しゃんみゃお

1974年広島生まれ。千葉大学工業意匠学科卒業。現在は京都芸術大学のアートライティング…

しゃんみゃお

1974年広島生まれ。千葉大学工業意匠学科卒業。現在は京都芸術大学のアートライティング学科編入生として現代アートと日本美術、たまに日本文学を中心に、アートライティング作品を掲載中。

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  • ノンフィクションのようなもの

    アートライティング作品の中でもノンフィクション的なジャンルの記事です

  • アートのようなもの

    アートについてのアートライティング作品になります。 #日本美術 #西洋美術 #現代アート #写真論 #アートライティング

  • カルチャーのようなもの

    文化に関する事に関する事を書いていきます。アートの方は別マガジンです。 #日本文化 #文化人類学 #アートライティング

  • エッセイのようなもの

    旅のあれこれや日々の諸々を徒然なるままに書いてゆきます

最近の記事

自分を承認する/SNSとの距離感

 SNSとの距離感がわからない。私がfacebookを始めた2008年には海外に移住した友人や外国の友人と連絡を取る手段だった様に思う。それが新しく出会う人にfacebookのアカウントを聞かれ、だんだんと1000人近くなっていった事から、いろんなジャンルの人(前職で関わった人やそんなに親しくない人)なども入っており、なんでもかんでも投稿出来る感じではなくなってきて、2016年あたりから自分から発信することをしなくなってきた。そうなってくると、facebookを開けば、ただた

    • ブック・ダイアローグへようこそ!!

       「フツーは存在しない」 主催するイベント「ブック・ダイアローグ*1」で出た対話の内容である。私は本を通した対話イベントを主催している。前身は「ブック・クラブ」で、自分が紹介したい本を紹介する読書会の様なものを、これまで7回ほど開催した。次第に参加者が本を飛び越えて、様々なテーマで対話していることに気づき、「ブック・ダイアローグ」として、各回でテーマを設定しゲストを呼んでいる。  vol.1のテーマは「希望って何だろう」で、ゲストは画家でもありライターでもある浮田靖幸*2さ

      • 朝ドラ『虎に翼』に思う私の「はて?」

         幼稚園の頃「何色が好き?」と聞かれると「ピンク」や「赤」と答える女の子は多かったが、私は嫌だった。かと言って「青」や「黄色」も違うので「虹色」と答えていた。「美しい鳥コンテスト」というイソップ物語を基にしたお遊戯会で、カラスの役を志願した。カラスは美しい他の鳥達の羽を集めてコンテストに出て優勝するが、それがばれて、最後は羽を剥がされて黒い姿になる。それが「かっこいい」と思ってしまったからだ。小学校3年生の時は、毎日Tシャツに短パンを履いている子だった。大学は理系を選んだ。社

        • 私の好きな移動時間=心を緩め自由に羽ばたく

           「Ladies and gentleman, we are now ready for takeoff. Once again please check that your seatbelt is securely fastened,(綺麗な女の人の声で)皆様にご案内いたします。この飛行機は間もなく離陸いたします。シートベルトをもう一度お確かめ下さい。」    私が好きな時間は、移動をしている時間だ。20代の頃はよくバックパックひとつで旅行をしていたものだ。しかし仕事ばかり

        自分を承認する/SNSとの距離感

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        記事

          城崎のだんじり秋祭り〜温泉街の伝統継承装置〜

           今、私の暮らすまちは兵庫県北部にある豊岡市である。現在の主な仕事は、城崎温泉の旅館の若旦那衆が立ち上げた出版レーベル本と温泉の広報で、本の企画にも携わっている。住んでいる豊岡の町から城崎の町へは車で20分ほどで、仕事で通っている事になる。何より嬉しいのは、仕事帰りの温泉である。暮らしている町ではないが、深く関わっている町として「城崎」を取り上げ、このまち独自の文化として、今回は秋祭り「だんじり」について描こうと思う。  2016年に京都に住み始めるまで、関東で育った私は、

          城崎のだんじり秋祭り〜温泉街の伝統継承装置〜

          ブックダイアローグvol.3「生きる」開催!

          今春、芸術文化観光専門職大学のパフォーミングライブラリーにてBOOK DI ALOGUEを開催することになりました。参加者が主役のポエトリー・リーディング (自分が好きな詩や本の一節、自作の詩の朗読)で、今回のリーディングのテーマは 「生きる」です。あなたが「生きる」を感じる詩や本の一節をお持ちください。オープンマイク形式で、リレー朗読 していきます。熊倉先生と詩人の上田假奈代さんのお話しの後、ダイアローグの時間もあります。 うららかな春の図書館でお会いできるのを楽 しみにし

          ブックダイアローグvol.3「生きる」開催!

          一日の最初の光/ジョアナ・シュマリ

          選んだ展覧会ポスターは去年京都で行われた「KYOTOGRAPHIE 2023」である。KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」は、世界屈指の文化都市・京都を舞台に開催される、日本でも数少ない国際的な写真祭で2012年から開催されている。11年目を迎えた2023年は「BORDER=境界線」というテーマが設定され、メインビジュアルとしてアフリカのコートジボワールを拠点に活動するビジュアルアーティストであり写真家のジョアナ・シュマリの作品が採用された。私も去年、両足院で開催された

          一日の最初の光/ジョアナ・シュマリ

          -口承文芸-神話の類似性『クムリポ』と『古事記』

          世界には様々な口承文芸が存在しているが、日本最古の文芸作品である『日本書紀』や『古事記』も、成立起源としては、日本各地で伝承されてきた説話や伝承により成り立つ「帝紀」や「旧辞」を基としている。この中でも神話については、遠く離れた場所にあり全く違った文化を持つ国に、よく似た筋立ての物語があることについては驚きを隠せない。人類学者の後藤明によると『古事記』と環太平洋神話の関わりが指摘されている。その中でも『古事記』とハワイの創世神話を伝える『クムリポ』との関係性は面白い。  

          -口承文芸-神話の類似性『クムリポ』と『古事記』

          二つの時代の国宝図屏風

           古代から近世にかけて、多くの屏風絵が描かれた。特に安土桃山時代から江戸時代にかけて、ほとんどの城郭には屏風が置かれ、それによって屏風絵は芸術としてもその地位を高めていった。屏風絵は、折ることで立体感が生まれ、さらに正面から見るだけでなく左右に視点を変えることで絵に変化が生まれ、鑑賞者が様々に楽しめるように工夫されている。薄暗い日本家屋では、蝋燭の明かりによって鑑賞するといった事も行われていた。  室内を仕切ることで場を区切り、空間を演出する機能をもつ屏風や襖には、権力を象徴

          二つの時代の国宝図屏風

          『君たちはどう生きるか』の物語構造と次の世代への問いかけ

          本論では宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』を題材に、映像がもたらす記憶との接続と、宮崎駿自身の記憶へのアプローチとテーマ性を論じることを目的とする。テーマ性に関しては、本作品以外の宮崎駿監督作品にも触れる事になる。    一般的に私たちは記憶というものを持っている。頭の中にそれがどの様な形で記憶されているのかは科学の領域の話だとしても、ふとした瞬間に過去の出来事や感情にアクセスした経験は誰にでもあるだろう。そのきっかけは、ひとつの映像や音や匂いによるものであることもある。

          『君たちはどう生きるか』の物語構造と次の世代への問いかけ

          サンドロ・ボッティチェッリ《受胎告知》を因数分解する

           二人の人物がお互いの手と手を差し出しながら、向かい合っている。室内の窓枠からは庭園のような背景が見える。左側の人物はたっぷりとしたベルベットの様な光沢のあるドレスに身を包み、背中には羽のようなものを背負っている。そして左手に百合の花。ひざまずき、右側の女性を見上げている。右側の女性もやはり光沢のあるドレスだが、素材は左の人物といくらか違っている様にも見え、とても軽やかだ。表裏の色が違うマントを羽織っていている。そして頭には光輪がさし、そこからも薄いベールの様な生地が垂れてい

          サンドロ・ボッティチェッリ《受胎告知》を因数分解する

          私と「美」との出会い。マティスから祭囃子まで

          「美しい」と私たちが思う時、もしくは思わず声に出さずには居られない時に、どんなことが起こっているのだろう。「あーあれは美しかった」という過去の出来事として美を認識するということもあるかもしれないが、通常それは即座に判断される。 美しさの判断というのは趣味判断である。というカントの言葉からすれば、自然美はより一般的な形で私たちが共有できるものではないだろうか。夕暮れ時の河原で、川面に映る夕陽や、風にそよぐ草花を見る時。また満開の桜の木の下で花びらが散っていくのを見る時。また幼子

          私と「美」との出会い。マティスから祭囃子まで

          フタがガラスのご飯釜

           ハリオという耐熱ガラスメーカーが出している『フタがガラスのご飯釜』をかれこれ7年ほど使っている。艶のある黒い土鍋で重量感があり、その上にぷっくりとした半球のガラスの蓋がのっかっている。これを使うようになってから、電気炊飯器と圧力鍋は使っていない。  炊飯中にも、ぐつぐつと米が炊けている様子が確認できる。ガラス蓋の上についているゴム製の空気穴からピーっと音が鳴れば、火を止める。ピーっと言うまで10分もかからず、その後の蒸らしに15分くらいで、驚くほど簡単で速く米が炊けてしま

          フタがガラスのご飯釜

          社会彫刻によって大きく開かれた現代アートへの入口

           近現代の芸術文化の展開において、私が最も重要視するのはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスがはじめた「社会彫刻」という概念である。近現代の多くの芸術家たちがもがきながら、芸術のあり方を模索してきた。そして、それはある程度まとまった方向性のある芸術動向を生み出してきた。しかしそれらの芸術動向は、表現方法は違えど、芸術の為の芸術であり、ある意味では閉ざされた世界で、狭き門であったように思う。しかし、社会彫刻とヨーゼフ・ボイスが名付けたこの芸術運動は、社会を巻き込み、社会と共に作り上げ

          社会彫刻によって大きく開かれた現代アートへの入口

          陰翳礼讃の中のアートライティング

          アート(芸術作品)は言葉と関わりつつも、その本質的な意味は感覚や感情によって捉えられる。また優れた作品は、言語では得られないような深い経験を与えてくれる。それに対し、アートライティングは、感性的な経験とは別物で、経験そのものよりも、その経験を明確な概念で理解させるというところにある。 アートとアートライティングの決定的な違いは、経験させるのか、経験の理解をさせられるのかというところにある。経験というのはどうしても、個人、あるいは属する集団の持つ歴史的な背景や言語に限定される

          陰翳礼讃の中のアートライティング