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凡人が自伝を書いたら

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凡人が自伝を書いてみます。 興味あったら、ご覧ください。
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【凡人が自伝を書いたら 63.春にように暖かく(上)】

でたー。 この感じ。 まだ9月なのに、なんだかもう寒い感じ。 エアコンの設定温度を見る。 …

【凡人が自伝を書いたら 62.焼け野原からの復興(下)】

焼け野原に取り残された「か弱い子供達」が、成長し、輝きに満ちてくる。閑散とした「焼け野原…

【凡人が自伝を書いたら 61.焼け野原の復興(中)】

大人しい。 ひじょーに、大人しい。 もう少し、しゃべってもいいんじゃないですか? 僕は正…

【凡人が自伝を書いたら 60.焼け野原の復興(上)】

ここは、福岡県と大分県のほぼ県境。 昔の呼び名で言えば、「豊前(ぶぜん)の国」と言ったと…

【凡人が自伝を書いたら 59.肥前の国(後編)】

それまで、営業支援なんかも含めて、たくさんの店を見てきたが、都会に比べ、地方の店舗という…

【凡人が自伝を書いたら 57.父の闘病編】

今回は少し外伝的な感じでいこう。 時間の流れは少し前後するが、まあ、よかろう。 「父の限…

【凡人が自伝を書いたら 56.総の国(後編)】

冬も終わりを迎え、春の訪れも近くなった2月。 この月は僕にとって、「その先を大きくを変える決断」をした時でした。 僕にとってこれが、初めての経験でした。それまでは、なんとなく「時」や「ものの流れ」に乗っかって生きて来た「半端者」だったからです。 僕の父親が「うつ」になったのです。 今思えば、「虫の知らせ」のようなものが、実はあったように思います。 「虫の知らせ」実は僕が千葉県に来てからの約3ヶ月間の間に、実に3名もの人間が「うつ」と診断されていました。 全て、東京

【凡人が自伝を書いたら 53.江戸(中)】

雪が深々と降っています。 老人夫婦が亀のようなペースで歩いています。 傘をさすお爺さんは…

【凡人が自伝を書いたら 52.江戸(上)】

羽田空港に降り立った僕は、そのままその足で「川崎港」へと向かった。 事前にフェリーで運ん…

【凡人が自伝を書いたら 51.琉球発江戸行き】

東京へと向かう飛行機、確か1時間40分くらいのフライトの中、これまでのことを振り返っていた…

【凡人が自伝を書いたら 50.店長デビュー戦(下)】

オープンから3ヶ月が経ち、沖縄にも、冬の訪れが迫っていた。 店の方も、オープン当初に比べ…

【凡人が自伝を書いたら 49.店長デビュー戦(上)】

僕はかつて無いほど、気合が入っていた。 よし、やってやろうじゃないか。 初店長で担当する…

【凡人が自伝を書いたら 46.肥後の国(下)】

店舗が開店して、初めて迎えるお正月。 お正月の3が日は国民の休日。つまり、飲食店にとって…

【凡人が自伝を書いたら 44.肥後の国(上)】

やってまいりました。 ここは阿蘇のふもと町、肥後の国。 そう、熊本県(初めからそう言え)。 ん? なんか道がデコボコである。 ん? もはや道が割れている。 ん? 壊れた建物がいっぱいある。 あ、そうだ。地震があったんだ。 同年4月。ここは、未曾有の地震災害に見舞われた。 発生時の震度は「7」!! その後も、「震度6」の余震が継続的に続いた。 「震度6の余震」って、もはや「余震」ではない。 僕は「6」までは経験があった。それでも「地球が爆発」するんで