「わからない不安」病に冒された長女さん、「ザ・昭和」な父に助けられる【大学病院ER22日目】

大学病院に来てからずっと、父のベッドはスタッフステーションの目の前だった。それは素人の私でも「急変に備える」「何かあってもすぐに来れる」そういう意味だということがわかっていた。

そして3週間経ち、この日父はスタッフがいるところから一番遠いベッドに移っていた。症状が落ち着いてきたことを示す良い兆候だった。

ところが父は少し不安そうにしていた。

『ドアは開いたままにしておいて』(実際はドアが閉められたことはない)

『帰る時は入口のカーテンを開けていってほしい』

『スタッフの班が変わっちゃったから対応が全然違うんだよね』(スタッフは変わっていない)

この時は父がなぜこんなことを言い出すのか、本意が読み取れなかったのだけど、後になってそれがせん妄による恐怖からだったことを知った。幻覚や悪夢で見ている世界と現実の世界の区別がつかなくて、とても怖い思いをし続けていたらしい。

間隔透析への順調な移行

この週末、症状が悪化すれば緊急の透析をすることになっていたんだけど、父はなんとか持ち堪えて3日の間隔を開けることができた。相変わらず首のカテーテルからは出血が続いていて、3時間の透析で多少グッタリはしていたけど、スター先生のおっしゃる最大の課題「透析からの離脱」をクリアしつつあった。

救急搬送されてすぐ、一番最初に『血液浄化、つまり人工透析を24時間続けます』と言われた時、私は「血液の中の不純物を取り除くという目的を重点に置く」という印象が強く残った。だから透析を続けるリスクよりも「透析をすれば父の体は楽になる」というイメージの方が強かったんだよね。

一方、妹が持っていたイメージはまったく違っていた。「一生透析になったら、予後は悪くなる可能性もある」リスクをしっかり捉え、できる限り離脱できることを望んでいたと聞いた。

医療のプロである先生方の印象も、たぶん妹のイメージに近いのだと思う。あくまでも「やらないと命に関わる」重要な局面・症状だからリスクを承知で実施する、透析はきっとそういう治療なのだ。

透析に消極的な先生もおられるという話をチラホラ聞くけど、きっとどんな先生もさまざまな症状や症例を加味した上で物事を天秤にかけ、治療の選択を判断しておられるに違いない。

「体が楽になれるなら、透析だってなんだってやってほしい」私はそう思っていたんだけど、そんな簡単に言い切れるようなもんじゃないってことなんだよね、きっと。

結局、父の透析はこれが最後になった。それがわかった時私は「つい何日か前まで24時間やり続けてたのに、そんなに急に離脱して大丈夫なの?」って思ったんだけど、たぶんこれもまた素人目線なのだろう。おそらくリスクと効果を天秤にかけて判断された最善の治療方針なのだ、そう思うことにした。

血液検査結果や薬の説明をもらえない不安

この日は4回目のアクテムラのはずだった。だけど結局アクテムラを投与したかどうかはわからないままだった。ずいぶん後になって「ずっと1週間隔で投与していた」ことを知らされたんだけど。

E-ICUでも救命でも、面会時間を限定される家族に「今日どんな治療や検査をしているか、またはする予定か」を知らされることはまずない。看護師さんが点滴を持ってくるタイミングに居合わせれば説明をしてくれる。この日も『血糖が高いようなので下げる薬を入れますね』と説明してくれた。

いや、こちらからどんどん訊けばいいんだろうけどね。私はそれがものすごく歯痒かった。実際は、知らされたところでわからないことも多いとは思うし。ただなんとなく「置き去りにされている感」がたまらなくて。

父に訊いてみるのだけど、たくさんの点滴に繋がれているわけなので「どれがどの薬なのか」たとえ看護師さんに説明をされてもわからないようだった。『たぶん、そういうの(アクテムラ)もあったと思うよ』と返ってきた。

それに、血小板の数値がものすごく低くなるTAFROで、当初「輸血で血小板を補充しても1〜4万程度(輸血依存状態)」と言われていた父の数値が今どうなっているのか、すごく気になっていた。

これも、申告しなければもらえない。申告しても「先生に聞いてみますね」と言われすぐに対応してもらえない。

頭ではわかるんだよ。素人に説明するの、めんどくさいしね。(専門的な立場から見たら)わけのわからないことを言い出すかもしれない患者や家族に、懇切丁寧、しかも不安を先回りして読み取り説明してる時間もないんだろうさ。

特に急性期の患者さんを診てくれている集中治療室や救命病棟では、そこに割く時間も人手もない、というのが現実なのかもしれない。緊急度が低いよね、患者や家族への説明って。

これはずっと思っていることだけど「わからない」って不安が憶測を生み、余計に不安を煽る。基礎疾患がわからない、病名がわからない、なぜ急激に悪くなるのかわからない、治療方法がわからない(確立されてない)、効果が出るかわからない、そしてダメ押しの「最悪のケースに至るかもしれない」

こんな【わからない】だらけの中で過ごす素人はたまんないよ。ちょっとでもいいから「わかる安心」がほしい。

先生のことは信頼している。だから先生にお任せするしかないし、お任せすることには疑念も不安も持っていない。そして先生もTAFRO症候群という「わからない(判明されていることが少ない)疾患」の治療にあたってくださっていることも知っている。

ただ、この「わからないことが多すぎることによる不安」は、いったい誰にぶつけたらいいんだろう?

この葛藤が一番苦しかったように思う。
もしかして「わからない不安」病、って存在するんじゃない?

その点、父はすごい。弱音や愚痴はほとんど聞かない。言うとしてもスタッフのちょっとした物言いや対応に関するものだけ。病気や症状に対して不安を口にすることは、私が知る限りこれまで一度もなかったのだ。

自分が今どんな病気で苦しい思いをしているのか、つい前々日まで知らなかった父。にも関わらず「点滴しますね〜」「検査しましょうね〜」それがどういうものなのかまで理解できなくとも、言われるがままにすべてを受け入れてきた。痛い思いも、苦しい思いもたくさんしてきている父が一番「どういうことなのか、教えてくれよ」と思っていたはずだ。

そういう父を見てきたから、私も葛藤を口にすることはなかった。ましてや父に話すなんて絶対にできないと思った。

でもそろそろ、心が悲鳴をあげている。

攻略本、私にとってそれは「わかる安心」だった。

「プレミアム」で「おっ」と言わせたい、モンハンでリハビリしたい

そんな情けない私を見透かしているのか、父はオモシロ発言でいつも和ませてくれる。

オモシロその①:手が動かせるようになってきて、いろいろなことを「自分でやってみたい」と意欲的。いいけど、救命病棟でDS使ってる人、どのくらいいるんだろうね?しかもソフトは60歳で覚えたモンスターハンターって、なかなかレアよ。

オモシロその②:入院では荷物を少なくした方がいいと思ったのか、父は持参した白いパッケージのチューブタイプのニベアを顔に塗っていたんだけど、看護師さんから『これ、ハンドクリームだと思ってました』と言われムッとしたご様子。そこで同じニベアでも「プレミアムボディミルク」を買ってきて欲しいと言うわけね。看護師さんに『おっ、やるな御主』と思われたいんだってさ。

もうさ、どっちが病人かわからなくなるよね(笑)

年末に差し掛かる時期だった。父とも『来年のお正月は久しぶりに一緒だね』などと話すなど、状態は比較的安定していた。

闘病は長い。折れそうになることもあるし「いつも前向き」というわけにはなかなかいかないね。

でも「ザ・昭和の男」である父の根性とユーモア精神、そしてスター先生、難病と闘うSNSでの繋がり、家族や親族に助けられて、なんとかやってこれた。

ほんと、1人じゃなーんもできない自分を痛感する。患者である父にまで助けられるくらいだから相当よね。

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