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絡み合った文化 マレーシア

タイのタオ島で年越しを楽しんだ後、KLからオーストラリアのパースに飛ぶ為に僕はマレーシアへと南下していた。


正直マレーシアについて何も調べもしなかったので、とりあえずバスで向かいやすくベタなペナン島へと向かう事に。


マレーシアは人口約3195万人で本土と飛び地の様に島の一部が領土となっている。

上はタイ、下はシンガポールに挟まれたマレーシアだが、行ってみて一番の見どころは何か?と言われたら、その人種の多さだろう。


マレーシアにはマレー人が住んでいる事は住んでいるのだが、移民が非常に多い。中華系やインド系が多くを占め、ヨーロッパ系も少なくない。


東南アジアから降ってくると余計に人種の多さに面食らうのだが、宗教感や生活様式までごちゃ混ぜになっているので正に異国と言った感じだ。


元々イギリスの統治時代にスズの鉱山で働くために大量の移民がこの国に押し寄せた所からこのごちゃ混ぜ状態が始まったらしい。短期的に旅行で行く分には上手く共存出来ている様に見えたが、政治的にも宗教的にも共存するには難しそうな感じはする。


そんなマレーシアのペナンに到着すると、とりあえずびっくりするのがインドの寺院の隣に中華系のお寺が建っている事だった。テーマパークなら分かるが、それが当たり前にそこに存在する。

共通語はマレー語と英語、同じ人種同士ではヒンディーや中国語が飛び交っている。


また肉まん屋さんの隣にビリヤニ屋さんがあるのも面白い。


このペナン島は元々イギリスの東インド会社が貿易の拠点としていた島で、ジョージタウンという観光エリアには古いイギリス様式の建物が多いのだが、それ以外のエリアには産業ビルが立ち並ぶ近代的な街が広がっている。



国民の大半がイスラム教徒であるため、ヒジャブと呼ばれるスカーフを頭から巻いているのだけど、やっぱりイスラム圏の人を撮るのは難しく、断られてばかりで落ち込む日々が続いていた。


そこで気分を変えるために観光地のペナン島から、太平洋側のコタバルへと移動する。


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コタバルのセントラル市場

コタバルも都会ではあるが、そこそこ田舎な場所でイスラム色の強い街としてマレーシアの中でも有名な場所らしい。それを知ったのが移動した後だったので、結果ポートレートを撮る事は叶わなかったのだがアジアのイスラムの街の雰囲気だけでも何枚か収められたので収穫はあった。


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多分マレーシアの女子高生

クアラルンプール KL

コタバルも空振りに終わった僕はいよいよ最後の街クアラルンプールへと移動する。

クアラルンプールは略してKLと呼ばれ、マレーシア最大の都市となっている。高層ビルが立ち並び、車の往来も頻繁な正に大都市と言った様相。

他の地域とは違い蒸し暑さが都会のそれで、夜は熱帯夜となる日が多かった。

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KLといえばこのツインタワーなのだが、如何せん建物に興味のない僕は、そのツインタワーを撮る人々の方が気になって仕方無かった。


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あのツインタワーの写真を撮る際は皆大体がこの格好になっている。


後は建物で言うとKLタワーだろうか。

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この辺はバスを利用しなくても徒歩で観光ができる範囲内で、地図を片手に街中を歩いて回ったのだが、新しいビルとイギリス統治時代の建物に、中華系の提灯が何ともマレーシアらしい光景となっていた。


KLの安宿は中華街に集中していて、何件もあるのだけど、旅慣れた人は聞いた事があるかもしれないが南京虫(ベッドバグ)が多いのが特徴だ。


この南京虫、日本ではもう聞き慣れない生き物なんだが刺されると猛烈に痒い。形的には小さいカメムシで色は茶色く、大体がベットとマットレスの隙間、若しくはベッドのヘッドレストに隠れていて夜中寝静まった頃に現れて刺されてしまう。


一匹いたら大体10匹は居ると思った方がいい。見つけたら即部屋移動だ。


昔カンボジアのシェムリアップで一晩の内に100箇所以上刺されて病院送りになった旅人に会った事もある。


宿で聞いた話では中国本土から来た観光客の荷物に潜り込んでいるらしく、何度掃除しても居なくならないらしい。勿論僕が泊まっていた部屋にも何匹かお出ましした。

出てきたら、それが真夜中だろうと何だろうと水戸黄門の大乱闘シーンくらい奮闘する事になる。何度も。


対処法は無いに等しいので、部屋をまずは見せてもらい、ベットチェックしてから泊まる事をオススメする。


そんな中華街だが悪い事ばかりでは無い。


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新年という事もあってか中華街は活気に満ちていて、ドラゴンや獅子舞が通りを練り歩き、人でごった返していた。

食べ物は中華と言えば中華だがイスラム教徒の多い国ではハラル料理と言って豚肉を調理器具に到るまで徹底的に排除したメニューがある。


日本のお菓子にもたまにあるが、イスラム文字のマークが裏面に書かれている場合それはハラルの証になっている。


そんな中で一番お気に入りになったのが鍋焼きうどんだ。

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ネパールのトゥクパ以来うどんらしいうどんを食べて来なかったので箸が進むどころか、滞在中何度も通う位美味しかった。


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半分野外に出た調理場からはいい匂いが漂ってくる。



KLは下町も中々面白くて、朝市などには新鮮な魚や野菜、果物に干物など様々な物が売られていた。勿論綺麗なスーパーマーケットもあるが、やっぱりこうした市場での買い物がアジアの良だろう。

何でもパックして売っても家に帰ればゴミが増えるだけだ。

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こうしてマレーシアの滞在もあっという間に過ぎていった。

写真を撮る為に旅をしている上で下調べをしないと良いものが撮れないという事を痛感したが、タイやラオスなどには無いアジアの新しい雰囲気を味わえて楽しい滞在となった。


またここまで真理子(今の嫁)と一緒に行動してきたが、ここからオーストラリアへは一人で飛んだ。

最後に僕の誕生日も兼ねてヒルトンのビュッフェをご馳走になった。中華街のボロボロ宿からホテルの高層階でビュッフェだったので緊張したがこういう楽しみ方で海外を旅するのも悪くないんだろうなと思える程美味しい物を食べさせてもらった。


ここから放浪は一先ず終わり、オーストラリアで仕事をしながらの滞在となる。


このワーキングホリデーという制度と先進国で暮らすという事が結構大変で過酷である事にこの時はまだ気づいていない。


嫁は一足先に日本行きの飛行機へ搭乗し、僕もタイガーエアで一路オーストラリアのパースへと向かう。


全財産10万円を握りしめて。



次回 世界写真放浪記 オーストラリア パース


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