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『世界基準の子育てのルール 子どもも親も幸せになる本当の子育てとは何か』第一章・無料全文公開

書籍『世界基準の子育てのルール 子どもも親も幸せになる本当の子育てとは何か』より、ルール1「好きなこと探し」を応援 の無料全文公開!
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したいことが見つからない子ども達

日本の子ども達が、学業を一通り終えて就職活動をする時、特に高校在学中、大学在学中の子ども達が今一番の悩みとして聞く言葉に「やりたいことがわからない。自己分析をしてやりたいことを見つける方法を教えてください」というものがあります。正直、この言葉を聞くと驚きと共に、哀れな気持ちになってしまいます。

18歳、22歳など社会に出ていく節目で、これから何をしたいかわからない子ども達がほとんどで、我々大人の社会がそういう子ども達を育ててしまっているのでしょう。親として、大人として本当に申し訳なく恥ずかしく感じる瞬間です。

考えてみれば、パナソニックの前身、松下電器の創業者の松下幸之助にしても、マイクロソフトの創業者ビルゲイツにしても、やりたいことがはっきりしていたために、学業をそこそこにやりたいことを突き進んだ結果、世界的企業の創業という偉業といわれることを達成しました。ドイツのメリケル首相や古き日本の実業家である広岡浅子も同じだったようです。

「やりたいことがわからない。自己分析をしてやりたいことを見つける方法を教えてください」

というこの質問をされるたびに、私の答えは一つ。

「あなたが小さな子どもだった頃を思い出して、本当に楽しんだこと、好きだったことは何かを思い出してみてください」

という言葉です。「三つ子の魂百まで」といいますが、実は、就職活動、職業訓練、社会への貢献というのは、生まれたその日から始まっているんですね。子育てをしていると気づくことですが、子どもというのは、持って生まれた性質とその上に積み重ねていく経験で、社会の一員として何かの役に立っていく、自分の役割・役目を見つけているという作業をしています。私は子ども達に日々生きること自体が就職活動で、それは社会の中での役目を見つける旅だと教えています。その旅とは言い換えれば、自分が持っているもの、培ってきたもので他の人や社会に一番役立つものは何かを考え、社会の一員として貢献できるもの、最も効率よく、多くの人へ自分の役目を届けようと努力することです。

好きなもの探しをお手伝いする

例えば、小さい頃からブロック遊びが好きだった子どもがいたとしましょう。その子どもの素地は、何かを組み立てることや、考えながら作りあげることなのでしょう。しかし、そのブロックで家や建物ばかり作る子どももいれば、ロボットなどを作る子どももいます。一方で、ブロックがどういう仕組みで組み合わさっているのかに、とてもこだわる子どももいるでしょう。こうした子どもの性質は、実は成長していく過程で何に向いているのかいないのかという方向性に、とても大きな影響を与えています。

もう一つ例をあげるとすれば、パズルが好きな子どもがいたとしますね。パズルを外側からはめていく子どももいれば、四隅の角の一つから進める子ども、または四つ角のすべてからはめていく子どももいるでしょう。こうした性質の違いは、実はその子どもの得意分野に直結している場合が多くあります。

この本を読んでいる親御さんの中には、自閉症やダウン症を持ったお子さんを育てている方もいるかもしれません。こうした病名は、実は社会の大人が勝手につけたもので、そうした親御さんは既にお気づきだと思いますが、彼らは何かしらの能力に秀ですぎていて、他のことに気持ちや手が回らないだけという側面があります。私自身、自分が何かに集中していると病的に夢中になっていると感じることがあります。しかし、何かに集中すること、拘ること、夢中になることは、病気ではなくその子どもの特性と考えたら将来したいこと、できること、役目が見つかっていくはずです。

人生の岐路で「したいことが見つからない」というのは、人間としてとても幸福とはいい難い最悪の状況ですよね。こうした状況が親の育て方の影響と考えると、親の責任はとても大きいものがあります。

では子どもが幸福な状態とはどういう状態なのでしょう。子育てをしていると、好きなことばかりして、好きなものばかり食べ、嫌いなことや嫌なことをしないという子どもの態度に出会うことは、日常茶飯事です。親として、子どもの将来を考えると嫌なこと、嫌いなことであってもしなければいけないと伝えるというプレッシャーで、いつしか子どもが嫌に思うことをどう我慢させて行動させるかという点にばかりに口うるさくなっている自分がいたりしませんか。そんなに嫌なことをさせるために、ご褒美などもあげてしまうことがあるかもしれません。そうして育てていると、結果的に「褒美」や「見返り」がなければ、やりたいと思っていない行動をしない人間になってしまうのです。でも、好きなことをしている子どもを見ていると、時間も忘れて夢中になりますし親からの褒美や褒め言葉など求めていないことに気づきます。

私の息子が、勉強や家事の手伝いをしている時、いいつけられたことを適当に理解して、適当にこなしているのを見て、なぜきちんとやらないのだろうか、といつも不思議に思っていました。しかし、一方で自分の好きなパソコンやゲームのことになると寝る間も惜しんで、これでもかという深いところまで大人が驚くほど追求する。息子を見た日本からの留学生の何人かには「こんなことができてすごいですね」と言われたことがあります。考えてみれば、私もそういう子どもだったことを思い出しました。職場でもそうです。仕事をしていると適当な仕事しかしない人に出くわします。しかし、そういう人でも、好きなこと得意なことになると時間を忘れるほど熱中するのです。管理職としては、そうした人達の「好き」に近いことをその社員の責任範囲にすることが「適材適所」を生む力になるのです。

私自身が、小学生の低学年だった頃、母はよく働きに出ていたので、学校から帰ってくると一人で留守番することが多くありました。当時よくいわれた鍵っ子です。不思議なことに私は鍵っ子に憧れがあったので、母が働きに出ていくことが少し楽しみでもありました。何が楽しかったのかというと、友達と遊ぶ時間もそうですが、何より親にとやかく言われることなく好きなことを突き詰める時間が好きだったのです。

人間は誰しもそうですが、好きなことをしている時や、使命感に燃えている時には、集中力が増して効率にも気を配って最大限の結果・効果を出そうとします。今、我々親がしている「子育て」という作業は、実は大人になった時にこの集中力の出し方、活用の仕方、切り替え方、効率よく動くための訓練を手伝っているという作業なのです。

まず、親として子どもと関わっている時に見逃してはならない瞬間が集中・熱中している瞬間です。それがゲームであろうともブロックであろうとも友達と冗談をいいながら大笑いしている瞬間であろうとも、大人から見てくだらないと思うことでも、本当は親は楽しそうにしている子どもに幸せにしてもらっている時なのです。その瞬間を、子どもが生まれてから一つひとつ丁寧に拾い上げ、認識して尊重してあげる作業が、子どもの「好き」という気持ちを育てる第一歩なのです。するべきことを疎かにしてまで夢中になっている子どもに、すべきことをしていないと怒る前に、まずは「なぜ夢中になっているのか。何を好きに思っているのか」と冷静に観察してあげてください。

例えば、ゲームや携帯電話などに夢中になっている子どもがいたとします。大半の親は、「そんなことに夢中になっていないで、すべきことをしなさい」となります。もちろん、生活の基礎「食べる、寝る、自分の身を整える、掃除をする」などは大切ですし、そういう基本的なことはすべきでしょう。しかし、その瞬間にそのゲームのどこに夢中になっていて、その携帯電話で何をしているか? というところにもっと注意してあげてはどうでしょう。子どもの「好き」を具体的に理解する第一歩です。それを繰り返すことで、親である我々も具体的に子どもの「好き」の中の特性があることがわかってきます。

ゲームといっても色々な種類があります。戦略を立てることが必要なゲーム、動きの早いものについていかなければいけないアクションゲーム、通信してコミュニケーションが必要なゲーム。ご自分の子どもがそのゲームの何の特性に惹かれて夢中になっているのか。ここを理解することがとても大切です。今までに携帯やゲームに夢中になっている我が子にこんなこと考えたことがありますか? もし一度でもあるとするならば、それは親の本能に敏感になっていた時期だと思います。

一度、その子どもの「好き」なもののパターンや特性に気づくと、子どもの「好き」を伸ばす手助けができるようになっていきます。親がその気づきに到達するまで数ヶ月から数年かかることもありますが、ここは辛抱です。もし、そのような特性に気づく機会が少ないと感じている場合、私もそうですが、アメリカ人の親がよく低学年の子どもにさせることがあります。とにかく何かを体験する機会を増やすのです。体験的なクラブ活動に連れて行ってみたり、全く違う分野の習い事を勧めてみて、少しかじらせてみる。それは、一見つまみ食いをさせて色々な習い事やイベントを一貫性なくさせているような姿に映りますが、それは「好き」を見つける大切な作業です。最初から好きなことを見つけて、その習い事に熱中する子どもはとても少ないでしょう。その時に大切なのは、親である我々が軸をずらさないこと。この場合の軸は「好きなことを見つける旅」というものです。ですから長続きしないのであれば、それは好きなものが見つからなかったと次のステージに進んであげてください。

決して「今始めたからやめてはいけない」という軸にする必要はないですよね。まだ見つかっていない段階ですから。人は何か新しいものを始める時、初期段階で少し苦労を伴います。もちろんその苦労を乗り越える力を育てることは必要なのですが、「好き」なことが見つかっていない子どもにその苦労は苦痛でしかないのです。前にも書いたように好きになれば、苦労と思わずにその最初の苦労を乗り越えてしまうでしょう。この広い世界の中で「好き」を見つけ出した時、子育ての基礎段階が完了したといっても過言ではありません。あとは、「好き」の中での世界を広げてあげるサポートに回ればいいわけですから。

世界基準の子育てのルール

関心の多さは将来の選択肢を増やす

子どもが長続きしないのなら、ほかに好きなものを見つけるために無理に長続きさせる必要はないといいました。好きなことというのは、それほど簡単に見つかるものではないので、子ども達の限られた時間を考えると、より多くのものに出会って興味の持てるものに触れることは大切です。そして何よりも、親としては子どもの知識が増えたり、できることが増えることは学校教育に匹敵するほど嬉しい財産となるのは間違いありません。

更にいうと、趣味や興味の多さは、今の日本の学生の多くが抱える問題である就活での職種・業種研究を容易にするはずです。例えば、鉄道に興味を持った子どもは、鉄道関係で働く人がどのような分担をしているのか自然と学んで行くでしょう。運転手・駅員・車掌・保安員・車両の設計者、そして車両が色々な重工系の会社で作られていることにも気づいていきます。私の娘のようにバレエに熱中し始めると、ヨーロッパを中心に手作りでトゥシューズを作る職人さんがいることや、舞台装置を開発したりデザインしたりする人、ボランティアで会場の案内をしている人達を目の当たりにすることで、どんな年代でどんな適性を持った人がそこで働いているのか気づいていきます。そうして、実は幼少の頃から親というのは、好きなこと探しで未来の就職活動のお手伝いができるわけです。

好きなことへは手出しではなくサポートを

さて次に、子どもが好きなことを見つけたら、我々親はそこから何をしたらよいかを考えてみます。「何もしないで応援をしてあげてください」といつも言いたいのですが、なかなかこの意味を理解してもらうことは難しいようです。

私のいう「何もしない」という言葉の真意は、日本の古い言い回しにある「転ばぬ先の杖」をつかないという意味です。まだ子どもである彼らは、大人である我々親から見れば未熟なところがたくさんあります。この本の最初に書いたとおり、親というのは「苦労して欲しくない」という気持ちが強いものです。しかし、子どもが親と一緒に生活している時期というのは、子どもにとっては社会に出ていって好きなことで生きていくためのいわば「訓練」の時間なのです。何を訓練しているかといえば「成功体験」や「失敗体験」のような「経験」を積み重ねて、成熟していくことです。

しかし、要らぬ親心で「失敗体験」ができるチャンスの時だけ手を出してしまうのが、親の性です。厳しいようですが、私は親の転ばぬ先の杖をつく行動は、「百害あって一利なし」と言いたいのです。子どもが経験を重ねようというまさにその瞬間に、失敗を回避することができる経験値を持つ我々親が、口出ししたり手を貸してしまう。命に係わるようなことであれば別ですが、そうでなければ子どもの経験値が得られるその失敗体験を親が奪う権利はありません。よく「熱いものに触ってみて初めて本当の熱さがわかる」と言いますが、「育てる」という観点から見れば杖をつく行為は、害にしかならないし、子どもの経験を尊重していない行動といえます。

私の娘が幼稚園に入った当初、アメリカの文化もあり、朝と午後の送り迎えを車で連れて行っていました。その幼稚園は日本人の子どもとアメリカ人の子どもが入り混じったところだったのですが、日本から来ている親の多くが、子どものかばんを持っている場面によく遭遇しました。確かに持ち物が多く、3~4歳の子どもには重く感じるものでもありました。「重いから可哀そう。まだ最初だから幼稚園にも慣れていないし私が持ってあげよう。新しいかばんを買ってあげたのに落としたり引きずったりして汚してもらっては困る」など理由は色々でしょう。でも、周りにいるアメリカ人の親達にも、私自身にとっても、こうした日本人の親の行動は、とても奇妙に映りました。何故かといえば、自分の物は自分で持つという生活の基本動作を練習しているからです。そこで毎朝親が子どもの荷物を持つこと、これこそが「転ばぬ先の杖」であることに気づいていないのです。

再度、私の娘の例ですが、娘が中学に入る頃までには、これからバレエに人生を捧げたいというぐらいバレエに没頭していました。その頃、娘は毎年、アメリカの長い夏休みに5週間ほど、別の州や遠くの街にあるバレエ団の合宿に参加するようになっていました。たまたま私の出張時期で、私が留守をしている間に合宿の申し込み期限が来るタイミングでした。出張前に何回か娘に「期限が来るし必要があれば出張前に話をしなさい」と言ってありました。
しかし、日々のバレエレッスンと学校の忙しさに負けて、出張へ出かける前に相談をせず、案の定、申し込み期限を逃してしまいました。その合宿は、娘が数か月前に必死で受けたオーディションの一つで、しかも合格したことを喜んでいたので、本人としても是非行ってみたいと思っていたところでした。出張から戻った後、私と共に遅れたことを詫びて懇願する電子メールでそのバレエ学校へ連絡をとったところ、あっさりと「時期を逃したので今年はもう入れません」という返答でした。父として私は、出張前に無理にでも一緒に座って申し込み作業をする機会はありました。でも、冷静に考えていた自分を振り返ると、それが間違った親心「転ばぬ先の杖」をついてしまうことになることに気づいたので、敢えて手を貸さなかったのです。

失敗する確率がある、転ぶだろうと感じているこの時点で私のような行動に出ることは、行きたがっている娘を見れば苦しいものでしかありません。意地悪なのではないか? という罪悪感さえ覚えます。しかし、彼女のこれからの長い人生を考えた時「これほどの体験のチャンスはない、一度の痛みで今後を覚えてくれるのなら」と自分に言い聞かせ、身を切る思いで「失敗」をさせたのです。この体験は、案の定、彼女を大きく育てた瞬間でした。以来、娘は徐々にこうした手続きを怠ると、好きなことやしたいことができなくなるのだとを学んだようです。16歳になる頃には、私が何も知らない状態でも期限や提出手順を勝手に理解して、細かな失敗はまだありましたが、いつまでに何が必要なのかを自分から私へ伝えるようになりました。もしあの時に手助けをして失敗させていなかったら、今の娘はなかったと思います。

このエピソードを読んで、「なんてひどい親なのだ」と思った方もいらっしゃるでしょう。しかし私は、裏ではこの件でサポートを怠っていなかったのです。実は、この期限を逃してしまった後、その空白になってしまう期間、彼女が別の場所で体験できることをいくつか頭の中に描いていました。失敗に気づき、落ち込み、叱られている彼女がひと段落した時に、「さて、これからどうする?」と13歳になる彼女に問いかけてみました。そして、少しずつ質問をしていきながら、私の中であったオプションに辿り着ける道を進んで、その年は、別の国へ一人で飛行機に乗ってバレエを体験するという結果になりました。その体験を終えた彼女を見た時、親ながらにその成長ぶりに驚くほどで、数か月前のその失敗をした時とは比較にならないぐらい、自信をもっていて、少し大人びた彼女に成長していました。

この瞬間が親としての充実感を子どもからもらえる時なのですね。「可愛い子には旅をさせよ」なのでしょう。そしてこの体験は、「転ばぬ先の杖」をつかないという私の持論を確固たるものにしましたし、側面からのサポートとはどういうことなのかを教訓にしてくれた、親子にとってとても貴重なものになりました。転ぶという体験が人生全体でどのぐらいの影響があるかと考えたり、転んだ場合にどう寄り添って一緒に進んでいけば、親の経験値からのサポートになるのかを考えることができたのも、親の私にとっても大きいものでした。
実は、この時、当時の私の妻はこの機会を逃した私と娘をとても責めていましたが、私としてはこんないい機会は巡ってこないのだという自信があり、結果的に娘を成長させることになったことで、その責めについて取り合う気持ちは湧いてきませんでした。

すでに18歳になった娘ですが、この当初の話をそれ以来何度かしていて、私は「あれはとってもいい機会だったね」と彼女の失敗を彼女とともに楽しめる自分がいます。そして今考えると当初感じていたほどの大事ではないこともわかります。

好きなことを応援して、共に「成功体験」も「失敗体験」も喜びを持って支えるというのは、言葉にするととても簡単に聞こえます。しかし、実際の親心とはどこにあるかという軸を見つけておかないと、親の軸がブレて余計な思いやりや優しさを与えてしまい、その体験から学ぶ機会さえ失わせてしまうという取返しのつかない「機会喪失」になるのです。上の例にもあるように「失敗体験」と「成功体験」とは、実は表裏一体の関係にあって失敗から学び、成功を勝ち取るという、社会に出るととても必要とされるスキルを身につける機会なのです。こうした場面の「機会喪失」をできる限りさせないという親の態度は、子どもを尊重することにもつながります。

社会に出て仕事をしている人には、わかりやすいことかと思いますが、成功から学ぶよりも失敗から学ぶほうが人間の体験としての重みはとても大きく、ほとんどの「創業者」といわれる人や「成功している会社」といわれる団体・法人は、こうした「失敗体験」から多くを学んで成長しています。「失敗」の多い人は、実は「成功」の機会を増やしているのです。これは社会が人や会社を尊重しているからこそ、失敗が起こるわけで、子どもに対してもこの「尊重」の気持ちを持ち続けることが大切なのかもしれません。下手な子ども扱いは無用なのです。

失敗しそうな我が子に手を貸すのではなく、体験させてみましょう。そこから将来へ結び付けるために、親としてできる「側面的なサポート」とは何なのか。そのように常に自分にいい聞かせることが大切だと思うのです。そして最終的には、そうした失敗体験から学び、学んだ事実を一緒に楽しめるようになることは子どもの励みになりますし、子どもも親に自分が尊重されていることに気づき始めます。その時に大切なことは自分のことは自分で決め、親に対してであっても決して他の人のせいにしないことでしょうか。改めて考えてみると、親とはとても意識が強くないと務まりませんね。

こうしたことは日々の生活の中での小さなことでも当てはまります。次は私の息子の例で見てみます。

ある時、私の息子がアメリカの公立中学校に通い始めた時、学校から配られる学校用のラップトップコンピュータを与えられました。娘もそうでしたが、私の住む地域の公立学校では宿題の提出、授業での配布物、多くの場面でコンピュータを必要とするシステムになっています。息子はコンピュータがとても好きで、ラップトップコンピュータを受け取ることについては、とても喜んでいたのです。ところが、学校が始まった当初、自宅で充電をしてくるというルールのおかげで、自宅にラップトップコンピュータを忘れていくことが何回かありました。そのたびに、学校に設置されている電話から、授業で困るので急いで持ってきて欲しいという彼からの連絡があり、私は職場などから自宅へ戻って届けたりしていました。そんな姿を見ていた学校の職員の方にある時声をかけられて、「次回から忘れても持ってこないでください」と言われたのです。その時、はっとしたと同時に自分のしている行動に赤面の思いになりました。その職員の方が私に続けていった次の言葉が、心に突き刺さったのです。

「両親がこんなことを続けていたら、彼がコンピュータを忘れることで自分が困るという現実をいつまでたっても覚えませんから」

親も子どもと共に成長するといいますね。私も成長途上であることに気づき、恥ずかしくもなりましたが、率直に指摘してくれた職員の方に感謝の気持ちを持ったのです。これが教育者なのだなぁという感じでした。

子どもの「好き」を一緒に発見する手伝いをし、「好き」を子どもが見つけた後は、「転ばぬ先の杖」をつかずに彼らの体験を尊重して、側面からサポートする。

「成功や失敗を親や家族と共に喜ぶ」というのは、子どもにとっては何にも代えがたい体験で、かつ一番の応援になることを忘れないようにしたいものです。そして、そうした体験を共有することで子どもと親との絆が深まるのは間違いありません。

著者プロフィール

鷹松 弘章

元Microsoft主席マネージャー
東証一部上場の日本企業や米国にて社外取締役・顧問を兼任
アメリカシアトル在住の2児の父親

シアトルのマイクロソフト本社にてキャリアを積みながらイクメンとして子育てをしていた。当時のモットーは「仕事も子育ても120%の力を出す」。留学生への支援も続け、支援を受けた学生の中にはユーチューバーのカリスマブラザーズ(現JJコンビ)などがいる。
現在は、アメリカのIT企業で働き日本企業の社外役員をする傍ら、子育てのセミナーや大学・企業での講演会などを日本各地で開催。
子育て支援・若者支援・企業支援という3つのサポートが国の将来に重要な要素であるという思いを貫き、「徳を積むことの大切さ」を提唱して、様々な活動を通し子育てとキャリアが両立できる日本社会の実現を目指している。


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