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人間関係は「水のように淡い付き合い」が理想的?

 17年前、心理学を学び始めたときのことを
思い出していた。

【君子の交わり淡きこと水のごとし】
〜自立した大人同士の人間関係やふれあいは、
ベタつくことなくまるでさらりとした
水のようなもの〜

とても新鮮に感じたが、当時
「理想的かもしれないけど私にはまだハー
ドルが高い?」と感じていた。

あの頃から人生の歩みを進めてきて
この言葉は〈中庸〉に近いかも、と感じた。
中庸とは、「かたよることなく常にかわら
ないこと。
過不足がなく調和が取れていること。」

(孔子いわく、「不足でもなく余分なところ
もなくバランスがちょうど良く行動できる
ことは人の徳としては最高のもの。
が、それができている人は少ない。」)


(以下、ダイヤモンド・オンラインより引用)

人間関係は「水のように淡い付き合い」でいい

 他人と物理的・心理的な距離が広がり、「1億総孤独」といえる現代。
他者に依存せず、「個」として自立するには、どうすればいいのでしょうか。
寺田倉庫の経営改革などを果たし、NHK「SWITCHインタビュー達人達」でコシノジュンコ氏と対談、著書『ぜんぶ、すてれば』は4万部を超えるベストセラーとなった「77歳・伝説の経営者」、中野善壽氏は、「孤独を生きることで、自分の感性を信じ、磨き抜くことができる」と語ります。
中野氏は孤児同然の幼少期を過ごし、孤独のなかを生きてきました。しかし、そこで自分の感性を磨き、「個」として自立していきます。
社会に出てからは「孤独を武器」に、伊勢丹・鈴屋での新規事業展開や、台湾企業の経営者として数々の実績をあげてきたのです。
本連載では、中野氏の新刊『孤独からはじめよう』に掲載されている「他人に依存せず、自立して、素の自分をさらけ出して生きる」51の人生哲学から抜粋。
「一人で生きるのが当たり前の時代」に肩肘を貼らず、自分に期待し、颯爽と人生を楽しむ考え方を紹介します。

● 人間関係は、水のごとし

 人付き合いについて考えるとき、中国に古くから伝わる荘子
の言葉をよく思い出します。
 いわく、「君子の交わりは淡きこと水のごとし、小人の交わりは甘きこと醴のごとし」。
分別のある立派な人は水のようにさっぱりと清らかな付き合いを好むが、そうではない人物は甘酒のようなベタベタとした付き合いをするという意味だと思います。
僕が求める人間関係もまさにこれ。
人はすべて「個」として存在し、たまたま同じ時代、同じ場所をすれ違う縁で出会うもの。
深入りすることなく、あっさりと、その刹那の交流を喜びたい。
 それがかえって、お互いの「個」の尊重となり、細く長く続く信頼へとつながるのではないかと思うのです。
逆に、ベタベタと密着するように相手の世界に近づこうとし、同調や独占を求める関わり方は長続きせず、破綻へと向かうでしょう。
 ところが、世間には甘酒のようなベタベタとした付き合いを求める人が少なくありません。
きっと、「個」としての自立が不完全ゆえに、誰かと密着して寄り添わなければ不安に感じてしまうのでしょう。
 その不安に理解は示しますが、巻き込まれるのはまっぴらごめん。
 僕は日常の行動から予防線を張っています。
例えば、居酒屋でくだを巻くだけの飲み会には行かない。
お付き合い程度の動機ならば、冠婚葬祭にも行かない。
たまに食事に行っても、長居はせず、適度に話してさっさと帰る。
 これを不義理とは思いません。
僕にとっては、お互いの関係を大切に守るための健康的な義理なのです。


● 出会った人を好きでいたいから、淡い付き合いを求める

 逆に、こうも言えます。
こうでもしなければ、僕は孤独を保てない。
人は人と交わる時間を心地よく感じる生き物です。
 だから、一時の感情に任せれば、どこまでもお互いの世界に踏み込み過ぎてしまう。
しかし、せっかく出会った二人がそれで傷つけ合うのは悲しいと思いませんか。
僕はせっかく出会った人たちを好きでいたい。
 だからこそ、水のような淡く清らかな付き合いを求めるのです。
 (本原稿は、中野善壽著 『孤独からはじめよう』から一部抜粋・改変したものです)


コロナで一人が当たり前になってきました。
「風の時代」にも移行した今、益々【個】の
輝きが増していきそうですね?



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