見出し画像

『看とりのグリーフケア ~看とられる人と看とる人を救う心のケア~』第一章・無料全文公開

1月26日に発売したばかりの書籍『看とりのグリーフケア ~看とられる人と看とる人を救う心のケア~』より、第一章「自らの死生観を知る」の全文を公開します!

「末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい。説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、そばにいるだけでいい」 

青木新門著『納棺夫日記』より

1.死生観の大切さ

 ●多職種の扇の要は「死生観」

コロナ禍において、陽性者数・重傷者数・死者数を伝えるニュースが連日のように世界的規模でクローズアップされています。思いがけないコロナ禍での緊急事態宣言、クラスターの発生による混乱、オンラインを通じた会議など初体験のラッシュで、皆さんさぞかし大変な思いをされたことでしょう。

いまや医療職の活動の場は病院、在宅、介護施設、地域、企業、国際災害支援から発展途上国の保健活動に至るまで大きく広がるとともに、役割分担と専門化も高度に多様に進みました。

そのような多種多様な医療職の扇の要に当たるものはなんでしょうか。私は「死生観」だと考えています。

本来、死生観なくして私たちの仕事は成立しないはずです。それなのに、それぞれの専門課程で、なぜ真っ先に死生観について教えてくれないのでしょうか。「自分なりの死生観をもたなくてはならない」と言われますが、「こういう死生観をもちなさい」とは言われません。専門職として、どのような死生観をもつのかは、私たち自身に任されています。

私たちは病院や施設で尊敬できる先輩に出会い、素晴らしい死生観や医療哲学を学ぶことになります。作家や有名人のさまざまなエピソードに学んだり、患者さんの生死に出合って感動したり、落ち込んだり、そうした体験を通して自分なりの死生観を体得していくものだと私も思っていました。

しかし、ふとなんらかの大きな喪失体験をした人々の感情を「グリーフ」という言葉で括ってみると、世界中の研究とアクセスでき、実生活に役立つ情報がいろいろあることに気がつきました。

死生観と看とりとグリーフケアは、それぞれがリンクしているものです。大先輩との禅問答のような中でしか学べない気がしていた死生観も、「グリーフ」という言葉で検索し、学際的な研究を調べると、どんな大変な喪失体験に対しても一定の予備知識をもつことができる、悲しみによるストレスは消えたり避けたりはできなくても、対処の仕方がうまくなるのだと知ることができます。

●団塊世代806万人の看とり

 私たちの人生において死は避けられない確実なものです。死は大きな喪失体験とそれに伴うグリーフの感情をもたらします。亡くなった人は二度と戻らない。断念と諦めを必要とします。

ところが、わが国ではがん告知や病状の把握、死に方の選択などという話題をタブー視する傾向が、いまだに強いと感じます。そしていま、死を前向きに語れない文化が、病院や施設、家族の間でも、もどかしく重たい空気を醸し出しているように思います。

私たちはいま、コロナ渦とともに団塊の世代が75歳以上となる、いわゆる「2025年問題」に直面しています。この3年間の合計出生数は、約806万人にのぼります。つまり、約806万人もの人々の看とりに家族や医療職はもちろんのこと、看とり関連の多職種が出合っていく「多死社会」が現実のものとなってきました。

いよいよ私たちの誰もが、死をどう経験し、死とどう向き合うのか、これからどういう死に方を選択したらよいのかを考えざるを得なくなってきたのです。これを、死に向きあう準備として「死生観をもつ」といいます。

死生観は、「死や看とり」の経験がプラスイメージか、マイナスイメージかによって左右されます。これまでの学際的な研究で、「人々は育った環境や死の経験によって、意識するしないにかかわらず、さまざまな死生観をもつ」ことが明らかにされてきています。個人にとっては固定観念(ビリーブ・信念)となっている多種多様な死生観があり、自分や家族の誰かが不治かつ末期(人生の最終段階)となったときに迫られる数々の選択に影響しているのです。たとえば、①治療を継続するのか止めるのか、②緩和ケアをいつから誰に託してどう選択するのか、③遺される人への配慮や家族への対処の決定をどうするのかに関わっていることが、わかってきています。

いまは、お互いにもっと語り合い自己開示できれば、苦しくない、痛くない、心安らかな最期を迎えられる終末期の選択肢があります。悲しいけれども遺された人が勇気を得られる、その後の生き方の糧になる選択が可能です。看とりについての理不尽なつらい経験を見聞きするたびに、人間関係に恵まれさえしたら、別の選択ができる時代を迎えているのにと思わずにはいられません。

2.喪失体験に対処するレッスンの必要性

●最期に出会う〝命ある人〟として

看とりには、看とる人の死生観が欠かせません。少なくとも私たち医療職は、約806万人に最期に出会う〝命ある人〟として向きあおうとしています。だからこそ、私たち一人ひとりの死生観が患者や家族の皆さんに、潜在的に影響していくことを意識したいです。

看とり体験は、さまざまな形で遺族の心身に影響を及ぼします。つらく理不尽な看とり体験や生死が曖昧で、どのように亡くなったのかを確認できない死は、遺族にとってさまざまな病気の引き金になりうることを、私たちは経験上知っています。逆に、納得のいく、よく準備された死が、遺族の誰かを幸福にし、悲しいけれど勇気を与え、その後の人生の糧となる看とりになることも、よく体験しています。

医療職はそのマイナス要因を可能な限り予防し、最善の方向へ導いていくものです。たとえどんなにひどい喪失体験の中にあっても、人には人生を変える力があります。はじめはその助けになる存在となり、またその人がそういう人に出会えるようにアレンジするのです。その取り組みのすべてをふくめるのが、「看とり」です。

医療職はどんな悲惨な状況の中でも、常にプラスの要因を拾い、前向きな力に切り替えられるようになりましょう。そして患者や家族の皆さんも、もちろん医療職もまた、そのときは誰かのサポートが必要です。そのため、適切なサポートをもらいながら、前向きな希望をもち続けられる仕組みを自分の中に構築したいものです。

看とりに携わる人や看とられる人も死生観をもつこと。そして、お互いの死生観を知り合うことが大切です。違いがあっても、お互いに尊重し合う。そして、看とられる人(死に逝く人)同様、看とった人(ご遺族)にもケアサポートが必要です。

●看とりの知識や体験をシェアしよう

 私はこれまでの経験から、「終わりよければすべてよし」といえる選択肢へ誘うには、まず、私たち看護師や医師が自分自身の死生観について公開し、一般の人も含めて語り合うというステップに、もっと踏み出したほうがよいと気がつきました。

なぜなら、いまでも病院死が8割強。まだまだ高齢者ケア施設や在宅などでの看とりは2〜3割に満たないとされており、医療職、特に看護職が多くの命の看とりを体験しているからです。

加えて、今後の団塊世代の高齢化による多死社会では、職歴を重ねてベテランの域に達してから死生観をもとうなどと、悠長なことは言っていられません。新人や若手の皆さんも、患者さんの死を含めたさまざまなリアリティショック(現実と理想に衝撃を受けること)にさらされていきます。一歩間違うと、そんな最初のステップでの体験で、将来を台なしにしかねません。

そうならないためにも、ちょっと先ゆく先輩職種の体験談を聞き、生老病死にまつわるさまざまな人生の喪失体験に対して、ある程度、最大公約数的な知識をもち、喪失体験に対処しやすくなるレッスンを重ねることが大切ではないでしょうか。

では、まず先行モデルとして、「私の死生観」の開示からスタートしたいと思います。私の死生観を育んだ体験と、そこから芽生えた死生観や看とりの指針を紹介します。少し長くなりますが、お付き合いください。

3.父の看とり

●15歳で父を看とる

私が15歳のとき、父は自宅のレッスン室で突然吐血。救急搬送先の病院で手術後1週間、あっという間に亡くなってしまいました。当時、兄姉たちは郷里の鹿児島から東京の大学へ出ていましたので、私は母と2人で病室に寝泊まりして父を看とりました。

父は子どもが大好きな小学校の音楽教師でした。県の要請を受けて、戦後の復興支援のために九州全域の小中学校の校歌を作曲しては演奏会活動も果たす、スペシャリストだったのです。ピアノを弾きながら歌を歌い、バイオリンなどさまざまな楽器を器用に弾きこなし、ドレミもわからない生徒が1日で校歌が歌えるようになる指導力は見事で、40代から亡くなる55歳まで大活躍していました。

明治生まれの両親には、すでに5人の子どもたちがいました。長兄は戦時中に7歳で亡くなっていますので、私は顔も知りません。すぐ上の姉とは6歳もの年齢差がありましたから、両親は私の成長にいつまで寄り添えるのかと心配したのだと思います。

だからでしょうか、3歳になる前から父は私に、朝食前の15分、バイオリンを毎日教えてくれました。私が父を独占できる心地よい時間でした。抱きかかえるようにして、音を楽しむ、心地よいリズム、楽器を大切にする気持ちを、豊富な言葉と優しい笑顔で語りかけてくれた日々。叱られたことは一度もありません。

父の弾き方にピッタリ合わせられたときは、「いいぞ、いいぞ、和子はテンガラモンじゃ(賢い、可愛い子だという薩摩弁の褒め言葉)」と繰り返し言ってくれる。それこそ目の中に入れても痛くないという愛されようでした。

毎朝の習慣は中学生になると、私の気が向いたときだけになり、亡くなる直前まで続きました。よく「英才教育してるのですか?」と問われるたびに、父は「天才を育てるつもりはない。ただ、眠りたい、遊びたい盛りでも毎日ほんの少しの時間続けることで、曲が弾けるようになる喜び、心地よい音の世界の感覚を伝えたいだけ」と言っていました。実際、賞罰や競争心を煽られたこともありませんでした。

そんな父でしたが、私が15歳のとき、3月に亡くなりました。看とる私に「和子がいてよかった。おまえが女の子でよかった。和子はテンガラモンじゃで、なあーも心配せんでよか、よか。渡る世間に鬼はなし」という言葉を遺して。

4月に高校進学したものの、ただただ塞ぎ込み、何もしない。何もしゃべらない。わけがわからない。わからないという思いに囚われて、見える世界は灰色でした。いまなら「うつ」と診断され、休校していたかもしれません。

友だちもできず、ただ下を向き、とぼとぼと孤独に歩いて通学していただけ。ふと学校の音楽室からバイオリン曲のレコードが聴こえると、わけもなく涙が溢れてくる。そんな私を見かねたのか、国語の先生が熱心に作文をすすめてくれ、添削を繰り返してくださいました。

長じて精神科看護の研究をするようになって、15歳の私が味わった混乱とうつ状態はグリーフによるものであったこと、国語の先生は言葉にできない私の気持ちを引き出すために作文指導をして、グリーフケアをしてくれたことを、ようやく理解しました。 

●看護師への道

 父の死は、わが家の経済的苦境を意味することを子どもながら察し、大学進学はないなと勝手に思い込んでいました。学校にも家にも居場所のなかった私は週末、県立図書館で受験生になりすまし、「何をしたらいいのか? 何になればいいのか?」と自問を繰り返し、医療職の書いたいくつかの本に出合います。そして、看護学校という進学の道があることを発見したのです。でも、どうしたらなれるのか皆目見当がつきません。図書館で調べていると、当時、東京大学医学部附属看護学校は全寮制で、しかも奨学金制度があり学費も寮費も無料になることを知りました。「これしかない!」と思いました。

いつも、「お前は何になりたいの? これからの女性は何にでもなれるんだよ」と言い聞かせてくれていた母が、「看護婦になりたい」と話したときの困惑した複雑な表情は、いまだに忘れられません。当時、看護婦をめざすというのは、一生独身で通す尼さんにでもなるほどの決心が必要なことでした。「かわいそうに」「何もそこまで落ちぶれなくても」と言われるようなことでした。親戚縁者には当然内緒です。受験することを兄弟にも友人たちにも言えない中で、母だけが「和子がそう思うなら、やってみなさい。一所懸命やりなさい。どうせなら日本一の看護婦になろうと思ってがんばれ」と励ましてくれました。

当時、鹿児島から東京へは急行「霧島」で2日間の旅。特急「はやぶさ」の寝台列車は、めったに乗れるものではなかったのですが、受験に1人上京すると決めた私に、母は「はやぶさ」の特急券と旅費を用意してくれました。

なんとか一次試験を通過し、2次面接のとき、試験官に「なぜ、鹿児島からわざわざ東大を受験しにきたのか」と聞かれた私は、臆面もなく「日本一の看護婦になりたいからです」と答えたのです。そのひと言で合格したのだと、いまでも思います。なぜなら、受験勉強など何もしなかったのですから。

合格した私は、それこそ水を得た魚。私が東京大学医学部付属看護学校に進学して、夢中で勉学に励むことができたのは、まさに天の采配。私の「人生の再構築」になくてはならない巡り合わせだったことを、後にグリーフケア研究の書物で学ぶたびに思い知らされました。

強いグリーフ体験後の人生選択は、非社会的行為に走るか、思いもよらない業績を成し遂げるかの2つに1つだといいます。もし、あのとき看護学校に合格していなかったら、あのまま暗いトンネルの中に沈んだまま、きっと非社会的行為に走っていたでしょう。10代のころの私の喪失体験は、看護をめざし学習できる環境に恵まれたおかげで、努力は報われるというプラス思考と結びつきました。

その後も、20代での結婚、出産、3人の子育て、子どもたちの病気、母の死、離婚、再婚、夫との死別の折々で、自分を生かす決断につながったのは、父の死と最期の言葉「和子はテンガラモンじゃで、なあーも心配せんでよか、よか。渡る世間に鬼はなし」でした。かくも親の死は子どもに、生涯影響を与えるものだと思い至ります。親の死はわが子に深く影響を遺しうるものだからこそ、「死に方にも全力を尽くす価値がある」と思うになりました。 

4.私の看とりの指針

●「透きとおった風のような人として、そばに居ること……」

 本章の冒頭に挙げた青木新門氏の言葉は、帯津良一氏(帯津三敬病院名誉院長)が紹介してくださいました。そのとき以来、この言葉は私の看とりの指針です。新生児も逝く人も、なぜか、ひたすらそばに居る人を求めます。赤ちゃんは離れる瞬間に目で追い泣きますが、逝く人は不安がります。

単純に、隙間なくひたすらそばに人が居ることが最高のサービスなのだと合点します。ただ、居てほしい人に居てほしいのであって、そばにくるだけで嫌な人は嫌なのです。嫌な人が来ると赤ちゃんは泣きます。が、逝く人は体調を崩します。私はこの人なら安心して逝ける、そばに居てほしいと思ってもらえるような看護師でありたいと願っています。

そう願う一方で、死に逝く人を見守る家族にお願いもあります。私はよく看とる側になった家族には、次のような内容を物語風にお話しています。

「たとえば、ホスピス(緩和ケア病棟)とは謳ってあっても期待どおりに面会が許されなかったり、何か違和感があったら、黙認しないで『私は○○したい』と希望を伝えてみてください。病院には制度や規約があって、担当医師や病棟の看護師長であっても杓子定規な対応しか取れないことがあります。本来、医師や看護師は、〝人間らしい対応とはどういうことか〟を基準にしている人たちです。切実な家族の希望や愛する人の願いであれば、時には立場を賭けてでも実現してあげようと行動する人たちです。そのとき、大事なことは、願うときに相応の覚悟を決めておいてほしいことです。後になって、周囲の人の言動に振り回されたり前言を翻すことのないように。そして、願いが叶ったら、必ず、あなたの気持ちを感想とともに適切な方法で表現してくださいね」と。

長く、医療関係職を悩ましつづけているのは、せっかく規定をこえてまで逝く人の希望を叶えようとして、努力してきたことが、事情の機微を知らない遠くの親戚や面会にも来なかった家族によって、非難や訴訟沙汰されたりする事態です。非難されるだけでもショックで、生きていけないほどのダメージを受ける医療職が少なくありません。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング=終末期の医療に関する事前指示書)やリビング・ウィルもそうですが、私たちは家族への保健指導で「ご家族の中で、よく話し合ってくださいね」と言うのが常套句になっています。

でも、家族ほど話し合いが難しいことはないのです。会社などの組織は話し合いのルールがありますが、家族にはありません。いざ何かを決定するとなると喧嘩か無視。さもなくば殺傷沙汰になるのが家族関係だという現実を知る私たちこそ、「すでに家族という名のユーとピアは存在しない」と、職場でも社会にも、もっと明らかにしていかなければならない時期です。

2006年に成立した看とり加算制度は、事前に看とり介護への同意書が必要。その同意書を説明し取り付けるのも、私たち医療職の仕事です。死生観をもつ本人やご家族は稀なので、面談での応答で傷つけられることも多くなりました。いわゆる接遇(医療コミニュケーション)の課題です。その後の文書作成の根拠となるケアをして記録する事務スキルも、要求されてきます。記録するに値するケアしかできないという側面も増えてきたのです。

臨死期の家族の関係性は複雑で、一瞬理解しがたい、これまでの常識では考えられない出来事がいくらでも起こります。そのときに医療職の心意気を支え守るのは「本人の意思(LIVING WILL)」です。やりたい内容と意思が明確であり、リスクを分かち合う責任も明確であれば、たいていのことは叶えられたのですがそれが昔懐かしい医療になりつつあります。

形のないケアに点数制度ができたのは有り難い反面、同意を取り付け、契約にサインしてという時間的余裕がないのが看とりです。記録や保険点数、事前事後の確認書などの煩雑さから開放された看とりケアをしたい、マニュアル化された看とりではないケアがされたいという双方のニーズがあいまって、後述する「看とりのドゥーラ(寄り添う人)」への希望と期待につながっています。

たとえば、病棟で結婚式を挙げたカップルもいます。最期の水盃に大好きな銘柄のウイスキーを用意したこともあります。延命治療をしないことの合意形成に貢献できるのも、患者の代弁者となりうる家族の明確な意思です。

ほかにも、「ディズニーランドに行きたい」「最後にもう一度○○に会いたい、○○に行きたい」などといった願いを叶えるために、公益財団法人メイク・ア・ウィッシュオブジャパンのような難病と闘う子どもたちの夢を叶える活動をしている財団もあります。

超高齢社会の今日、家族だけ、1つの病院や施設だけ、医療職だけでカバーできることは少なく、このような市民団体(NPO)との連携が大いに期待されます。これからの多死社会をサポートする良質で責任基盤の確かな多様性のある市民団体が、さらに増えてほしいと思います。

どのような場合も、私たち医療職が、そして市民の誰もが、死が遺族へ与える影響としての「グリーフ」について知っていれば、「幸福な死への旅路」にできる限りの配慮をして差し上げられるでしょう。

●「人は産まれるときも亡くなるときも1人にしてはならない」

 マザー・テレサが、いまにも息を引き取りそうな人を集めて手厚いケアを施す「死を待つ人々の家」は、つとに有名です。ある日「どうせなら少しでも元気になりそうな人を救えばいいのに」とこぼした若いシスターに、マザー・テレサは「可能性のある人は病院が救ってくれるでしょう。亡くなる人こそ1人で死なせてはなりません」と諭したエピソードもあります。

「死を待つ人々の家」のケアのあり方を日本の看護職に熱く語りかけられたのは、写真誌『ライフ』のカメラマン・岡村昭彦氏(1929~1985)でした。短い生涯であったにもかかわらず、日本の看護職に深い影響を遺されました。私も、〝岡村ゼミ〟とよばれた講義の1980年当初の受講生でした。

「なぜ、19世紀の英国植民地であるアイルランドに〝近代ホスピス〟は誕生したのか」とその歴史を辿り、「日本にもホスピスの時代がくる。アイルランド人は死に関して独自の流儀がある。幸せな死という言葉が繰り返されるアイルランド。人々が死に至る直前に人間らしく世話を受けられる家庭(ホーム)とよぶ安息の場が必要」と説かれたヒューマニティあふれる講義は、いまだに忘れられません。

つまり、洋の東西を問わず、死を粗末にせず、この上なく大切なものとして心を尽くすことは、あらゆるイデオロギーや宗派を超えて人間として当たり前という大前提があります。

「人は産まれるときも死ぬときも1人にしてはならない」という発想には、「1人にならなくていいよ」「必ずそばにいるよ」「人間は必ず死ぬということを忘れないで」「幸せな死を希望していいよ」「そのためのケアはケアする人もされる人も幸せにするよ」、それが「ヒューマニティ(=人間らしさ)なのだよ」という深い了解が根底にあります。いつの時代にも変わらない価値観として、大切にしたいことです。

看とりは、死に逝く人の希望を叶えてくれる人との関係性の中にあります。その人の望みどおりの看とりをして差し上げられるケアをしたい、死に逝く人は先に天の虚空へと旅立つだけであり、私が逝ったとき、必ず会いたい人に会える。先に逝く人は生きてる人を守ってくれると。

以上が、私の死生観であり、看とりの指針です。

5.あなたの死生観を知る

 この章の最後に、あなたの死生観について考えてみましょう。

これから紹介するチェックリストは『自分の死にそなえる』(近藤裕著・春秋社)を参考に私が編集作成し、ワークショップなどで使用しているものです。あなたの死生観を考えるきっかけとなる質問をまとめています。質問に答えながら、自分の死のイメージを知ることから、はじめてみましょう。

それによって、これから死をどう意識していくとよいかのヒントを得られます。また、死や死生観について、職場の仲間と何を話し合ったらよいのか迷ったときのヒントになるでしょう。

死や看とりに関する語り合いを共有したり、思いを分かち合ったりすることで、「死は案外身近にあり、恐れることはないのだ」と気づくはずです。

●死生観に関するチェックリスト

 【Ⅰ】幼少期~青年期の死に関する体験について

1.「生と死」を考えるきっかけになった経験はありますか?(複数回答可)

1‐身近な人の死
2‐葬儀への参列
3‐読書を通して
4‐マスコミ、映画などを通して
5‐宗教
6‐家族の者の健康、病気
7‐自己洞察
8‐自分の健康、病気
9‐これまでの人生への満足度
10‐人に感化されて(先生の教えなど)
11‐その他
12‐特にない

→3、4に◯をつけた方は具体的な書籍名・映画タイトルなどを挙げてください


2.自分の幼少期~青年期の体験は、現在の死生観に影響を与えていると思いますか?

1‐影響していない
2‐あまり影響していない
3‐どちらともいえない
4‐やや影響している
5‐影響している


【Ⅱ】ターミナルケア(終末期のケア・看とりなど)の体験について

1.いままでにターミナルケア~看とりの体験はありますか?

1‐ある
2‐ない

「1.ある」と答えた方
①それは、どなたを何回くらいですか?

1‐家族(  )回くらい
2‐仕事上で(  )回くらい
3‐その他(  )回くらい

計(  )回くらい


②ターミナルケアを経験して感じたことはなんですか?(複数解答可)

1‐人生の大切なときにケアにかかわれることへの感謝の気持ち
2‐死の過程にかかわることの怖さ
3‐これでよかったのだろうかという漠然とした不安
4‐その他


2.ターミナルのご利用者のケアについてどう感じますか?

1‐できればしたくない
2‐ケアすることに抵抗がある
3‐どちらともいえない
4‐通常のケアと同じ
5‐望んでケアしたい


3.医療職として直接・間接的にかかわってきた人のご遺体を見ることにどう感じますか?

1‐怖い・嫌だ・見たくない
2‐やや怖い・嫌だ・見たくない
3‐なんとなく落ち着かないが嫌だというわけではない
4‐自然に見られる
5‐穏やかな気持ちで見られる


4.ターミナルケアをするうえで不安に感じることはなんですか?


5.次の言葉をご存知ですか?( )内に数字を記入してください
よく知っている 3/聞いたことがある 2/知らない 1

リビング・ウィル(  )
平穏死(  )
尊厳死(  )
自然死(  )
死生観(  )


6.ケアするうえで患者の死生観(自分の死に備える希望や習慣)を知ることは必要だと思いますか?

1‐必要ない
2‐あまり必要ではない
3‐どちらともいえない
4‐やや必要
5‐とても必要


【Ⅲ】現在の死に関する考え方について

1.延命についてどう思いますか?

1‐手段が残っているならば、なんとしてでも生き続けたい(人間としての機能を果たせない状態においても)
2‐年齢、身体の状況、精神の能力、痛みの度合いなどを考慮する
3‐自然な平穏死がよいと思う
4‐その他


2.もし、あなたが余命6か月と言われたら残された時間で一番何がしたいですか?


【Ⅵ】職場の状況について

1.職場で死の話題について話すことはありますか?

1‐まったくしない
2‐ほとんどしない
3‐時々する
4‐しばしばする
5‐日常的にする


2.職場で死生観を育てるための教育機会の提供はありますか?

1‐ある
2‐よくわからない
3‐ない

「ある」と答えた方
①どのような教育機会がありましたか


3.回答してみて感じたこと、自分の死生観に強く影響を与えた内容(エピソード)、ターミナル期のケアについて思うことなどがありますか?


以上になります。チェックした結果はいかがだったでしょうか。これから、死をどう意識していったらいいのかを考えるヒント、職場での話し合いのヒントが得られたでしょうか。今後おとずれるであろう「多死社会」を前に、あなたの死生観の傾向をつかんで、専門職としての体験を積み、あなたなりの死生観を体得していってください。

*   *   *

第一章はここまで!
続きを読みたい方は、各電子書籍ストアにて発売しておりますので、是非お買い求めください。
下記リンクはAmazonストアでの商品ページになります。書籍の詳細と目次もこちらからご覧になれます。
書籍『看とりのグリーフケア ~看とられる人と看とる人を救う心のケア~』

●書籍情報

「看とり」とは、命の最期を迎えた人のそばに居て、心身の苦痛を和らげるケアをしながら息を引き取るまで見守ることです。

私たち医療職は「人は必ず死ぬ。人生は一度きり。いつ死ぬかは本当にわからない」という現実を日々体験します。

だからこそ、生老病死にまつわるさまざまな喪失体験を意識して対処を重ね、自分の中に確かな死生観を育ていく必要があります。「看とり」のグリーフケアには、この死生観をもつことがとても重要です。

本書は、「看とり」のグリーフケアについて、自身の家族の看とりや医療現場での実践、公益財団法人日本尊厳死協会の理事として、ご遺族の声を聴く日々の中で思い至ったこれまでの経験や知識を全てお伝えしています。

私たち、医療職のひとりひとりが、看とりのそのときにこそ「あなたに看とられたい」と、選択される人になれるように、心の準備を日々整えていきましょう。

医療職である皆さんの働きの中で生かし、自分自身のストレスマネジメントに少しでも役立てていただけたら幸いです。

【目次】

第1章 自らの死生観を知る
第2章 グリーフの基礎知識
第3章 プロセスごとのグリーフケア
第4章 看とりのグリーフケア
第5章 グリーフケアで燃え尽きてしまわないために

【著者プロフィール】

近藤和子

公益財団法人日本尊厳死協会 理事/マザーリング&ライフマネジメント研究所 所長/みんなのMITORI研究会 代表
東京大学医学部附属看護学校卒業。看護師、養護教諭、株式会社生活科学研究所担当部長など歴任。その後、東京大学医学部附属病院接遇向上センター顧問や、「マザーリング&ライフマネジメント研究所」「みんなのMITORI研究会」を設立。公益財団法人日本尊厳死協会の理事を務める。「自然な看とりと在宅医療のすすめ」を提唱、「2025年問題」に取り組む。「看とりのドゥーラ(マザーリング)」「育児のドゥーラ(マザーリング・ザ・マザー)」の育成にも力を注いでいる。「マザーリング」「エモーショナルサポート」を軸に、女性保健医療の立場から女性の生き方・家族のあり方、介護・看護職向けに「介護・医療接遇」に関する講演・執筆・研修などを行う。著書に、『介護の悩みQ&A 介護者の心とからだの健康管理』(法研)、『事例で学ぶ介護の話』(日本技能教育開発センター)、『はじめての医療接遇』(ごきげんビジネス出版)など多数。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?