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陰翳礼讃の中のアートライティング

アート(芸術作品)は言葉と関わりつつも、その本質的な意味は感覚や感情によって捉えられる。また優れた作品は、言語では得られないような深い経験を与えてくれる。それに対し、アートライティングは、感性的な経験とは別物で、経験そのものよりも、その経験を明確な概念で理解させるというところにある。

アートとアートライティングの決定的な違いは、経験させるのか、経験の理解をさせられるのかというところにある。経験というのはどうしても、個人、あるいは属する集団の持つ歴史的な背景や言語に限定される為、異文化や異なる時代の経験や習慣を完全に理解するのは難しいだろう。アートライティングはしかし、これを言語を使って出来るだけ可能なものとする。

このようにアートライティングは、作品記述や作品批評もさることながら、紀行文、インタビューや対談などの文章なども含まれる。

下記は、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』からの一文である。谷崎自身も「小説家の空想」と断りをいれている様に、多分に本人の主観が混ざっている事は否めない。しかし時代背景が違う現代の我々や、文化が違う海外の方にも広く読まれている、また文学以外の他ジャンル、国内の建築家やデザイナーが言及することも多く、デザイナーにとっては必読書とも言え、建築家の安藤忠雄やグラフィックデザイナーの原研哉、プロダクトデザイナーの深澤直人といった、日本を代表するデザイン界の重鎮たちも影響を受けている事から、文学作品の中に見られるアートライティングとして、取り上げた。

京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。
(中略)日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。そう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を暗い所でいろ/\の部分がとき/″\少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおり/\風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちら/\と伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』Kindle 青空文庫 187頁

ここでは、谷崎自身が経験した日本家屋の持つ陰影と漆器の美しさ(芸術的価値)について伝えているが、それを陶器と比較する下記の様な文章でさらに、経験の理解が深められる。

けだし食器としては陶器も悪くないけれども、(中略)漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味ぬくみとを何よりも好む。

谷崎潤一郎『陰翳礼賛』Kindle 青空文庫 220頁

アートライティングの役割は「ことばの力」を使って、芸術の持つ価値を、異なる文化・世代・時代・地域を超えて伝え共有するために経験を方向づける事であるから、失われつつある日本家屋や日本文化の持つ『陰翳』を『礼賛』するために書かれた一種の日本文化の芸術論であり、迫りくる西洋文化にたいする、批評・批判も交えている事から、アートライティングの事例として取り上げた。

最後に夏目漱石の「草枕」が出てくる下記の文章を例に上げたい。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹ようかんの色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉ぎょくのように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

谷崎潤一郎『陰翳礼賛』Kindle 青空文庫 236頁

この文章のアートライティングとしての価値は、対象(羊羹)やその他の事物(西洋の菓子、塗り物の菓子器)をありありと表現しながら、異なる文化圏である西洋と東洋の菓子を対比させながら、アートライティングにおけるテーマの一つである美意識の探求を理解させるというところにある。この文章が書かれた時代は西洋至上主義が台頭し、日本人が持つ美意識が大きく様変わりしていく様子に、谷崎は危機感を覚えたのではないか。そしてこの『陰翳礼讃』の文章からは、日本人が本来持っていた美意識を、異なる時代背景を持った我々へ繋げていこうとする、谷崎の強い意志が感じられる。


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