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ジョブ型雇用の成立条件 〜 成果主義は客観性の上で成り立つ

 ついに日経の一面でジョブ型雇用制度への移行が叫ばれた。しかしながら同じ話は20年前くらいにも起きていたし、三井物産や富士通をはじめ多くの日本企業がバブル崩壊による事業低迷を受けて欧米型の成果主義の導入に走ったが事実上すべてが失敗に終わった。  

 「売上以外は数値化できない「成果」というものの定義の難しさ。短期間の過酷な目標設定による過度のストレス。自己の成績のみに邁進することで生じる、人間関係の悪化。失敗を恐れて、無難な目標に走りがちになるチャレンジ精神の減退、および、社員のモチベーションの低下……、数々の問題点が浮き彫りになったのです」と西尾太は分析している。

 20年前の失敗とは違う何かが今回のブームはあるのだろうか?やはりブームで同じ失敗に陥るのだろうか。

  欧米企業でジョブ型雇用&成果主義が成立するのは雇用に流動性があり社内社外を問わずジョブへのスキルが標準化されているため、この仕事にはいくら支払うべきという客観的な基準があるからだ。仕事内容と報酬体系がマッチしない仕事には誰も応募してくれない。難易度が高い仕事ほど報酬も上がるわけである。

  逆に西尾太の発言の「売上以外は数値化できない「成果」というものの定義の難しさ」よりメンバーシップ型の雇用体系に成果主義を導入しようとする矛盾を私は垣間見ることができる。成果主義は全員が成果を追求することが前提になっているところが恐ろしくて仕方がない。欧米では間接部門や作業員を中心としたスタッフに成果主義を導入しない。「これこれの作業を行う・・・」というジョブディスクリプションがあり、淡々と作業を行うだけだ。頑張っても頑張らなくても給料は同じだし昇格する訳でもない。むしろ給料を上げたり昇格したかったら難易度の高い仕事の資格や学位を取る必要がある。日本はメンバーシップ型なので難易度の異なる仕事であっても全てを平等に評価をしようと試みるから破綻してしまうのだ。

 ということで今回も土壌が違うところにシステムの都合の良いところだけを導入して失敗に終わるように思える。評価制度をうまく操作できるものが勝つという結果に終わり、真面目に頑張ったものは報われないのだろう。

 ジョブ型雇用&成果主義は1社だけでは成立しない。全企業全社員同時でやることで初めて成立するのだ。個々の社員の作業内容をスクリプト化することに何の意味があるのだろうか?とシンプルに疑問に思った方が良い。ジョブディスクリプションは仕事内容と報酬がセットなのだ。そして人材が競って応募することによって報酬は自然と市場原理で適正化される。それでも全企業全社員同時でやるのが難しいのであれば、日立製作所と富士通が社員を一度全員解雇してジョブディスクリプションで再雇用をし直してみてはいかがだろう。給料(あるいは会社からの評価)に納得感のない日立社員は富士通に行き、その逆も生まれるだろう。

 人材の流動性がない日本企業にとってジョブ型雇用&成果主義への移行は非常にハードルが高いことなのだ。そして新たに入社する社員は社畜になることを嫌悪するが入社して10年もすれば客観的な価値を失い犬にならざるを得ないのだ。 

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