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食卓の薄暗い灯りが照らす「寂しげな母の背中」

チャオ!

どうも、料理家のガンガンです👨‍🍳
今日はふと思い出したお話をしたいと思います。

高校生の時のお話

当時、僕は学校から帰ってきて、用意された母が作った晩御飯を食べていました。

本当にいつも通りです。

父は仕事で帰りが遅く、その時はたまたま祖父母もおらずだったので、2人での夕食でした。

僕は食べるスピードが早く、いつも家族でも一番というくらい。
食べ終わるとそのまま2階の自室に向かいます。

でも、その日は違いました。

この日から僕の行動は変わりました。

背筋が凍り、胸が苦しくなった

「ごちそうさまでした」

食器をシンクに片付け、2階へ行く階段に向かう途中。

目に飛び込んできたのは、「母の寂しげな背中」。

僕はお化けにでも遭遇したのかのように背筋がゾワゾワッ!として、胸が苦しくなりました。

天井から吊るされる薄暗いテーブルライトが母を照らし。
静かなダイニングに響く「カンッ!カンッ!」という茶碗の中のご飯粒をかき集める音。

僕は自然とさっきまでご飯を食べていた、自分の席に腰掛けていました。

その頬には確かに涙が。

その時のことは、鮮明に覚えています。
母には気づかれないように、ティッシュで鼻を噛んだ。
そのまま僕は母が2階に上がるまで、席に座り続けました。

失礼だ

この時僕は、なんて失礼なことをしているんだと思いました。

作ってくれた人よりも早く食べ終わって、そそくさ席を後にする。
失礼極まりない。

家族だから?親だから?当たり前?
そんなもん知らん。

明らかに作り手への感謝が当時の僕は欠落していました。

今自分が作り手になって、本当にこれは実感していることですね。
「いただきます」の捉え方にもよりますが、ここに考えは通じてきます。

この解釈は別の記事に記しますね!

今も変わらず

それ以来僕は、母が食べ終わるまでは食卓に居続けるようになりました。
これは母には明かしていません。

正直、恥ずかしいですw
でも、いつかバレるんだろうなとは思っていますw

こうした少しのことでも、何か皆様の日々の気づきになればいいなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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