何も考えない贅沢を楽しむ。
本格的に梅雨ですね。
僕は雨が嫌いなのですが外出しないなら話しは別です。
シトシトと降る雨音を聞きながら、静かに外を眺めたり、本を読んだり、スマホを観たりするのは楽しいし、心静かになる気がします。
さて、今日は「何も考えない贅沢を楽しむ」というテーマです。
実は今、とある場所にいます。
僕の数少ないパワースポットに来ています。
この週末は本当に何も考えていません。
もう考えるのを止めました。
一切何も考えず、ただ放電するだけの時間です。
よく発散と充電と言うじゃないですか?
例えば現役のプロスポーツ選手が惜しまれつつ引退した時に、必ず今後の身の振り方を記者に聞かれたりします。その時によく聞かれる言葉が「しばらくは充電期間に充てます」という一言です。
何か新しいことをチャレンジするためには、その活力が取り戻す充電期間が必要という意味だと思います。それだけ現役プレイヤーとしての発散期間がハードだったのだと思います。
これは名スポーツ選手だけでなく、全ての人に当てはまることだと思います。何事も発散期と充電期はあるものです。気持ちの切り替えや、適度なリフレッシュが、次への活力となり物事を良い方向へ導いていくと感じています。
僕は充電期も必要だと思いますが、その前の放電はもっと必要という立場です。
一番大事なのは「放電」です。
何かをバリバリやっていた発散期に全ての充電(パワー)を使い終わっているのではなく、僅かに残っている余力分があると思います。まだ使い終わっていない、僅かに残っているパワーを一旦全て使い切ってしまうイメージです。
使うと言っても、何かをするのではなく、ただ「ぼーっと」僅かに残ったパワーを放電するだけです。
僕はこの「放電」をしてからでないと充電ができません。一旦全てのパワーを放電して、ゼロにしてからでないとリセットが上手くできない性格なのです。
厳密に言えば「放電」しきると充電期を経なくても次へのパワーは勝手に充電される感覚があります。既に新しくやるべき課題や目標が明確な場合には、そこに向かう自分自身の奥底から湧き上がってくるパワーは既に感じています。(今回もそうです)
一方で新しく湧き上がってくるパワーは、これまで使っていたパワーとは種類が違うので、一緒にしてしまうと喧嘩して電力ショートしてしまう感覚があります。(これはあくまでも感覚です)
なので、僕は次のチャレンジに向かう時は、意図的に一切何も考えずただ「ぼーっと」過ごすだけの放電期間を作っています。
この週末はその「放電」期間なのです。
一切何も考えず、ただ「ぼーっと」しています。
廃人のように何も考えません。
最後の1ボルトが体内から抜けきるまで「ぼーっと」とするだけです。
ということで、
今日は何も考えず、ただ「ぼーっと」としていただけのnoteでした。
生憎の天気ですが良い週末をお過ごしください。
こんにちは。最後までお読み頂きましてありがとうございます。このnoteは僕のつたない経営や、インナーブランディングを行う中でのつまづきや失敗からの学びです。少しでも何か皆様のお役に立てたら嬉しいです。サポートはより良い会社づくりのための社員に配るお菓子代に使わせていただきます!