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自己信頼できない人が、他人を信じられるはずがない

人間関係において、「誰かを信じること」。

これってとても大切なことだと思っている。

人を疑ってばかりの人生なんて苦しいだけでしょ?

けれど人を信じた先にあるのが、“裏切り”。

「信じていたのに裏切られた」

そんな経験をしたことがあるって人って多いんじゃないでしょうか。

だけど、人間関係に、裏切った、裏切られた、なんて本来は存在しない。と、私は思っている。

“人は鏡”。

自分自身すらを信じることができない人が、他人を信じて生きていけるはずがない。そう思うんです。


疑ってばかりの人は、自己信頼ができていない

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あなたは他人を信じることができるタイプですか?

「どうせあなたも私のこと裏切るんでしょ」と、最初から人のこと信じない人、たまにいる。

よく言えば警戒心の強い人。

けど、そんなの息苦しくないですか。

できたら誰かのこと信じて、安堵感に包まれながら、生きていきたい。

なのにどうしても疑いから入ってしまう人はきっと自己信頼ができていないのだと思う。

他人にフォーカスしすぎなのでは?

自分のことを無視して、他人ばかり見すぎているのでは?

自分を信じることができないから、誰かを信じたいんじゃないの?

自分で自分を満たせないから、誰かに満たしてほしいんじゃないの?

自分ひとりで幸せを作れないから、誰かに幸せにしてほしいんじゃないの?

きっと、それが自分の弱さであることに気づけたら良い。

私は自分のことを信じることができていなかったんだ、と気づくだけでも良いと思う。

その気づきはきっと、のちの自己信頼に必ず繋がるから。


“裏切られた”は他人に期待しすぎた自分の勝手なんじゃない?

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そもそも“裏切られた”は、勝手に自分が相手に期待をしすぎた結果に過ぎないケースが多い。

勝手に相手に期待をして、

相手を自分の“理想像”にはめ込む。

期待したものが返ってこなかったとき、

自分の“理想像”から相手が外れる。

そして、ついつい“裏切られた”という気持ちになってしまう。

それはただの自分の勝手なだけじゃなかろうか?

ありのままの相手を受け入れることができていなかった証拠なのでは?

自分で勝手に“理想像”を作り込み、相手に期待してしまうのは、相手のそのものの姿を信じることができていないから。

それは相手を信じていたことにもならないし、自己信頼だってできていない。

自己信頼ができていない人からの「あなたのこと信じてるよ」、

そんな言葉も薄っぺらくなる。

なんかよくわかんなくなってきた。

ただただ自分がブレているだけ。



信じる=受け入れ=自己信頼

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結局全てに繋がるのが自己信頼。

結局人生なんて“自分”でしかねーから。

これいうとただの自己中やんって思われるかもだけど。

自己中と自分軸は違う。

他人に囚われてばかりの人生は、絶対にブレることを私は知っています。

他人に期待しちゃいけない、とか冷たいことを言いたいわけではない。

自己信頼ができていないと、他人にばかり期待をして、自分がブレてしまう、それだと生きていくこと自体が息苦しくなるのです。

どうせ生きていくなら、心地よく生きていきたいでしょ?

人は一人では生きていけません。絶対に。

だけど、一人で生まれて、一人で死んでいく生き物です。

自分を信じること、自分を受け入れること。

これができたら、他人を信じること、他人を受け入れることにも必ず繋がる。

だからきっと、生きやすくなる。


自己信頼とは、『無条件に自分を信じること』

どんな時でも、どんな場面でも、どんな状況でも、“私なら大丈夫”と心の底から思えること。


けどね難しいんですよねこれ。よっぽどの自信家じゃない限り。



自己信頼への近道

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人間って囚われるものが多すぎて、

「自己信頼しろ!」

とか無責任なことを急に言われてもまじで無理なんすよね。

こんなクソみてえな世の中に生きさせておいて、どうやって自分を信じればいいんじゃい。無理だろ。そう、無理です。

けど多分、これなら少しずつだけどできると思う、

“自分のありのままを受け入れる”ということ。

もう少しわかりやすく言うと、“自己否定しない”ということ。

人間の脳みそってめっちゃ複雑だから、考えていることと、感じていることが違うときもある。

例えば、本当は“やりたくない”と心が感じている仕事なのに、自分の生活のためや周りの期待、習慣、ルールに囚われて「やらなければいけない、やるべきだ」と思ってしまう。

こんな世界に生きてたらそうなってしまうのもしゃーないことだけれど。

そして、自分の中で湧き上がってきた感情を、受け入れきれないこともある。

本当は悲しいのに、「別に悲しくなんかない」と強がる。

本当は怒っているのに、「こんなことで怒りの感情が湧き上がってくるなんて私もまだまだ子供だな」と余裕ぶる。

大人になればなるほどやりがちだと思う、これ。

しかも自分では気づかないうちに。

自分が五感や直感で感じ取っているものを受け入れられていない。

結果、自己否定になっている。

自分が五感や直感で感じ取ったもの、心で感じた感情、それを無視しない。

それが、ありのままの自分を受け入れることであり、自己信頼の近道になるのではないかなと思います。

かと言って、急に100%の力で自己信頼する必要もなくて。

1%だけ、自分を信じてみる。

それができたら次は10%、

そして、20%、30%、40%…って、徐々に自分を信頼していけば良いのだと思う。

それがうまくいかないときも、決して自分を否定しない。

自分自身すら受け入れられない人が、他人を受け入れられるはずもない。

まずはありのままの自分を受け入れて、愛すこと。

それが自己信頼への近道!

そして、きっとそれが、人生が心地良くなるヒントであり、自分の本当の幸せを知れるチャンスになる。

私はそれを信じて生きる。

答えがなくて手探りだから人生って楽しいよね。


あ、これ、自分で自分に言い聞かせたくて書きました。

エッセイってそーいうもんでしょ?

多分。知らんけど。


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