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体育家・野口晴哉の生命観に対し,半世紀をへて貼られた「陰謀論」のレッテル

  1. 体癖論整体操法の開祖である体育家・野口|晴哉《はるちか》(1911–1976)の生命観と,

  2. その教えに半世紀も経った今になって「陰謀論」のレッテルが貼られて,科学論者からの攻撃をうけている理由,

について述べる.
見出し画像:公益社団法人 整体協会「野口晴哉について」.


1. 野口晴哉

1.1 体癖

野口晴哉について知っている読者は,おそらく体癖が入口だったのではないだろうか?
野口は,体癖論のほかにも活元運動愉気法を体系化し,整体という言葉を世に広めた人物でもある.
それらの基礎となる体癖論については,下記で解説する.

体癖は,Detroit 実況でバズった精神科医:名越康文が精神分析に用いていることから,半世紀以上の歳月を経て,再び耳目を集めている.
名越は,野口晴哉の次男:野口裕之(ダン先生)に学んだ体癖論をベースに,独自の名越式性格分類をまとめているが,本来の体癖論とは異なる.

名越は,「胃袋で考えるってどういうこと?」「合理性と肺の機能がなんで関係あるの?」の「なぜ?」という,野口と同じ閉型九種体癖の感受性によって体癖論に傾注したようだ.

上の動画では,野口晴哉の天才性についても語られている.
野口は死ぬ間際,私が死んだ後もこの8人の面倒をみて回ってくれと,一人暮らしで寝たきりのご老体の名前を書いて渡した.
すると,その後1ヶ月のうちに,遺されたメモの順番通りにその8人が亡くなったという.
これは,科学的見地からは偶然としか言いようがない.
しかし,体癖論における体の波(体周期律)について知っていれば,それが奇跡などではなく,莫大な体の観察記録に裏付けられた正確な寿命予測だったことを認められるはずだ.

野口は九種体癖を自称しているが,妻は野口を閉捻れと表現している.
もしこの捻れが体癖現象なら,整体体操によって消せたはずだ.
したがって,野口の体癖は,主体の閉型をわずかな潜在体癖素質の捻れ型が応援する,閉型七種か閉型八種ということになろう.
また,体の波と体の形とを分けて考えれば,体の波である九種・八種の体癖素質が主体となり,体の形は閉型であるという,閉型九種・八種の3要素で表現できる.

九種体癖の野口にとっては,表現より感覚が重要なので,複合体癖の表記がごっちゃになったり,左右が逆になったりするのだろう.

野口家や名越,私も含めて,体癖論の研究者には九種が多いように思う.
もっとも,九種の野口による九種体癖の説明は,九種が好む一種と並んで魅力的に感じられるので,自称九種には信ぴょう性が薄い.
しかし,どこにでもいそうで誰にも当てはまらない平均的なイマジナリー人間を仮定して机上論を展開する西洋医学の対極に位置する,個別具体的な個人の特性を追求してゆく体癖論という複雑怪奇な体系を大真面目に深めているような人に,いちど集注したらそれがずっと続く九種が多いとしても納得できる.

九種の尋常でない集注については,次の動画もわかりやすい.

1.2 全生

野口の考え方については,孫:野口コーキへの下記インタビューに詳しい.
単にドキュメンタリーとしても面白いので,体癖論を抜きにしても一読の価値があると思う.

野口の生命観の根本は,17 歳のときに著した『|全生訓《ぜんせいくん》』ですでに確立されていた.
全生とは,「人はみな生きて死ぬ」,ただそれだけ1日生きるとは1日死ぬことと同義だから,我々はその生をただ溌剌と全うすればいいということだ.
意味がわからないと思うが,我々が生命を維持できるのは,体を構成する無数の細胞の破壊と再生とが釣り合い,死ぬ細胞の数 = 生まれる細胞の数,となっているから.
子供は,細胞の破壊を再生が上回り,死ぬ細胞の数 < 生まれる細胞の数,となっているから,すくすく成長する.
老人は,細胞の破壊が再生を上回り,死ぬ細胞の数 > 生まれる細胞の数,となっているから,ゆっくり死にゆく.
死亡数が出生数の2倍となり,人口爆縮へと突き進む,超高齢化社会の日本も似たようなものだ.

戦後まもなく,自分で自分の体を治そうとする無意識の錐体外路系運動:活元運動を発見した野口は,治療を捨て,以降の活動を「自然な生」を目指す体育と改めた.

しかし今では,野口整体は単なる健康法や代替医療の一つとして認知されるようになってしまった.
したがって,最も重要な生命観の部分については,ほとんど知られていないのが現状である.
読者諸賢にはぜひ,この全生の考え方を理解した上で,体癖や整体について学んでほしい.

2. 「陰謀論」のレッテル

2.1 経過

野口は,病とは治療すべきものではなく,生き延びようとする生命の働きによって経過するものだと考えていた.
そうした生命の働きを活性化していくことができれば,人は何かに頼らずとも一人で生きていくことができる.
それこそが,本当の意味での健康:全生ということだ.

野口家は,生涯で一度も医者にかからず,薬も飲まず,もちろんワクチンも打たないという.

結局、僕は医者よりも自分の生命の働きを信用してるんです。45年間、命に関してよそに外注していない。四世代にわたってこうやって生きてきてこれてるわけですから、それだけ自信も持っています。

「病とは治療するものにあらず」──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践・後編

さらに,インタビューのなかで,もっとも破壊力のある箇所は下記だろう.

この前、整体指導を生業にしている僕の従兄弟がワクチンを接種した人の身体を観たらしいんですよ。そうしたら、やっぱり身体が壊れてる。

「病とは治療するものにあらず」──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践・後編

当時の Twitter や YouTube に投稿すれば,間違いなく検閲にひっかかり,削除要請やシャドー BAN,アカウントの凍結をくらっていたであろう,センシティブな内容だ.
しかし野口の意を継ぐ者にとっては,ワクチンどころか,医者も薬も,マスクすら体にとって余分なものなのである.

私が整体を知ったのは,コロナをきっかけに洗脳が解けた 2020 年だ.
それまでは当たり前のように,花粉症や風邪のたびに病院にかかり,インフルエンザワクチンも打っていた.
しかし今では,潔癖症から一転して手洗いうがいも手指消毒も不要になり,毎日,自分の体を自分で整体するだけで,健康に生きている.
医者や科学者ではなく,自分の体にある生命の働きを全面的に信頼できるようになり,コロナ禍で逆に病気の恐怖から解放されたのは,本当に幸せなことだった.
ただしそれは,認知的不協和を乗り越えて疑問を抱き,自分の頭で調べ考えつづけた結果だから,やはり幸運ではなく自分の選択だ.

野口の子孫にしても,生まれた時から全生に基づいて育ったとはいえ,物心ついてからも医療に頼らず生きてゆくというのは,やはり自分の選択であるはずだ.

2.2 医療

一方で,医療の最終目標は不老不死であり,死を遠ざける,または死なない生のあり方を目指す.
これは,野口の生命至上主義的な生命観とは真逆の出発点といえる.

このような西洋医学の思想は,社会設計の根底に浸透している.
むしろ,資本主義に基づく現代社会は,軍産複合体・医産複合体によって形成されてきたといっても過言でない.
病院や製薬会社の利権にとって最大の脅威となる整体が社会的に認められることは,大衆の大覚醒(The Great Awakening, mass pop awakening)によって,マスメディアがその権力を失うまではありえない.

時には 人々に真実を話せないこともある
真実は 見せなければならない
そうしなければ 人々は変わる意志を見いだすことができない
子供たちへの犯罪が 全人類を団結させる[超党派で]?
キツイ 真実
Q

https://qposts.in/japanese/4908

野口も「べし,べからず」という観念を嫌っていたという.
九種はそういうように,よく物事を考え,強情でいうことを聞かない.
大衆を何の疑問も抱かない NPC として支配したい権力者たちにとって,これほど都合の悪い人間はいないから,「陰謀論者」のレッテルを貼られて攻撃されてきた人には,少なからず九種があるのではないかと思う.

Q がアノンたちを自閉症だと言っているのも,Q の投稿を追うような人に,ADHD と同義の九種体癖が共通しているからだろうか?

自閉症でいいよ 実は そうなんだろ?
変化の時が来た
幸運を祈る、愛国者諸君
Q

https://qposts.in/japanese/314

こうして,明治に生まれ昭和を生きた体育家・野口晴哉の教えは,死後半世紀がすぎた現代になって,「陰謀論」のそしりを受けるに至った.


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