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映画『アンモナイトの目覚め』で可視化された自分の支配欲求について

先日、映画『アンモナイトの目覚め』を鑑賞した。
昨年末に鑑賞した『燃ゆる女の肖像』と類似点が多く比較しつつ語りたくなってしまう作品でもあり、またシアーシャ・ローナンが『ストーリー・オブ・マイライフ/若草物語』とは全く異なった役柄を見事に演じているのもまた存分に語りたい要素である。
しかし、それよりもなによりも私の第一の感想は、「うわー…気を付けよう…」であった。

あらすじは以下の通り(引用元:映画.com

ケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンという当代きっての演技派女優が初共演し、19世紀イギリスを舞台に、異なる境遇の2人の女性が化石を通じてひかれあう姿を描いたドラマ。1840年代、イギリス南西部の海沿いの町ライム・レジス。人間嫌いの古生物学者メアリー・アニングは、世間とのつながりを絶ち、ひとりこの町で暮らしている。かつて彼女の発掘した化石が大発見として世間をにぎわせ、大英博物館に展示されたが、女性であるメアリーの名はすぐに世の中から忘れ去られた。今は土産物用のアンモナイトを発掘し、細々と生計を立てている彼女は、ひょんなことから裕福な化石収集家の妻シャーロットを数週間預かることになる。美しく可憐で、何もかもが正反対のシャーロットにいら立ち、冷たく突き放すメアリー。しかし、自分とあまりにかけ離れたシャーロットに、メアリーは次第にひかれていく。実在した女性古生物学者メアリーをウィンスレット、シャーロットをローナンが演じる。


(思いっきりラストに言及があるので、ネタバレ無理絶対派の方は以下読まないように。)


男性によって言葉を、自由を、感情を押さえつけられていた女が、愛した女を同じように囲い込もうとした後半ラスト近くが酷く痛かった。

シャーロットは、コルセットで身体をきつく結ばれる描写のとおり、自由がない。旦那に食事の内容を決められ、行動を規定される。(鬱だって言ってるのに、突然外出に連れ出すのは結構本当にやめてほしい、まじで。)

そんなこんなで無気力になっているのに「昔の明るいきみに戻ってほしい」なんて言ってくる(腹が立つ。じゃあ「明るい女」を他で探して来いよと思うね。)
しかしそれでもシャーロットは寂しさを埋めるように旦那にそばにいて欲しがるし、体も求める(ここでセックス雑に断れていて私だったら死ぬなと思った。鬱のときに自分の欲求示すのってすごいしんどいことなんだが。まじなんなん?)

シャーロットの鬱は、色々な見方があると思うけれど私には結構深刻に感じられた。メアリーの家事を「私も手伝う!」と言ったのに、ニンジンが上手く切れない、炭を持って来ることにも手こずり、ぶわっと泣き崩れるシーンは、似た経験が何度もあるので辛かった。自分はなにもできないと常日頃呪いをかけていて、実際本当になにもできないと思い知ったときのあの絶望感…。

シャーロットの旦那は、いわゆる男性性と呼ばれるような支配欲でシャーロットを繋いでいる。ただそれだけだ。
しかし、旦那のその行動が恐らく原因で鬱になっていた彼女は、ラストで旦那にされていたことを愛する人に繰り返してしまっていた。

海でのアンモナイトの採集が研究の中心を担う、現場派のメアリーを、街中の豪華絢爛な自宅に招き、意気揚々と「貴女の部屋を用意したわ!」と言うのである。研究のフィールドを奪われるというのは現場派の彼女にとってはあり得ないこと。それなのに、閉じ込めることがメアリーにとって良いことのような口ぶり。
まずシャーロットがメアリーを自宅に招くセクションの序盤に、キスするのを見られたことを気にするメアリーに「あれはただの使用人よ」と言った時点で雲行きは怪しかった。メアリーはまるで使用人のような人生を送ってきているというのに、その言葉はきつい。
シャーロットは、性別ではなく、経済的に自分より「弱い」立場にあるメアリーを支配しようとしているのである。
それはセックス、ジェンダー関係なく誰しもの心のどこかにある支配的な男性性であって、何かを手にしたいと思ったときに前面に出てくるものなのだろう。

あぁ、なんて恐ろしい。

私は丁寧に隠しているが、そのような男性性が人一倍ある。
富と名誉と権力を手にしてはいけないタイプのそれである。
思い入れの深い人物に対して、その全てを知りたいだとか思ってしまうことがある。というか根本的に粘着質なうえに自分に自信がないので、意識してしないようにしないと「人としてどうなの」レベルの行為をしてしまうと自覚している。
富と名誉と権力を手にしてなりふり構わなくなれば、私は対象を檻に囲い込んでしまうだろう。
そういった意味で、気を付けようと思った次第。

余談ですが、この映画に限らず、毎度このタイプの映画を観るたびに恋の動機が全く分からなくて困惑する。
正直、シャーロットにとってメアリーは、寂しさを埋めるに丁度よかっただけでは?とも思ってしまう。自分にアロマンティックの傾向があるからか、どうにもその恋の理由?相手を良いと思った理由?を探してしまう。恋とか愛とかって多分理屈じゃないんだろうけど、好きになるのってタイミングとかそういう状況にも大きく左右されるものだろうから、たまたま寂しさとか欲とか諸々のタイミングが合ったんだろうなーくらいの冷めた見方をしてしまう…。どうなんですか?(投げやり)

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