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『(行くか行かないかって)選択肢は一つしかないんだよな?』大学病院への転院打診【総合病院E-ICU14日目】

この頃の父は明らかに口数が減っていた。炎症のせいで血中の水分を保持するアルブミンという成分が減り、血管から水分が滲み出て肺に水が溜まっている。胸水の影響で息苦しいのがその理由だ。それに加えて何だか喋りにくそうな様子があった。口の奥の方にモゴモゴとモノを溜め込んでいるような感じ。痰の検査をするのに苦しい思いをしたことがあったから、もしかして検査ですぐ出せるように口の中に溜めているんじゃないだろうか?と思った。

実際はそんなフザケた理由なんかじゃなかった。この時はまだ気づかなかったが、喋りにくさには実は別の原因が潜んでいた。これがのちのち家族の私の方が泣きたくなってしまうほど、父を苦しめることになるとは思ってもみなかったんだけど。

入院14日目。病室まで連れていってくれた担当看護師さんより「グレイ先生からご家族にお話があります」と言われる。私と妹は骨髄とリンパ節の検査結果が出たのだろうと予想していた。血液のガンか、それともまたまた全て陰性なのか…どんな結果でも受け入れなくちゃいけないんだよな、と少しの覚悟と諦めもあった。

父の顔を見て少し経つとグレイ先生が来てくださった。『ちょっとお話聞いてくるね』と言い残し、先生と見慣れない看護師さんと共に面談室へ。

『これまでいろんな検査をしてきました。今の段階でわかっているのは、急性の腎不全(無尿状態、持続透析が必要)、胸水や腹水、血小板数値が1万〜4万(通常は10万以上。父は血小板輸血をしても4万が上限の輸血依存に陥っていた)、炎症の数値を表すCRPが11.0(通常は陰性)、同じく高サイトカインなどの全身炎症が挙げられます。その他、先日の骨髄検査で骨髄繊維症(繊維化してしまうことにより血液が正常に造られない状態)が見つかりました。ご入院されてから全身状態が良くならず、どうも細菌感染だけでは炎症の説明がつかないと考え、今週からいくつかの大学病院等にコンサルしながら原因特定を急いできたんですが、その中で『TAFRO症候群』という非常に稀な病気の可能性というご意見をいただきました。お父さんの場合、唯一リンパ節生検の結果だけが合致していない部分もあるのですが、ひとまずその病気の方向で検査を進めることが必要だと思います。ですが市中病院ではこれ以上の検査は限界があるんですね。それである大学病院での受け入れを打診したところ、ご本人・ご家族の承諾があれば受け入れOKの返事をいただいています』

タフロだかアフロだか難しいことはまだよくわからないけど、たとえ稀な病気だとしても【原因がハッキリするかもしれない】という可能性は、その時の私にとっては光だった。とにもかくにも原因究明とそれに対する治療が家族の何よりの希望だったから。

『転院先は長女さんのご自宅近郊の大学病院です。ここからはヘリでの移送を考えています。所用時間は約1時間。今のお父さんの状態を考えると移送時間は短いほうが良いかと思います。天候状況によりヘリが飛べない場合救急車での搬送になりますが3時間はかかってしまいます。当日は晴れることを祈りたいですね』

へ、ヘリ???
あの、コードブルーで観たドクターヘリのこと???
スケールがデカいんですけど…

いろんなことを一気に言われて、私も妹もかなりアタマがぐわんぐわんになっていたが、そんなことはお構いなしにグレイ先生は話を続ける。

『来週の月曜日、明々後日ですね、あちらの病院に転院の段取りを打診しています。あとはご家族と、お父さんのご同意なんですが…』

私たちはもちろん転院手続きをお願いしたいと思っていることを伝えた。グレイ先生も、ひとみ先生も、他のスタッフさんたちも、父の不可解な症状や急激な全身状態の悪化に対して全力を尽くして下さったからこそ、ここに来てようやく手がかりが見つかりそうなのだ。たとえそれがか細い糸のような可能性だとしても離すわけにはいかない。

が、グレイ先生が懸念しておられるのはどちらかというと父の同意の部分だった。入院が長引き、看護師さんとのコミュニケーションのすれ違いもあってストレスフル状態になっているのは先生もご存知のようで、このまま医療スタッフが「ここではこれ以上検査できないから大きい病院に転院してください」などと父に伝えようものなら、そっぽを向かれてしまうのではないか、と気にしておられる様子だった。

『私たちが父に伝えて説得します』そう答えると、グレイ先生は『あぁ、それがいいと思います。よかった』とホッとしておられるのがわかった。父と私と妹、家族全員のことをどこまでも気にかけてくださる先生なのだ。

『お父さんには今日伝えられるんですよね?じゃあよろしくお願いします』と言ってグレイ先生は面談室を後にされた。

その後はヘリ移送の手続き。入院時同様ぐっちゃり書類書きをさせられた。後になって医療関係者の義弟から聞いた話では、市中病院でヘリ移送の患者の手続きをする機会はほぼないのではないか?とのことだった。目の前にいる見慣れない看護師は実は師長さんで、師長自ら手続きをしてくださったのはおそらくそういう理由なのだろう。「家族がヘリに同乗するかしないか」については最後まで情報が二転三転し、その都度、同乗する予定の妹があわあわする羽目になった。そう言われれば手慣れてない感が漂っていたっけ。

病室に戻る途中「私じゃうまく伝えられないと思うから、姉から伝えてもらえないかな」と妹に言われていた。こういうのは【生まれた順番】なんだと思っている。どう転んでも”長女さん”は私だもんね。

『これまでいろんな検査を頑張ってもらったけど、いまだに原因がわからないみたいなんだよね。お父さん、少し大きな病院に行ってみない?』

父にはこう、切り出してみた。すると少しの沈黙があった後、

『一度は大きいところへ行かないといけない気がしていたんだよなぁ』と父。

ちょっと意外な返答に一瞬たじろぎそうになったけど『グレイ先生が大学病院を当たってくれたんだって。もしかしたら少し珍しい病気かもしれなくて詳しい検査はここでは難しいみたい。…やっぱり、地元を離れるのは不安?』と再度問いかけてみた。

【だからって、選択肢は一つしかないんだよな?】

疑問形だけど問いかけているのではないと思った。たぶん、自分自身に言い聞かせている。それでも私は「うん」と頷いた。

父と私たち娘との間には、少なからず気持ちや考えの解離があったはずだ。患者家族が一番辛かったのは「なぜこんな状態になっているのか原因がわからず治療ができていないこと」と「最悪のケースを想定しなければいけない状態が続いていること」だった。一方、父本人が辛かったのは病状のしんどさと併せて「自分の体がこれからどうなるのかわからないこと」と「医療スタッフとのコミュニケーションエラー」だと思う。

そう考えると、県外への転院は相当なストレスになるだろうと容易に想定できた。もともと病院なんて大嫌いな父だ。これからまだ辛い検査が続くのか…その上また新しい環境か…何か大きな病気なのだろうか…帰ってこられるだろうか…など、本人の不安はかなりのものだったと思うけれど、家族にだって本当のところはわからない。

それでも父は、たった数分で「選択肢はひとつ」と答えを出した。そうするしかないという諦めもあったかもしれない。

父から学ぶことは、たぶん多い。

救急搬送から2週間。
ある一つの稀な病気の可能性を肯定するため、父は大学病院にヘリで転院する。

事実は小説より奇なり。人生はドラマ。
この言葉がこんなにしっくりくるなんてね。

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