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7インチ盤専門店雑記499「Jackson-Kent Blues」

スティーヴ・ミラー・バンドの1970年7月にリリースされた「NUMBER 5」という5枚目のアルバムに「Jackson_Kent Blues」という曲が収録されております。7分19秒もある長尺曲です。イントロのメロディが好きで、時々コンピレーション・テープ(後にCD)に入れておりましたが、如何せん長いので、それが許される時だけでした。

スティーヴ・ミラー・バンドは1973年の8枚目「The Joker」をリアルタイムで購入したのが最初で、その後はずっと買い続けることになったバンドですが、ふと思い立って、80年代の途中から初期の7作も買い集めておきました。合わせて初期の音源を集めた2枚組「Anthology」が無茶苦茶気に入って、一時ハマっておりました。ポール・マッカートニーが参加した、ビートルズの歴史を語る上でも重要な「My Dark Hour」も収録されており、クレジット・オタク的な自分の音楽への接し方に大きな影響をもたらしたアーティストです。

さて表題の「Jackson-Kent Blues」ですが、以前書いたCSNYの「Ohio」と同じ「ケント州立大学銃撃事件」を批判する歌詞を持った曲です。カンボジア空爆に対する抗議デモを行っている学生に向けて州兵の部隊が銃を乱射した事件です。結果4人の学生が死亡しております。

「NUMBER 5」の見開きジャケットの内側には、ニクソン政権への批判が実にシニカルに記されております。

以前の文章でも書きましたが、この事件に関する資料は意外に限られており、アメリカは都合が悪い黒歴史に蓋をしたいのかという印象が拭えません。もちろんウェブ上にはそれなりに情報がありますし、訴訟はいまだに続いております。54年も経ってますけどね。

ただ悲しいかな、英語の資料はいろいろあるようですが、日本語に訳されているものは限られております。しかもウィキでは「ケント州立大学銃撃事件」でしょ…。アメリカにはケント州はないわけで、オハイオ州立ケント大学なんだと思うんです。でもね、オハイオ州のことを調べても、ウイキではケント市が見当たらない状態です。自治体合併でもしましたかねぇ?いろいろ調べても情報に辿り着くのに随分苦労するなという印象です。

そして「Jackson-Kent Blues」のJacksonですが、同様の事件が1970年5月14日、つまりケントの事件の10日後にジャクソン州立大学ならぬミシシッピー州ジャクソンにある州立大学で起きて、やはり2人の学生が死んでいるんです。こちらはもっとメディアに取り上げられることが少なく、日本語のウィキペディアのページもありません。「NUMBER 5」はArea Code 615のホーム・スタジオ、ナッシュビルのシンデレラ・サウンドで録音されていたり、いろいろ語りたいことはあるのですが、整理してと考えて調べていくと、恐ろしくチープなWikipediaに呆然となります。曲の解説も何もないんですから、…消されてしまうんですかね。とにかく、スティーヴ・ミラー、いい仕事をしております。もっと注目すべき人物です。

この件に関しては、繰り返し書いて行こうかなと思っておりますが、時間はかかりそうです。

今知れた面白いことを付記しますと、ジョー・ウォルシュ率いるジェイムス・ギャングは1970年5月4日にオハイオ州ケントでライヴの予定があり、ジョー・ウォルシュはこの惨劇の目撃者であるということ、そして事件の50周年記念式典にデヴィッド・クロスビーと一緒に参加していること。また、プリテンダーズのクリッシー・ハインドはまだ高校生ながら、この抗議デモに参加していたということ、その当時一緒にバンドを組んでいた連中は後にDEVOを結成したということ、その連中は至近距離に銃弾が飛んできたことなどの証言をしていること、…とかですかね。この経験をしておいて、あのDEVOですか…。

諸々の情報があまりにも驚きに満ちており、衝撃が大き過ぎてなかなか先に進めません。いろいろ書くにも時間がかかりそうだということも、ご理解いただけることと思います。


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