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うるさい。他人の言葉を排除しろ

「時間を無駄にするな」「今から始めてももう遅い」「20代じゃないと…」みたいな強烈なフックがときどき死角から飛んでくることがある。

頑張って対抗するんだけど、打ち込まれたフックは強烈で心にダメージを負い、ネガティブな気持ちになりながら、何かを少しずつをあきらめる

上記のような思考回路は1つ間違いがある。

どこが間違っているかというと、
いちばん最初。

自分の中に他人が介入してきてるところ。そこが間違っている。(あきらめること自体は1つの選択肢なので、間違っているわけではない)


客観的に見て、若いほうが良いというのは合っているとは思う。だけどそれは、20歳と30歳どっちが良い?と聞かれているようなもので、そこに顔はない。自分はいない。今まで生きて頑張ってきた経験も努力も、悩みも病気も、何も考慮されていない。そんなものに影響を受けている場合ではない。

自分は自分で、他人は他人という自覚を持つこと。勝手に自分の人生を決められるようなことがあってたまるか。他人に口出しされて決めるような人生を送りたいか?年齢なんて関係ないよ。とは言えないけど、他人がこう言っているから諦めるっていうのだけは、ありえない。それは死んでいるのと同じだ。脳死。自分の思考が死んでいる。そして、人に流されるまま生きていくと、だんだん存在意義が分からなくなっていく。存在が死に始める。

自分がやりたいことをやる。自分が、自分が。日本ではエゴというものをひどく嫌う傾向がある。そのほうが扱いやすいから。でも今の時代エゴこそが大切だ。なぜなら、簡単に生きていける時代になったから。昔はみんなで農作物を育てないと生きていけなくて、一人だけではなかなか生きていけない時代だったけど、今は違う。いろいろな仕組みができて、便利になった。むしろ今一番邪魔になるのは他人だ。僕の好きな言葉の一つに、「地獄とは他人のことである」という言葉がある。頑張ったらバカにされ、頑張らなかったら蔑まれ、どちらにしても何か言われる。邪魔でしかない。

あなたがすることは一つだけ。
自分の中から他人を排除すること。

自分に正直に生きること。怖いとか不安だとかを感じながらも懸命に生きていくこと。他人に背中を押されることもある。だからこそ他人は厄介なのだ。

他人の言葉に耳を貸しすぎるのは良くない。他人の言葉をアドバイスとして聞いてはいけない。すべての言葉に対して、それを拾うか拾わないかは自分が決める。他人の言葉は棚に陳列されている商品のようなもので、自分が気に入った言葉だけをとっていけばいい。ときどき他人の言葉を聞かなかったから、痛い目にあったりするかもしれない。でも自分で決めて実行して痛い目を見るのは、そこまでつらくない。自分が決めたことだから。自分が一生懸命生きている証になる。他人の言葉に左右されて何もできなかった自分になるよりは桁違いに清々しい。

自分で納得して歩いていくのと、他人に聞いたことを頼りに歩いていくのどちらが良いか。

年齢の話もそうだよ。

自分のやりたいようにやること。人間なんていっぱいいるんだよ。社会にとってあなたの代わりはいくらでもいるが、あなたにとってあなたの代わりはいない。

こんなこと誰でも知っているはずなのに、死角から打ち込まれたフックのせいで冷静さを失って、「あー僕はもうだめなのかなぁ」とか言って弱気になり始める。

そして大体の人が「やり始めるのは早いほうがいい」「今が一番若い日」と言い返して、対抗する。
しかし、打たれたフックは確実に心に効いていて、もう意地と気力で立っているみたいな状態になる。そして倒れたら最後。倒れなくても時は進む。確実に追い込まれていく。
敵を倒すしかない。意地と気力しかないけど、倒すしかない。「フックを食らわせてきたやつに泡吹かせてやる。」「俺がこの年齢でもできるってことを証明してやる。」そんな復讐に似た気持ちで立ち向かい戦う。

報われるのは、倒したときだけ。つらいかな。きついかな。どうだろう?

僕にとってはこれこそが生きている意味になるのではないかと思う。報われるのは、倒したときだけ。当たり前じゃないか。やりたいことを諦めても報われる世の中なら、こんな悩んでないよ。

考え方を少し変えるんだ。報われるのは、倒したときだけ。勝ったときだけ。だから楽しいんじゃないか。ワクワクするんでしょ。スリルがある。生きるか死ぬか。この瀬戸際がいちばん生を感じられるんだ。

そこに他人はいなくて、僕だけの世界が広がっている。

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