見出し画像

頼んでないから放っておいてほしい

【写真:カナダ・バンクーバー】ストラスコナホテル1階、オシャレなレストラン。


こんばんは。絶賛卒論行き詰まり中の者です(笑)まあそれはおいといて。

私は今、心の中で遅い反抗期を迎えている。実際にはあまり行動には起こしていないが。ただ、母に対し、反感を感じることが以前よりは増えてきたのだ。(これは決して悪いことばかりではなく、自立への第一歩だと信じている。もちろん、母への感謝は忘れないようにせねばならないが。)

その一つとして、タイトルにもつけたように、「頼んでないんだけど」ということが挙げられる。即ち、母はとても気が利く人で、マメで、結構何でもやってくれるのだ。例えるならば、赤ちゃんが泣いてもいないのにおむつをかえてくれるような人だ。巷で言われているほど酷くそういう状態にあるわけではないが、過保護または過干渉気味、そういうものに近い状態、どちらかといえばそれ、という感じだ。

細かい話にはなるが、例を出すと、ご飯を食べているときに、アレもあるよコレもあるよ、アレを出そうかコレを出そうか、と言ってきたりするわけだ。母は「だって出さないと食べないじゃん」と主張する。確かにそういうときもあるかもしれない。私はズボラなときがあるし、食事等の面で自分を大切にしなさ過ぎる人間だしな。でも、そうじゃないときだって沢山ある。食べたければ自分で出すし、出していないということは食べなくていいと思っていることを意味するのだ。自分の食べたいものは自分で用意するから、放っておいてくれと思ってしまう。(それはそれとして、毎日ご飯を作ってくれることには、とても感謝している。)

もう一つ細かい例を出そう。さっき母は「暖房をつけたよ」と言ってきた。そして陰で、「寒いなら自分でつけなよ」と独り言を言って去っていった。私が部屋でジャンパーを着てスマホを見ているところをみて、「寒いなら暖房をつければいいのに」と思ったのだろう。確かに暖房をつければジャンパーを着なくてもいいし、部屋が暖かい方が私は快適だ。だが私がジャンパーを着ていたのは、私がこのジャンパーを部屋で着たいと思ったからである。寒いと思ったときに、ジャンパーを着ることを選んだのである。その理由は、このジャンパーを着ている状態が好きだからだ。(こういうことを私はいちいち母には言わない。母は暖房をつける方が良いに決まっていると思っているだろうから、私のその主張を聞いても全然耳に入らなさそうだ。)

そう、こんな感じなのだ。

確かに、母がしてくれることによって私は快適になることが大半だし、私が気づいていないだけで本当はすべきだったことも多々あるだろう。でも、だからといって「自分でやれよ」と怒られるのは、どうも納得がいかない。必要に迫られたらそりゃ自分でやりますよ、と思うし、頼んでないことを勝手にされて勝手に怒られてもなーという気持ちである。何より、怒るくらいならやらなくていいですよ、と思う(ただ、そう言うと必ず「私自身が嫌だからやる」と返ってくるのが困ったものだ)。再度言うが、私は全然、全く、頼んでいないのだ。ただ、その快適になることをしてくれたことに対しては「ありがとう」を言わざるを得ないので(私のために気を利かせてくれたことだから)、母は更にそういったことをしてくるようになるという悪循環がここにはある。

私には、口論する力がない。そして衝突することがとても嫌いだ。母も口論が嫌いだし、きっと私が反論したところで聞きやしないだろう。だから私は母にある程度諦めをつけることにした。そう、家族だからといって100%分かり合う必要はない。なんやかんやあるけど助け合うし、普段は仲良し、という程よい距離感で、丁度よい関係性でありたい。そのために私は、来年から一人暮らしをする。

ではまた。

サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。