《後編》長女さん、底意地の悪いオバさんと化す【大学病院ER19日目】
「ミスはそっちのせいでしょ?なんで私が動かなきゃいけないの?」
救命病棟の待合に潜む【闇】が私を意固地にさせ、負の感情に燃料を注ぎ、炎上しつつあった前編。
その後の顛末はまるで「いじわるばあさん」と化し、一気に老け込んだ自分の姿だった。
面会時間終了10分前《爆発》
私は完全にイライラしながら、ただただ怒りを身体中に溜め込んで、じっと空の一点を見つめていた。トイレも行かず飲み物も取らず、時折脚を組み替えながら「その」タイミングを待っていた。
抗議だ。
面会終了時間が近づいていた。私は勝手に猶予を終了10分前と決めた。それまでの間に呼びに来てくれて、理由をちゃんと話してくれたら、私は怒りを沈めミスを許そうと思った。
が、期待も虚しく、いや、ある意味期待通りか、面会終了10分前になっても看護師さんは来なかった。
時は来た。
待合からは死角になっている救急外来受付に向かう。
『あの?面会を待っているんですが、1時間半呼ばれないんですけど?』
つとめて低いトーンで、受付のお兄さんに詰め寄った。
するとお兄さん
『受付はされたんですよね?』
(は?)
お兄さんのこのセリフで、また燃料が投入されてしまった長女さん。さっきよりもさらにワントーン落とし『はい、17時45分に』
(いや、アンタに受付用紙を渡したんだけど?)
受付リストをパラパラめくり、確認するお兄さん。『そうですよね、確かに。今、確認して来ますのでお待ちください』そう言ってそそくさと受付を出て病棟内に入っていった。
5分後、看護師さんが待合にやって来た。
『すみません、確認ミスがあったみたいで(汗)』
その、他人事のような言い草に、さらに燃料投下(ふざけんなよ?誰のせいだよ?)
『え?だって今日、先生と18時にお約束でしたよね?』
『そうなんです、先生も長女さんが来るのをお待ちになってたのですが、先ほど帰られてしまって…』
先生は、私が約束を破ったと思ったに違いない。もうサイアク!私はここにいたんだよ?ずっと待ってたんだよ?
でも、先生も待ってたんだよね。私が来るのを…
もうそれ以上、何も言葉が出てこなかった。私の沸点なんて所詮こんなもん。ぶちまける勇気なんてないのだ。私の方を見ようとせずいそいそと前を歩く看護師さんの背中を見ながら(この人が悪いわけじゃないかもしれないしな)と、ドロドロした闇も燃えたぎった炎も静かに消沈していった。
最後の1時間は完全に私のエゴで先生をお待たせした。すぐに受付に確認していたら…そう思うとちょっとだけ自分の意固地が恥ずかしくもあった。
父の心配とリスケ
病室の入口にある伝言ボードを見る。「○時、面会に来ています」の文字が書かれていなかった。ということは今回の伝達ミスはあの受付のお兄さんの仕業?
実はそうとも言い切れなかった。
受付スタッフは家族の面会を受け付けた後、内線にてスタッフステーションに連絡。電話を受けたスタッフが病室のボードに面会を知らせる伝言を書き、それを見た当日の担当看護師が家族を呼びに行く、という流れなのだ。
どこでミスが起こったのか結局のところはわからない。つまり責めるべき相手が特定できないのだ。やり場のない怒りは治める以外に置きどころがない。
さらに決定的だったのは入室時の父の表情だった。それはすっかり「安堵」を表していて「よかった」という顔。『娘さん、ずっと前にいらしてたみたいなんです』と看護師さんから声をかけられた父は『あぁ、そうだったのか』とため息をつきながら私を案じてくれた。
そんなん見せられたら、怒っているのバカらしくなるじゃんね。
待つのが苦手な短気気質だったり、怒りの気持ちを表に出したりするのは、父譲りだと勝手に思っていた。自分は昔見た父の姿によく似ていると自覚するフシが多々あるからだ。こういう性質も人間らしくて嫌いではないのだけど、「父から譲り受けた」というのは訂正しないといけないのかも。たとえ父に似たところがあるとしても今やすでに自分オリジナルだ。現に同じ状況に直面した父は今、怒っているのではなく心配しているのだ。
(やっぱり意地にならずに受付に確認すればよかったかな…)
父の顔を見て、ちょっとだけ、ううん、ほんの僅か、後悔した。
『あの…明日は何時頃来られますか?長女さんのご都合に合わせて来ていただけるよう先生にお願いしようと思いまして』看護師さんが遠慮がちにそう話す。
『では、午前中、面会時間開始前に来てもいいですか?』翌日予定が入っていた私は、先生とのお話の時間を取るために面会時間の前倒しを要求した。
『あ、ええ大丈夫です、わかりました!その時間で調整しておきます。本当に申し訳ありません』と看護師さん。
なんだかちょっと可愛そうになってきた。
自分で仕掛けておいてナンだけど、結局私はコレが欲しかったのだ、と思った。謝って欲しかった。今日の件はこの看護師さんのせいと決まったわけじゃないのに、性格悪いねぇ。ホント底意地の悪いオバさん。
血だらけの首元
直接的ではないにしろ父と看護師さんになだめられ、ようやく落ち着きを取り戻した私の目に、父の首元の映像が飛び込んできた。
たっぷり血を含んだガーゼが巻かれ、幾重にも重ねてあてがわれているガーゼにも血が滲み、下には尿取りパットが敷かれていた。よくよく見ると、血小板輸血の点滴管が繋がれている。
流血と輸血。冷静に考えればごもっともなんだけど、いろいろ混乱してた私にはそれがちぐはぐに感じられた。
出血は透析用カテーテルからだ。持続透析を外し、4時間の透析を実施していた。今日の透析を外した後の出血が止まらないみたいなんだと父が説明してくれた。
血小板の数値が減少するTAFRO症候群は、血が止まりにくくなる、出血傾向も進み体の至る所で小さな出血が起こって出血斑が出る、などの症状がある。外傷はその程度によっては命取りになる場合も。
透析を短時間に変える、ということはつまり、外傷ができる機会が増えるということだった。ただそのリスクは、透析から離脱できないリスクに比べると重要度が低いということなのだと思う。輸血で補い、ガーゼで止血を施すという処置が取られていたが、やはり首からの出血は止まりにくくなっていたようだ。
もうなんか、どう受け止めていいかわからなくなっていた。父にも何と声をかけていいか全然言葉が出てこなくて『そうなんだ』と返すのがやっと。
病院に来て3時間、すでに20時半を回ろうとしていた。
黙々と父の身の回りのケア準備をしていた私に、父が『今日はもう遅いから大丈夫。明日もあるから帰りなよ』と促してくれた。ホントわかりやすい人間だな、自分。精魂尽き果ててるの、すぐ父にバレちゃったよ。
***
やっぱり怒りの感情に身を任せちゃダメだ、帰り際つくづくそう思った。感情が出てこないように抑え込む必要は全くないけど、燃料を継ぎ足し、延焼させちゃダメなんだよ。
18時の決断が全てを狂わせた。あの時椅子から上げた腰を戻さず、立ち上がって受付に確認していたらこんなに疲れ果てることはなかったし、父に心配させなくて済んだし、待たせた挙句先生を帰らせることもなかったし、看護師さんを萎縮させることもなかった。
心の闇。
ふとした拍子に、スキマに入り込んでくる厄介なやつ。
まんまとやられたよね。
まあこうなったらもう、しっかりネタとして語り継ぐしかないから、ね。
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