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「絶対にもう一度、父とこの家に帰ってくる」前に進むための出発【総合病院E-ICU16日目】

父が救急搬送されてから2週間ちょっと妹と共に過ごした実家。いよいよ今日、この家を出ることになる。転院は翌日だが、今日のうちに自宅に戻り明日の朝にはヘリで来る父を大学病院で迎えられるようにするためだ。

午後、父の顔を見た後そのまま出発するために、妹と私は前日から準備していた。その準備の一つは最後の最後、家をピカピカに掃除することだった。

前にも書いていた。この2週間で水回りの掃除とトイレのDIYまで手をつけていたのだが、最後に残していたのがキッチンだった。怒涛のような2週間の苦しい思い出を洗い流すように、ゴム手袋とマスクで完全武装した妹と私は黙々と油汚れと闘っていた。父がシンクの下に隠し持っていた超汚れが落ちる台所用洗剤に感動し、途中で買い足しつつ、全体的に茶色かったキッチンが蛍光灯の光を反射するまでに復活したのは本当に気持ちが良かった。

掃除を終え、地元での最後の晩餐(表現が悪い、笑)には、私が地元で一番好きな定食屋に行くことにした。それまでの小食が嘘のようにレバニラ定食を腹いっぱい食べた。妹は生ビールを頼み、どびきりの顔で一口目を喉に流し込んでいた。どのくらいとびきりかと言うと、定食屋のおばちゃんにクスっと微笑まれるほどだった。「自分で言うのもなんだけど私たち頑張ったよね」とお互いを労い、これから始まる新たな長い闘いも支え合って乗り切ろうと誓い合った。

出発当日の朝、荷物を車に積み込む。今はまだ無理だけどリハビリが始まれば必要になる靴、前開きで着やすく肌触りのよさそうなパジャマ、下着やタオル類も多めに積んだ。父一人分の荷物だけでトランクはいっぱいになった。今すぐに必要になることはおそらくない。そしていつ、使えるようになるかもわからない。ひょっとしたら要らないものもあるのかもしれない。でも回復した時には使い慣れた自分のものを少しでも使ってもらいたかった。

全ての準備を整えて、出発のために実家のドアを閉める。【キレイになったこの家に、絶対にもう一度父と一緒に帰ってくる】そう念じながら玄関の鍵を回した。

総合病院での最後の面会。『今日、長女さんたちはあちらに向かわれるんですよね?』担当看護師さんが最終確認をしてくれた。病院に置いていた少ない荷物の整理と、もしも天候が悪く救急車での搬送になる場合や無事に出発したかどうかなどは当日連絡をもらうことなどを確認し、看護師さんはいそいそとスタッフステーションに戻って行った。

スタッフステーションの目の前には病棟にいる全患者の心電図等のモニターがずらっと並んでいる。E-ICUの由来はここにある。どの数字が心拍で、どれがSpO2の値なのか、血圧はどうか、モニターがピロンピロン鳴っているのはどういうわけなのか、この2週間で私も少しは読み取れるようになった。父の名前が入っているモニターに目をやり、正常値かどうかを確認して病室に向かうのがすっかり習慣になっていた。

『ヘリなんて、やっぱり緊張するかね?』と父に声をかけると、しかめっ面で頷く。今の全身状態で長距離を移動することに不安がなかった訳じゃない。でも、大学病院に行けば病名の診断が下りて、ようやく治療ができると確信していた。この時の私はそれが一番ほしかった。

『お父さん、明日むこうの病院で待ってるからね。しんどいかもしれないけどちょっとの間がんばろうね』

真ん中にベッド上の父。向かって右に妹、左に私。いつもの面会スタイルだ。それぞれに不安もあったけれど、この時は前向きな出発のために心を一つにできたような気がした。写真でも撮ってもらえば良かったかな。ま、一応、院内撮影禁止だけど。

その日、地元は冷たい北風が猛烈に吹き荒れていた。このままではヘリは飛べない。明日はこの風がやみますように。とびっきり晴れますように。そう思いながら「じゃあ、行くからね」と父の肩をポンと叩いた。

『ふたりこそ、気をつけてよ』『ん、わかったよ』

病気になっても、親は親。心配をかけないことを肝に命じた。ここに来た時と同じく「事故るなよ、自分」と改めて言い聞かせた。

病棟自動ドアのロックを解除してくれた看護師さんたちにも、受付にいる警備員さんにも、送迎バスの運転手さんにも、これまでの感謝の気持ちを込めてありがとうと伝えてから車に乗り込んだ。地元から自宅までは2時間半。風が強いので超安全運転にしても3時間あれば着く予定だ。

道中、妹の携帯が鳴った。この頃の私と妹は着信があるとビクっとなるようにプログラミングされていて、一瞬「病院からか?」と思ったが、電話の主は伯母(父の妹)だった。

救急搬送され入院をしていたが、親族にはまだそのことを誰にも伝えていなかった。原因不明、今後どうなるのかもわからない、この状態で一体何を話せばいいのかが全く思いつかなかったからだ。転院し、診断がおりて、治療が始まったら親族に話そうと思っていたところに伯母からの着信だ。いろんなことにタイミングが良すぎるんだよね、ホント。

「兄貴って元気にしてる?電話は呼び出しが鳴らないしメッセージも返さないからさ」伯母の第一声はこうだったらしい。E-ICUには持ち込めない父の携帯は長いこと電源を切られて家に保管されていたのだから、伯母の話はごもっともなのだが、普段、何か用事がない限り父と伯母がやりとりをすることはほぼない。なのに、こういう時に限って「用事」があったんだねぇ。不思議だよねぇ。

父が救急車で運ばれ入院をしていること、全身炎症を起こしているが原因や病名がわからず明日転院をすることなどを伝え、そういう訳で連絡できなかったことを丁寧にお詫びした。

移動中であることを伝えると『大変だったね。ふたりも無理するんじゃないよ。何かあれば遠慮なく連絡してね』と早々に電話を終えた伯母。聞きたいことはいっぱいあったと思うけれど、私たち姪のことを一番に考えてくれる。落ち着いたらすぐに連絡しようと思った。至らないことも多く無礼をはたらいてしまうにもかかわらず私たちは親族にも愛されてる。

そして、無事自宅に戻った。久しぶりの自宅はなんだか他人の家のように感じられた。感情的な私をずっと心配し続けてくれたオットがあたたかく出迎えてくれる。これまでのことをゆっくり話したかったが、それは明日父が着いてからにしよう。

「何かあったら」病院から連絡が来る。「最悪のケース」を想定する。ずっとずっと心の中にはずっしりと重たい鉛を抱えてきた。妹にはどれだけ支えてもらったかわからないけど、それでもどこかでやっぱり【長女さん】であることの責任を自分自身に課そうとしていたように思う。

また新たなステージが始まる。
とにかく明日、無事に父が着きますように。
久しぶりにちょっとだけ、安心して眠りについた。


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