここに絵を描け。」と言われる感覚。実際に絵を描くとなると、すぐにペンをへし折り、紙を食べてしまうだろうが、「仕事」では、そういうわけにはいかない。
僕らが、この「オープンチーム全体の基礎」を作ることを考えると、不安0.5割、ワクワク9.5割だった。(ほぼノリノリやないか)
「くせ者揃い」
僕以外の2名は、苗字が一緒だったので、遥かに年上であったが、下の名前で呼ぶことになった。
「弘信(ひろのぶ)」さんと「公康(きみやす)」さんだ。
リーダーは弘信さんだ。
彼は、元々「エリアマネジャー」であり、最近まで、「本社の人事部」にいた。僕も本社勤務の時は、とても可愛がってもらっていた。年は40代中盤、標準的な体型で、見た目はいわゆる「優しいおじさん」と言った具合である。
性格の方はなかなかの「くせ者」で、いつも、しょうもない冗談ばかり言ってはいるが、IQ高めの切れ者で、一度火が付けば、誰も口では対抗できない。本社でも、その「切れ者」具合には定評があった。
公康さんの方は、痩せ型で色黒。40代前半だが、髪の毛は、茶髪の短髪。見た目は40代とはとても思えないほど、若く見えた。性格も何だか若い感じで、話していても、ほとんど年齢差を感じなかった。
経歴もなかなかの「くせ者」で、元々「エリアマネジャー」だったが、当時、「何でも領収書で切ってしまう」という癖があり、その他諸々の問題をまとめて裁かれ、「エリアマネジャー」から「一般ヒラ社員」まで、細かい役職で数えると「7段階降格」という、「伝説のバンジージャンプ」をした男でもある。
ただ、能力は非常に高く、そこから再びはいあがり、店長にまで再浮上していた。当時、店長試験に受かったばかりの僕とは、ランク的には一緒だった。
ふむふむ。
高校2年生以来のこれですか。
この感じ。大好物である。
普通に行くと、めちゃくちゃになるところだが、そこをそうはいかせないのが、僕である。(根拠なき自信)
おもろ。
なんだか、始まる前から、燃えてきたのである。(お前もくせ者だ)
「僕らの使命」
「これ、うまいっすね!」
「いやー、これでこの値段。安いよなー。」
「てかお前、さっきからずっとコーラ飲んでるけど、コーラ好きなのか?」
「ええ。俺、仕事の時はコーヒーばっかですけど、家では基本コーラですからね。コーラ飲むと骨溶けるって、あれ嘘ですよ?俺、子供の時からずっと飲んでますけど、3回車に轢かれても、骨折れませんでしたからね?ははっ笑」
これだった。(ミーティングをせい。)
僕らは普通に食事を楽しんだ後、ミーティングを始めた。
すでに1時間以上経過していた。(おい)
弘信リーダーが口を開く。
「とりあえず、俺らの使命は、店を開店させる事だ。」
「はい。」
「誰が店長でも、同じ状態、同じ水準の店を開けることだ。」
「はい。」
「何より、スタッフを辞めさせないことだ。」
「はい。」
「あと、俺と店長が接客を指導する。君たちふたりは、調理を担当してくれ。」
「はい。」
「それでいいか?」
「はい。」
「。。。」
「え?」
「切れ者」のつらいところか、考えが洗練され過ぎて、言葉が足りなさすぎる。逆にちょっとよくわからない。思考が数手先に行ってしまっている。
弘信さんから完全に「終わった感」が出ていたので、僕と公康さんはそれ以上は聞かなかった。まあ何となくの雰囲気は同意だったので、良しとした。
「細かいことは任せる」、そういうことなのだろう。(それでいいのか)
弘信さんはこれから、店長とともに面接期間に入るため、僕と公康さんの二人は、先に、近くにある研修店舗(普通に営業している店)に行って準備して欲しいとのことだった。
「じゃあ、そういうことで、よろしく!」
そう言って、弘信さんは、さっさと食事代を払い、さっさと行ってしまった。
「弘信さん、相変わらずだなあ。」
元々、弘信さんの部下だった公康さんは、見送りながらそう言っていた。
「ま、弘信さんは、昔からあんな感じだから、とりあえず明日、店舗に行って、細かいことはその時考えようか。」
「はい。」
完全に「とりあえず」、明日、店舗に2人で集合することになった。
「3本柱」
僕らの研修店舗はお隣、三重県にあった。僕らの新店はほぼ、三重県との境にあったため、名古屋の店舗より、三重の店舗の方が近かったからだ。
僕と、公康さんは店の前で集合し、店舗に入った。働いているスタッフさんに挨拶し、事務所に入った。すると、店長室に知った顔がいた。
新入社員時代、1回目に香川に行った時にお世話になった、「黒岩店長」である。僕は黒岩店長が三重に来ているなんて全く知らなかったため、まさかの再会だった。
久しぶりに会った黒岩店長は少し疲れたような印象だった。
無理もない。この店舗は県内随一の売り上げを誇るにもかかわらず、慢性的な人員不足に悩んでいる店だった。黒岩店長はそんな店の「立て直し役」に任命されていたのであった。
ただ、やはり限界もある。ぱっと見で分かることの一つには、「店が汚かった」ことだ。とてもあの真面目で、綺麗好きな、黒岩店長がいる店とは思えない状態だった。
「うん。とりあえず掃除しましょうか。」
「そうだな。」
「すまんなあ。助かるわ。」
これだった。
僕らは、これから迎えるオープンスタッフたちのため、以前の上司を助ける意味でも、掃除に励んだ。それも普通に励むレベルではなく、ホームセンターに洗剤やら、ブラシやらの掃除道具を買い込みに行って、「プロの清掃員」なみに掃除した。
掃除する中で、公康さんとも、店のスタッフともたくさん会話ができ、打ち解けることもできたので、それはそれで楽しいものだった。
ただ、弱点があった。
忙しすぎる。人が足りなすぎる。
これだった。
ある時、人が少ない、かつ、地域の大規模な祭りがあるということで、普通に営業に駆り出されることがあった。
これは仕方ないな。と思いながらも、これから研修でお邪魔するスタッフさんたちにも、店長にも恩を売っておくのもいいな、ということで、快く営業を手伝った。
僕は調理に入り、黒岩店長と、公康さんには接客の方を担当することになった。僕と公康さんはどっちが調理に入っても良かったが、これから2人で調理をやっていく上で、僕の実力を見ておきたい、ということで、僕が調理に入ることが決まった。
黒岩店長は少し心配していた。
調理の方が人員が少なかったのと、僕が暇な店(香川の店舗)で働く姿しか見たことがなかったため、この店の忙しさについて来れるか心配だったのだ。
ご心配は無用。見たいとおっしゃるなら、どうぞご覧ください。
これだった。(揺るぎない自信)
営業後、黒岩店長から大変褒められた。
「お前、こんな強かったんやな。しかも、慣れない店舗であんな出来るやんて、さすがはオープンチームやな。」
ふむふむ。そうでしょう。そうでしょう。(鼻、ちょい伸び)
公康さんからも褒められた、というより、認められた。
「弘信さんが、呼んだって聞いてたから、どんなやつかと思ってたけど、大したもんだ。お前明らかに若手最強だよ。俺も久しぶりに見たわ。」
これだった。
ふむふむ。そうでしょう。そうでしょう。そうでしょう!!(激伸び)
ん?てか、俺のことチームに呼んだの弘信さんだったんだ。。
プチ真実だった。
あの人ハンパない。の噂がスタッフに流れると共に、公康さんとも、さらに打ち解けることができた。
公康さんは、正直なところ、はじめは、「アルバイト上がり」とはいっても、2年目の社員だから、「結局は、俺と弘信さんの二人が主体になってやるんだろうな」と思っていたそうだ。
ただ、僕の能力を見て、改めて「相棒」として、認めてくれたようだった。(あざす!)
そこからは、変に年齢や、社歴を気にせず、対等な立場として、会話できるようになった。
「3本柱、このチーム、強いぞ。」
公康さんも、なんだか心に火がついたようだった。
のちの「最強チーム」が、産声を上げた日である。
つづく
お金はエネルギーである。(うさんくさい)