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サンドロ・ボッティチェッリ《受胎告知》を因数分解する

 二人の人物がお互いの手と手を差し出しながら、向かい合っている。室内の窓枠からは庭園のような背景が見える。左側の人物はたっぷりとしたベルベットの様な光沢のあるドレスに身を包み、背中には羽のようなものを背負っている。そして左手に百合の花。ひざまずき、右側の女性を見上げている。右側の女性もやはり光沢のあるドレスだが、素材は左の人物といくらか違っている様にも見え、とても軽やかだ。表裏の色が違うマントを羽織っていている。そして頭には光輪がさし、そこからも薄いベールの様な生地が垂れている。右手が前に出ているが、両手とも左の人物の事を受け止める様な形で前に向いている。顔はやすらかで目をつぶり、何かに集中するような、何かを祈っている様な表情をしている。
 
 大天使は「純潔」の象徴として百合の花を携え、赤い衣服に青いマントの象徴するものは「聖母マリア」だという事が分かる。この絵の主題は、マリアが神の使いである天使から、処女のままで神の子を身ごもるという告知をされる場面で新約聖書『ルカによる福音書』の第一章26節から由来している。

マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

ルカによる福音書 第一章

この絵には、受胎告知された時のマリアの驚きと戸惑い、敬虔な気持ちでこの偉大な任務と神の意志を受け止めるというマリアの心の動きが描かれている。

 サンドロ・ボッティチェッリはフィレンツェでのルネサンス美術最盛期に活躍した画家で、師にフィリッポ・リッピを持つ。大銀行家のメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニフィコをパトロネージに持ち《プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》などの華やかな名作を生み出し、《受胎告知》もこの頃(1489年)に描かれた。この絵は《チェステッロの受胎告知》とも言われ、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に収蔵されている。
 
 ボッティチェッリは、ロレンツォの祖父が作ったプラトンアカデミーに参画するなど、この頃にはメディチ家の影響を多く受けていた。このアカデミーには多くの人文主義者が集い、メディチ家のロレンツォも加わって、プラトンの対話篇さながらに愛や美を巡る知的な討論を行い、異教的な思想が育まれた。《プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》も古代ローマ・ギリシャ神話にインスピレーションを受け、ルネサンスという本来的な意味である『再生』に相応しく、古きに学び新しきを作る気概と華やいだ作風である。ルネサンスの台頭にはメディチ家という強力なパトロンがいたからこそ、芸術家たちが育ち、花開いていったところがある。
 
 しかしその後のボッティチェッリの晩年はそう華々しくもなかったようだ。メディチ家を痛烈批判する修道士ジロラモ・サヴォナローラが神権政治を握り、ロレンツォの死(1492年)の後にはプラトンアカデミーも閉鎖されてしまった。この頃から彼の作風も、暗く厳格なものに変ってしまった。1496年に描かれた《誹謗》という作品には、彼の苦悩の跡が見てとれる。生涯独身で過ごし、男性愛の疑惑もかけられ、親友であったロレンツォとの別れなど、数々の試練があったボッティチェッリ。400年近くも忘れ去られ19世紀にやっとその価値を再認識された。時代に翻弄されながらも、自分の描きたい絵を描けていたのだろうか。時代は巻き戻せないが、その時に戻れたら、いつの時代に戻りたいだろうか。

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