陰翳礼讃の中のアートライティング
アート(芸術作品)は言葉と関わりつつも、その本質的な意味は感覚や感情によって捉えられる。また優れた作品は、言語では得られないような深い経験を与えてくれる。それに対し、アートライティングは、感性的な経験とは別物で、経験そのものよりも、その経験を明確な概念で理解させるというところにある。
アートとアートライティングの決定的な違いは、経験させるのか、経験の理解をさせられるのかというところにある。経験というのはどうしても、個人、あるいは属する集団の持つ歴史的な背景や言語に限定される為、異文化や異なる時代の経験や習慣を完全に理解するのは難しいだろう。アートライティングはしかし、これを言語を使って出来るだけ可能なものとする。
このようにアートライティングは、作品記述や作品批評もさることながら、紀行文、インタビューや対談などの文章なども含まれる。
下記は、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』からの一文である。谷崎自身も「小説家の空想」と断りをいれている様に、多分に本人の主観が混ざっている事は否めない。しかし時代背景が違う現代の我々や、文化が違う海外の方にも広く読まれている、また文学以外の他ジャンル、国内の建築家やデザイナーが言及することも多く、デザイナーにとっては必読書とも言え、建築家の安藤忠雄やグラフィックデザイナーの原研哉、プロダクトデザイナーの深澤直人といった、日本を代表するデザイン界の重鎮たちも影響を受けている事から、文学作品の中に見られるアートライティングとして、取り上げた。
ここでは、谷崎自身が経験した日本家屋の持つ陰影と漆器の美しさ(芸術的価値)について伝えているが、それを陶器と比較する下記の様な文章でさらに、経験の理解が深められる。
アートライティングの役割は「ことばの力」を使って、芸術の持つ価値を、異なる文化・世代・時代・地域を超えて伝え共有するために経験を方向づける事であるから、失われつつある日本家屋や日本文化の持つ『陰翳』を『礼賛』するために書かれた一種の日本文化の芸術論であり、迫りくる西洋文化にたいする、批評・批判も交えている事から、アートライティングの事例として取り上げた。
最後に夏目漱石の「草枕」が出てくる下記の文章を例に上げたい。
この文章のアートライティングとしての価値は、対象(羊羹)やその他の事物(西洋の菓子、塗り物の菓子器)をありありと表現しながら、異なる文化圏である西洋と東洋の菓子を対比させながら、アートライティングにおけるテーマの一つである美意識の探求を理解させるというところにある。この文章が書かれた時代は西洋至上主義が台頭し、日本人が持つ美意識が大きく様変わりしていく様子に、谷崎は危機感を覚えたのではないか。そしてこの『陰翳礼讃』の文章からは、日本人が本来持っていた美意識を、異なる時代背景を持った我々へ繋げていこうとする、谷崎の強い意志が感じられる。
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