【Radio】「評価」よりも「価値創造」の仕組みを。〜人事制度って本当に必要?から問い直す〜

鹿児島県から、おやっとさぁ。
株式会社musuhi、CHRO平野です。

前回、2023年5月12日(金)に行われた、

人事・組織にまつわるテーマを愉快に探求する「戦略人事の郷中ゼミ」主催イベントvol.3
経営と人の、願いを反映する人事制度のデザイン
~制度って本当に必要?から問い直す、評価と報酬のもろもろどうするの問題~

の内容について、書きました。

実はあの後、興奮冷めやらぬ状態で(?)
登壇者3人、つまり、けんじさん・やすさん・ひらの(私)は

「私たちはこのトークセッションで、会場の皆さんと共に、何を体験したのか?」
「結局、人事制度はいるのか、いらないのか?」

というテーマでRadio収録を行いました。

私としても、場のリフレクションを行いたかった、
という理由もありますし、
郷中ゼミのアフタートークとして収録することで、
面白い音声メディア作品(=Radio)になるのではないか、
という仮説を持っていました。

結果…

……。

………………。


自分で言うのもなんですが、
なんとも言えないじわじわくる面白さがあり、
Radio番組として成立しているものが収録できました。笑

なぜか、後半に行くほど熱量が上がってきて笑えます。
ぜひご視聴ください。


このRadioの収録内容を、以下、noteにサマリますね。

戦略人事の郷中Radeio#1 郷中ゼミアフタートークのサマリ

私としては、この時、当初持っていた問い、

「人事制度って、結局、なんなの?必要なの?
(いらなくない?手段の一つでしかなくない?多くの会社が、人事制度ありきで考えすぎじゃない?その制度こそ、人と組織を不自由にする逆効果ありすぎじゃない?)」

というようなことに、
場としての答えが出たような、出なかったような感覚でした。
なのでRadio冒頭ではそのことを蒸し返しました。

「人事制度が、必ずしも必要じゃないということはわかって。
で、結局どうすればいいの?人事制度的なサムシングは、どうやってつくったらいいのかわからないままなんですけど」

的な。

すると、ゲスト講師のけんじさんが、

「人事制度パッケージつくりたいと思ってるんだよね」

と言い出して、

そう思ってましたーーーーー!
その型のパターンこそ、今回の「郷中ゼミ」の中で探求して
結論として発表したかったことっす!
(ちょっとけんじさん、構想あるなら、早く言ってよーーーー😹)

と、思ったわけです。笑

というのは、人事制度って、相場的に、
コストで見ると、数百万円〜1000万レベルのお金をかけて、
半年〜1年という時間をかけてつくる、というような慣習があって、
事業会社からすると、重たいなぁという感覚があったためです。
スパン長すぎる、お金かかりすぎる!っていう。
もちろん、何においての「投資」なのか、ということがあるわけではありますが。

また、今回の戦略人事の郷中ゼミでは、
「評価とは何か」「制度とは何か」「報酬とは何か」というような、
本質論を行き来し、
良質な問いのシャワーが生み出されたわけではありましたが、

how to(やり方)においては、
わかりやすく、簡略化・合理化して示してよ!教えてよ!
とも思うわけです。(参加者目線)


やすさんは、

「規模次第だけど、人事制度、いらないっすね。必ずしも、“人事制度”としてつくらなくていいんだなと思ったら、気持ちが楽になりました」

と応じてくださいました。
この言葉、嬉しかったなぁ^^

そして話は、

郷中ゼミ本編の中で、
「評価しようとして評価しないほうがいい」
「スタートアップやベンチャーは、「評価」よりも「価値創造」が重要だ」

という、鍵になったtopicの話題へ。

収録本番直前の一枚。なんかみんな、てかてか。

評価とは何か?

とかく、「評価」という言葉には、あまりいい印象ってないですよね。
したくもないし、されたくもない。

それって、なんでなんでしょうね?

と考えてみると、そこには「(相対)比較」のものさしがあり、そのものさしによって「(相対的な)優劣」がつけられてしまう気がしませんか?
そしてそれは、他者(だいたい上司。360度評価の場合は同僚など)によって一方的にされるイメージ。

けんじさんは、郷中ゼミおよび、郷中Radioの中で、

「評価とはなんぞや?を問い直した時、
評価とは成長のための気づきを与えること

と定義した上で、

「気づきを与える、ということの効能には3種類ある。
何を狙うか?によって、若干ツボが違ってくる」

と仰っていました。

▼評価(気づきを与える)の効能3種類
1、会社の価値創造
2、自分の成長度合の認識
3、お互いを理解し合うこと

私自身、
評価制度といえば、
組織文化の醸成に直結するシステムであり、
「承認と感謝」を循環させるシステムとして効果的、
という理解をしていましたが、
何を狙うか、その意図によって、ツボが若干違ってくるんですね。

この「気づきを与える」ことにおいて重要なのが、
本人が知りたい前提」なんですよね。
知りたくもないことを、「気づけ」って言われて、
「あなたはこうである」とフィードバックされても不快なだけですよね。
(往々にして、そうなりがちな側面ありますよね)

このことを、郷中ゼミでは、ランナーに例えました。

タイムを上げたい、速く走りたいランナーがいて、
タイムを測るマネージャーがいる。
走り終えた直後に、マネージャーがタイムウォッチを止めて、
「18秒33!」
とかってシャウトする。
するとランナーが、
「ああ〜前回より、'30秒遅くなってる!悔しい!もっと頑張ろう!」
とか思い、
マネージャーに対して、
「計測してくれてありがとうございます!」
とかって、なる。

これ、とても重要で、
何がこの話の起点かって、ランナーが「速く走りたい、タイムを上げたい」という目標を持っており、その目標のためにマネージャーが実際のタイムを伝えている(気づきを与えている)という順番なんですよね。


配信チーム!スーパープロのすべさんandはるみん。


「評価」における信頼はコミュニケーションでカバーできるのか?


ここまで読んでお気づきかと思いますが、
実際の評価制度の運用の難しさって、タイムウォッチで「時間」という「定量的な事実」を測る、というわかりやすさだけじゃ運用できなくて、
どこまでいっても「人の解釈」が入ることなんですよね。
だから「評価者研修」を行い、評価者の視点を揃える、というような打ち手を取るわけですが、うーん、、、終わりがない印象で、まどろっこしい。

この論点において、
郷中ゼミの第2部で面白いやりとりがありました。
カメラを止めて、会場参加者のみで行われた内容なので、
詳細は秘密保持のためここに書けないのですが、

問いとしては、

評価、ということに人の解釈が入り続ける限り、100%全ての人を納得させるものにはなり得ない。
であるならば、大事なのは、評価する人とされる人の間での「信頼」であり、その信頼をつくるものはコミュニケーションである。
コミュニケーションの質・量で、評価制度における納得のいかなさを補填しきる事はできるのではないか?

という要点です。
「そうかもしれない」し、「そうではないかもしれない」という議論が巻き起こり、これは非常に面白かったです。
皆さんのチームでは、どうですか?

盛り上がった、当日の第2部

なんとなくつくる仕組みほど無駄なものはない。

Radioでは、けんじさんが、
「評価と報酬とが結ばれる限り、完全無欠にはならない」
とも言ってくださっていて。

ここは本当にそう思います。
また、上述しましたが、評価の不愉快さって、
他人・社会のものさしにあてがわれることや、比較にある
と思います。
なので、ノーレイティングの評価を行う、という設計もオスススメします。

比較、の話でいうと、Radioの結末は、
比べることの無駄さ
比較なんてできっこない
という着地をしてて、今ここに文字で書こうとすると長くなるので割愛しまが、妙に納得しましたよ、私。
皆さんにも「なるほどね」って思っていただけると思います。

ちなみに、「比べることの無駄さ」の話の中で、
「恋人の携帯を盗み見しない方がいい。見ても意味がない。そこにあるやりとりの文脈がわからないのだから」
という、恋愛メタファーの例えを私がしましたが、ややすべったことは、
ここに書いておきます。笑

ロボット・AI、チャットGPTなんか出ちゃったこの時代に
人間にしかできないことをしたいものですよね。

時代背景、はたらくということ、自社の存在理由、何を目的に行う評価なのか、評価と等級制度・報酬制度とをどう連動させるのか・させないのか…etc.
広く・深く、考えきってデザインしたいものですね。

なんとなくつくる仕組みほど無駄なものはない、
というのも、Radioのまた一つの着地でした。

どうぞお楽しみくださいね!
(再掲)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?