どんなに時代が変わっても、唯一僕らが変えなかったこと
創業者の父が唯一、決めていたこと
創業者である親父は、何も明文化しない人でした。
企業理念も言語化しない。期初に会社の方針を発表することもない。目標は売上だけ。
社員はみんなでひたすら売上を追いかけていました。
ただ唯一、明確だったことがあります。
それは「下請けをしない」ということでした。
「戦略」のような高尚なものではなく、「先代の哲学」としてそうだったのです。だから代理店の仕事もしなければ、大手の印刷会社から来る仕事も請けていませんでした。
「自分たちの機械は、自分たちの営業力で回すんだ」。
それが、会社で脈々と受け継がれてきたポリシーでした。
印刷業界というのは、基本的には大日本さん、凸版さんを中心としたピラミッド型の多重下請け構造です。よって「印刷会社のメインクライアントは印刷会社です」という会社もけっこう多いわけです。
でも僕らは自ら工場を持ち、自ら仕事を取ってくることを「良し」としてきました。何も明文化しない先代でしたが、これだけは明確だったのです。
斜陽産業のなかでもやれることはある
自分たちの仕事は自分で取ってくる。すると、自ら主導権を握ることができます。
ただそれは同時に厳しい道でもあります。
印刷業界は斜陽の一途を辿ってきました。そのなかで売上を伸ばし続けるのは本当に難しいことです。
しかし、環境のせいにしていても始まりません。
僕は、印刷業界を抽象的にとらえ、俯瞰してマーケットを見るようにしました。すると、違う景色が見えてきました。
自分たちの居場所を「再定義」したうえで、もう少し「多角的」にやっていく。そうやって、つねに「ポジションチェンジ」しながら生き残ってきたのです。
新しいことを始めたことで「印刷を捨てたのか」と思われたこともありました。しかし生き残るためには、時代が変わっていくなかで、どんどん新しいマーケットやサービス、商売の種を開拓していくしかない。
捨てたとか捨てないとかそんなことではなく、僕が考えているのは、ただそれだけでした。
僕らはもともと開拓者
現在、僕らの会社では「創業の精神」を明文化し、共有しています。
その中のひとつが「開拓者精神」です。
社員にも「年度の方針とかは忘れてもいいけど、開拓者精神だけは忘れてくれるな」とつねに言っています。
もちろん先代である父親は「開拓者精神」なんてことは、ひとことも言っていません。文字にも残っていない。
僕が勝手に決めたんです。
2012年に僕が社長になり、2014年に会社の理念体系(Our Way)を決めました。会社の歴史をあらためて振り返ってみると、つねに「開拓の歴史」だったことに気づいたのです。だから、その精神を忘れてはいけないと思い、勝手に「開拓者精神」を掲げたのです。
もともと僕らは営業の会社です。言ってしまえばブローカー。その営業力で生きてきた。
祖業である事務用印刷から大手家電のチラシ、そのあと商業印刷に進み、さらに出版印刷やサイン&ディスプレイの領域へと少しずつポジションを変えてきました。マーケットが大きかったり、伸びている分野に手を広げていったわけです。
僕らはそもそも、ずっと「開拓者」でした。
祖業の事務用印刷にこだわって、名刺や封筒、伝票だけで営業していたら、会社はとっくになくなっていたはずです。
営業会社(ブローカー)だったころからすれば、家電のチラシも企業の製品パンフレットもやったことなんてありません。そこは「開拓」していくしかなかった。やったことはないけれど、そこで勝負しないと生きていけない。
印刷の原価が下がり続けるなかで、出版や紙の什器など、新しいマーケットに攻めていき、勝負していかなければいけなかった。つねに動いて変わってきた。それが僕らの歴史です。
「開拓者」というカッコよさそうな言葉を使いましたが、当時はそこに戦略のような立派なものはありませんでした。「いかにピボットするか」とか「マーケットの精査」「競合の分析」なんてことを考えている暇はなかった。
ただただ必死に「どうやったら商売できるのか?」「どうやったらご飯が食べられるのか?」という思いで開拓してきたのです。
刷る「手前」のコンテンツを作る
ただ、いろいろと開拓してきたものの、さらに市場は厳しくなっていきました。印刷で伸びている分野に進出しても、なかなか状況は良くならない。
僕は、これからは「刷る」だけでなく「コンテンツをつくる」必要があると考えました。
そこで行き着いたのが、今やっている社内報の事業です。
印刷のマーケットがどんどん厳しくなっていく中で、「そもそも印刷機械をどう回したらいいのか?」という観点で考えてみた。そのときに「刷る手前のコンテンツをつくったほうが結果的にたくさん刷れるのではないか」という考えに行き着いたのです。
それでもまだまだグループ全体で見ると、受注での印刷が売上の多くを占めています。今後はさらに違う事業や収益源を持っていないと、いまの雇用を守っていけない。
よって、早く別の事業を作らなければと思っているところです。
強みは「印刷物」ではなく「オペレーション」
今後は、いよいよ先の見えない時代に突入していきます。これまで以上に開拓者精神が必要になってくるでしょう。
もちろんですが、なんでもかんでも手を出すわけではありません。急にカフェなんかを始めてもうまくいくはずがない。
つねに大切にしているのは「自分たちの強みを生かす」ということです。
たとえば「丁寧なオペレーション」。
最近はオフラインとオンラインを組み合わせたサービスの需要が高まっています。デジタル系の会社は技術がすばらしい一方で、オフラインでの細かい進捗管理や入力が意外と苦手だったりします。
そのあたりの面倒くさいところをうまくサービス化できれば、デジタルの世界でも僕らにチャンスがあるのではないかと思うのです。
そこで始めたのが動画の配信事業。
動画の配信というとデジタルっぽい感じがしますが、実はアナログの工程も多くあります。地味で細かい作業がたくさんある。
印刷の現場では、ちょっと間違えたら手を挟んでしまったり、オペレーションを少し間違えるだけで事故が起きる世界です。だから、段取りをきちっとやることに長けた文化ができています。
僕らは印刷技術や印刷物が強みだと思われがちなのですが、そうした細かいオペレーション、「きっちり進められる」ということが強みとしてある。
「丁寧にやる」「着実にやる」「間違えない」。その安心感が会社の強み。
動画配信も「きちんとミスのないように配信します」という打ち出し方をすれば、多くの需要があるはずだと思っています。
印刷会社がどのように業態を変化させていくか? その新しいかたちを僕らの会社でうまく体現できたらいいなと思っています。
変わり続ける会社であるために
生き残るのは、外部の環境に適応し続ける会社です。
僕らも自分たちの強みを生かしながら、自ら変化に適応できる企業体にしていきたいと考えています。
変化し続ける会社であるために考えていることがあります。それはチャレンジする社員が増えてほしいということです。
これまでは、新しいビジネスを考えるのは社長である僕の役目でした。でもこれからは、社員にもどんどんバッターボックスに立ってもらいたい。どんどんチャレンジしてもらいたいなと思っています。
僕は今年46歳です。
この歳になってくると、僕だけが打席に立つ状態は居心地が悪いのです。36歳から10年くらいのあいだに僕が経験をしたことを、もっといろんな社員に体験してほしい。
打席に立ってバットを振れば、成功してもしなくてもそれは「経験」になります。責任も大きくなりますが、仕事はもっと楽しくなるはずです。みんなにもそういう経験をしてほしい。
今後は社員自身が事業を立ち上げる制度をつくり、会社がそれを支援できるような体制を作っていきます。
社員が自ら事業を計画し、チャレンジし、成功と失敗を繰り返しながら成長していく。会社にとって財務や収益性も大切ですが、会社というものを「スタッフが活躍できる場」にしていきたいのです。
うちの強みはそもそも「与えられたことをきっちりやる」という部分にあります。そこは素晴らしい部分であり、大切な財産です。
しかし一方で「自分で事業を立ち上げるチャンスがあるんだ」「自分で会社を起こすことができるんだ」ということにも気づいてほしい。
もちろんそうなるまでには、10年くらいかかるでしょう。
それでもいつか「この会社にいるんだったら、1回ノーリスクで事業を立ち上げる経験をやってから辞めたほうがいいよね」と言われるような会社にしていきたいと思っています。(もちろん辞めてほしくないですが……)
さて、まだまだ時代は変わり続けます。それに合わせて、僕らもどんどん変わり続けていかなければいけません。
時代が変わっても、唯一僕らが変えなかったこと。それは「つねに変わり続ける」ということなのかもしれません。
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