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思い出を胸に抱いて、僕は明日も歩く

幼少期や学生時代に好んで聴いていた音楽を口ずさみながら、このnoteを綴っています。

皆さんは、今日起床して音楽を聴きましたか?。
はたまた、眠りにつく前に音楽を聴きますか?

僕は、ここ数年で知った曲や好きになった曲ではなく、幼少期や学生時代によく耳にしていた音楽を、ふいに聴きたくなります。
こんなにも日々新しい音楽が生み出され、ネット上でもリアルでもそれらを聴くのは容易であるにもかかわらず、なぜそういう衝動にかられる瞬間があるのだろう、と自分でも不思議に思ったことがあります。

そしてそれは、「大切な想いや記憶を過去に置いてきているからだ」という答えを意外にもすんなりと見つけることができました。

-講師だった母が弾くピアノに合わせて、一緒に歌ったこと
-僕自身もピアノを幼稚園から習いに通っていて、その道中がいつも小さな冒険のように思えてワクワクしたこと
-やがて中学生になると、毎年開催される合唱コンクールへ向け、放課後オレンジ色の夕日が差し込む教室の中で、クラスのみんなの歌と、僕の弾くピアノを合わせて練習したこと
-「高校の入学祝い」と、何の前触れもなくギターを両親からプレゼントしてもらったこと
-お気に入りの曲ばかりを詰め込んだsonyのウォークマンを聴きながら、自転車で風を切るようにして通った高校生活
-運動会や体育祭といえばいつも大音量で流れていた、ZARDの『負けないで』
-大学進学のため、両親や友達に見送られ、東京へ向かう電車の中。
寂しさを紛らわそうと音楽を流すと、なぜか不意に涙がこぼれたこと

振り返れば、キリがないくらい
忘れられない瞬間や、忘れたくない景色がある。
誰かに伝わった言葉もあれば、心に留めた想いもある。

僕の「思い出」には、いつも音楽があった。

時に音楽は、家族が一つになってより楽しく過ごせるためのものであり
時には、僕を支える精神安定剤でもあった

当時の音楽を聴けば
僕にとって、美しく愛しい過去の日々に出会うことができる。

両手で収まりきらないほどの、この「温かいもの」を何と名付けようか。
今は「思い出」くらいしか思いつかない。

日々、あらゆる「もの」や「人」に順応していくほどに
自分が誰で、どこに向かっているのかを見失いそうになるけれど

この「思い出」をそっと取り出してみたら、きっと大丈夫。

大切な「人」
大切な「もの」
に気づくことができる。

この「思い出」がある限り、僕は明日もまた、歩いていける。

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