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サマータイムと農業、時計の針を動かすということ

岩手県滝沢村(現在の滝沢市)にある父の実家で、小学校4年から6年の3年間、3世代で暮らした。岩手山の山麓に広がる開拓集落で、祖父母は和牛の繁殖農家、つまり、牛飼いをしていた。

繁殖雌牛十数頭を飼養し、母牛から子牛を取り上げて9〜10ヶ月ほど育成し、家畜市場に出荷する。僕も家族の一員として、祖父が担う朝晩の飼料給与を手伝っていた。作業が終わった後、牛舎の横にある休憩小屋で、よい香りのする牛乳石鹸をよく泡立てて、手と顔を丁寧に洗うのが楽しみだった。

農繁期の夏場は日が長い上、米や野菜など他の農作物の作業がたくさんあるので、毎朝5時に起きて作業した。

逆に農閑期の冬場は日が短く、夏場と比べ作業も少ない。牛舎での作業は毎朝6時半頃に起きてやった。

日中の時間は夏至にもっとも長くなり、冬至にもっとも短くなる。日照時間は1日に1分ずつ長くなり、そして短くなる。徐々に変わっていく季節。人間の身体もその変化に少しずつ対応する。

季節の移り変わりに合わせるように、僕たちは仕事や生活の時間を少しずつ、自然と調整していた。

農家のサイクルに合わせ、東北の一部の農協は、夏と冬とで営業時間を変えているところもある。夏場は8時から18時まで、冬場は9時から16時半までといった具合だ。

季節に合わせ生活を変える、でも時計の針は動かさない

平成最後の夏に、サマータイムの是非について議論が白熱している。

季節の変化に合わせて働いたり、活動したりする時間をずらす。実際、農業の現場ではそれが当たり前のように行われている。

でも、それは誰かが号令をかけて、全員の時計の針を無理やり動かしてやることなのだろうか。

時計の針を動かすための作業は膨大だ。ましてや、テクノロジーに完全に支配されている僕たちの生活は、時計を動かすことで生じる不具合や予期せぬ障害の影響があまりにも大きい。

時計の針を進めたり戻したりするために、この国の限られたリソースを割くよりも、もっと別にやるべきことはたくさんあるはずだ。

農家が当たり前のようにやっているように、季節に合わせて生活時間を変える。でも、時計の針は動かさない。それでいいじゃないか。

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