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おすすめのセルフケア「小説執筆」

Y公民館の17時、僕が図書館から出ると椅子と机の並ぶフリースペースが広がり、そこにはテキストを広げて勉強に勤しむ少年たちの姿が見られる。

同じくらいの人数で、新聞を広げて老眼鏡を片手で調整しながら、記事を読んでいるシニアの人々もいる。

僕は勝手に彼らの境遇を想像し、僕は彼らにとってどう見えているのかも考えた。だが後者を考え始めた時、彼らが僕のことを全く見ようともせず、目の前の「現実」に集中している事に気付いた。

社会人になって数年が経つ。仕事をする日々自体を快楽と捉えることもできず、だからといってプライベートの活動が広がりを見せることもなく、僕は「可能性」というものを持て余したまま、夕方の公民館にひとり立つ。

僕は14歳頃、全く定期試験の勉強をしない子供だった。
定期試験が終わった後のことを想像し、楽しみにしているコンテンツをあれこれ思い浮かべ、それらについて妄想を膨らませることで、勉強すべき時間を自ら手放していった。
目の前の「現実」と向き合って仲良くすることは苦手だった。

今となっては、その「可能性」が自分を苦しめていると自覚しており、いかに「現実」に目を向けるかに苦心している。
はやく折り合いをつけたい。はやく「可能性」を諦めたい。


僕が短編を書いてきた理由は、僕より「可能性」に溢れた人を見たかったからだ。僕が経験しえない人生を代わりに歩んでほしいからだ。

主人公は女性にする。自分は男性で、女性として生きるのが叶わない。

主人公たちは僕よりコミュ力が高くて、女性として「美人」とか「可愛い」と言われやすい顔面を持っていて、友達が多くて、近寄ってくる男性の処理に困っていて、解消しようのない「高次」の葛藤を抱えている。
僕が経験しようのない生き方を彼女らはすることができる。
彼女らを書くのは、僕自身が人生の「可能性」を諦めきれないからであり、同時にその「可能性」を追い求めるスタミナが湧いてこないからである。

子は親の夢を叶えるための道具ではない。子は親の人形ではない。
夢は自分で叶えるか、同じ夢を追う人を支えることで薄めて享受するか。
僕の夢は僕が書く主人公たちが叶える。


人間は基本的に他者を思い通りにしたい。

あなたの生き方を尊重するよ、あなたのやりたいようにしなよ、と言いながら、その人が自分の想定を外れた行動をしだすと困惑したり批判したりする。サルトル読めるようになりたい。

だけど自分の思い通りにいく「他者」(=他人だけでなく自然も含めて)なんて殆どないから、僕たちは日々ストレスを抱えていく。

「何も思い通りにならない」というのは人生の本質的な部分かもしれないけど、それが分かっていても、僕らは「何かを思い通りにしたい」という欲望から逃げられないと思う。

こうやって溜まっていく日々のストレスを解消するために、小説を書くのはいい方法だと思う。自分とは境遇の違う主人公を作って、彼/彼女らを思い通りに操作してみると、「他者を思い通りにする」という欲望を一時的に満たすことができる。

(まぁキャラをちゃんと練っていると、登場人物が勝手に動き出す、なんてことも起こるから、キャラは練りすぎずに)


最初に「可能性」とかのワードを展開しておきながら、後半話が変わってきた。本当はこんなことが書きたかったんじゃない。

ノウハウ的なところを「なるほどぉ」と頷いて読んでくれたあなたのこと大嫌いなので、2度とnote開かないでください。

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