りっちゃん

GirlDad 支える家族の皆様に届きますように。 著者 富山県生まれ富山在住。 家族…

りっちゃん

GirlDad 支える家族の皆様に届きますように。 著者 富山県生まれ富山在住。 家族のケア ギランバレー症候群 悪性リンパ腫

最近の記事

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GirlDad

これはガン患者の家族の体験記として自分に起きたことを つらつらと書いてみようと思います。 なぜ残すか?と言われたら 1人でも同じ病気の方が救われることを願うからです。 そしてご支援していただけるのであれば、 書籍化を目標にしています。 このGirlDad と言うことばは、先日ヘリコプター事故で天国に行ってしまったコービー・ブライアント選手の記事でグサッとわたしの胸に響いたものです。 #ギランバレー症候群 #悪性リンパ腫 今は亡き父のこと、病気の文献をもっと身

    • おめでと1歳

      2022.2.22 姪が誕生日を迎えました! この一年は凄く長く感じた。それと選択を迫られる事が多かった気がする。 ワクチン接種本当は打ちたくなかったけど、 職場の雰囲気で2回打ちました。3回目は絶対打ちませんが。 ちっちゃな0歳児が身近にいて、旅行も頻度が減り自分の時間の使い方も変化があった。 周りの健康面に配慮してどこか自分らしくなく過ごしたせいか長く、とてつもなく長く感じた。 それが普通だよと言ったらそれまでだけど。 0歳児ラストの日 2/21 姪が母の口

      • 2.22

        朝目覚める前にお母さんから電話がきた。 晴れた2月22日。 この時期には珍しい陽気な日に妹が赤ちゃんを無事に産んだ。 父は亡くなったけど、おじいちゃんになった。お母さんもおばあちゃんになりました。 すごく嬉しい。 目覚めながら電話口に「おめでとう〜!」といった。 家族が減って悲しんでいたけど今日から何か始まった感じがして嬉しい。家族になってくれてありがとう。 あとこの間、すごく目の覚めた言葉を自分自身に忘れずにいたい。志茂田景樹さんのツイートでのことば。 もう

        • BEN&JERRY'S

          懐かしくなり書いてみようと思う。 2017年6月〜9月までギランバレー症候群のリハビリをして父は自宅療養や、定期的に検査のために入退院を繰り返していた時期。その後 私はというと9月の父の退院が会社に分かるとすぐに、辞令が来て、6年いた部署から違う部署に昇進されてしまう事になる。 やっと終わりが来た時で疲れ切っていた。 私の復帰を待ってくれていたかは分からないが、ありがた迷惑だった。 その日のうちに、誰にも相談せずに来月(10月)に辞めたいですと言ってみた。 案の定

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          まだ見ぬ明日に希望はある

          パパへ 久しぶりに手紙を書こうと思う。 自分の誕生月の9月になる前に気持ちの整理をする。 数年、闘病生活(2年くらい)で暗い話題しかなかったファミリーに新しい家族が増えようとしている。 すごく不思議な気分になったり、時の流れを感じます。 時間が解決することは無いだろうと思っていたことも、案外、時が来たら笑えるんだと最近感じる。 きっと新しい家族が増えることはお母さんもおばあちゃんになるし、私は叔母になるし、世界観が変わりそう。 少しずつ笑えるようになってきた。

          まだ見ぬ明日に希望はある

          考え方。あり方。パワー不足。

          さいきん、お友達に会う機会が減り対面する人間関係も、家族、仕事、関係先など限られた世界で過ごしている。 気分転換しているつもりでも、制限を自分にかけて前ほど要領よく暮らしていない気がしてならない。 似たような生活ばかりでなんとなく、病気の執筆もギランバレーから悪性リンパ腫を書きたいがまとまらない。 メリハリ?切り替えが下手になった。 病気のことを書くのも過去をみる時間になるから、必要以上にみる必要もないとも考えたり。 いま病気で悩んでいる人がいるならば、、と始めたは

          考え方。あり方。パワー不足。

          2017.9月

          人生で最初で最後の野球観戦を親子で見に行った。 その当時、私はなぜかこの試合を見せなきゃ後悔すると思っていて実現したくずっと温めてきた。 父の体調も良く外出許可が数時間だけ許された。 本当は父母に見せたくて1番いい席を用意したけど母の都合がつかず、父と妹と私の3人で見た。 私が父のいる県リハへ迎えに行く。 その日は平日で夕方の明るい時間から2人で練習をみたり、応援グッズを買ったり楽しんだ。 妹がナイターの途中から仕事終わりに合流した。 日ハムは負けたけどすご

          記念樹

          メモリアルな事があったときに植える記念樹。 父が亡くなったとき、お母さんは記念樹を植えた。普通ならめでたいときに植えることが本来だろう。 桃の花、アーモンドの木、何種類か植えた。 今年も咲きました。  何も知らない人は綺麗だなあと眺め 私はもう1年経ったのか。不思議な感覚になる。 自分が生まれたときに、植えられたもみの木もまだある。 銀杏の木は丸裸になっちゃった。 木の命は長いな〜となんか考えたら癒される。 見るだけでほっとする。 見えなくてもわかる。

          人工呼吸器について

          世界で起こっていることがすぐそこまで来たとき わたしは何ができるだろう? 見てきたことを伝えるしかできないけど、 経験を知ること(得ること)はまた次への一歩になる。 人工呼吸器は喉を切開してプラスチックの指2本分くらいのチューブを深くまで入れる。 意識ある人はとても痛くてつらいです。 痰が詰まるとクリーニングするために少しずらすだけでも苦痛を伴います。 看護士さんにもよるけど、 喉に入れ方が下手だと痛く、もう一度入れるときは看護士さんが 「ごめんね、つらいね

          人工呼吸器について

          一般病棟から転院。

          本日2020.2.24はお母さんのお誕生日です。 この1年本当によく貫き耐え抜いた母はたくましく、 園長先生をの役目を去年3月末に終えて、退職し今はパートをしています。ゆっくりすることもできたけど家にいると考えてしまうので、外でいろんな人と会うことが気が紛れていいのかもしれません。 あ、本題に戻ります。。 一般病棟の滞在日数は限られている ので、2017.8月に県リハに転院先が決まりました。 当時、爺ちゃんも入院をしており ダブルで入院生活を同時進行していました。

          一般病棟から転院。

          リメンバーミー

          (時系列バラバラですが) 2018年この映画をお盆の時期に親戚と集まって夕飯を食べながら見ていた。 ギランバレー症候群を完治し、そこから派生した悪性リンパ腫(ステージ4)で再び父は入院生活をしている。 父が不在のお盆の行事を迎えました。 無菌室で生活している父は、抗がん剤治療の投薬で体調が悪くあまり面会に来なくても良いと言っていた。 いま思うと、私は微かな希望で治ると信じていたし本人の気持ちを考慮してあまり面会に行かなかったことを少しだけ思い出ししんみりしてしまう。

          リメンバーミー

          80→60…

          人は口から食べ物を摂取しなくなると20kgも痩せます。 鼻から流動食のみの生活で、かなり父は痩せました。 痩せる箇所は足が著しく細くなり、筋肉質で脹脛がぽこっと出ていた父の足は棒みたいに細かったです。 (あと、これは確認取れずに未だにモヤモヤすること) 流動食の量(摂取カロリー)は体重で計算しています。とハッキリ看護士さんに言われていました。 しかし明らかに変で 日に日に体重が著しく減っていく。。父は喉を切開していて思うように喋れない。指しか動かない。 思い切っ

          HCUに

          HCUとは…High Care Unit (高度治療室) の略です。ICU の隣の部屋としてあり、父は山場を超えベッドを移動しました。 しかし、入室する際は手の消毒、マスクは必須です。 すでに1ヶ月以上経過…父も歩けない、ご飯を口から食べれない、意識はしっかりしていて毎日の時間の使い方が退屈でどうすごすかが1日の目標でした。 体調の日記を付ける父はあまり手に力が入らなくてもボールペンで 自分の投与されている薬、トイレの回数、お見舞いに来た人、いま足りないものなど、なん

          ICUで眠れない

          ギランバレー症候群はU字型に、体調や症状が1番強くなり大変な時がある。実際、父は一度心肺が止まった。蘇生でまた戻ってきた。数日経過して、 指差し棒とあいうえお表で少しだけ動く指で会話が始まる。 どんな会話するかな?と思ってたら、 パパ〜元気〜?って話しかけると ☝️、☝️、☝️、☝️、☝️、☝️、☝️、☝️、☝️ き よ う は う ん こ で た wwwwww 久しぶりに会話できると嬉しがっていたら、斜め上の会話だった。 ゆっくり、一つ一つの会話が時間かかる

          ICUで眠れない

          2017.7月

          父が入院した。私の家族は祖父、父、母、妹2人。6人です。 つまり、三姉妹。娘だらけの家族。 病院とわたしの職場が1番近くて、着替え、お見舞いにはほぼ毎日通った。 集中治療室(ICU)の看護士さん、担当のドクターとの時間は私の心の支えだった。 職場で父が入院していることを伝えてもあまり深刻に受け止めてもらえなかった。難病だと話しても変わりなく仕事量もそのまま。 思い切って、時短勤務を提案したら繁忙期でないから良いよと言った次の日から1時間はやく帰える生活にシフトした。

          2017.6月

          ギランバレー症候群という病気を30歳まで恥ずかしながら知らなかった。 父の食べたものを医師に聞かれた。  普段から朝と夜は同じものを食べているので、心当たりはないのだけれど 唯一家族と違うのは晩酌とコンビニで買った焼き鳥串を数本食べていた。 カンピロバクターが体に入ると自分の体を自分の免疫が攻撃してしまう。 「生焼けの鶏肉はたべましたか?」 もしかしたら、焼き鳥かもしれないけど、 未だに確証はない。 父は還暦を迎えてから一気に体調がわるくなり、加齢、仕事のしす