十月 追憶茶会〜さつま芋のケーキ
十月の記憶の中の光景は
いつもおなじシーンだ
1964年 十月十日
東京オリンピック開会式
早逝した父の三回忌の準備で集まった
まだ若かった伯母たちの
やわらかく、華やいだ声と
割烹着に身を包み
翌日のお斎の準備をする慣れた手つき
次々と出来上がる湯気に包まれたご馳走
いつもは母、兄、私だけの
ひっそりと静寂に包まれた田舎の広過ぎる家に充ちる
にぎやかさが
十二歳の私にはなによりも嬉しかった
「ほらほら始まったよ」とみんなでテレビの前に正座する
最終ランナーの昭和20年8月6日、広島県で生まれた十九歳の青年、早稲田大学・坂井義則選手がかかげる聖火が聖火台に点され
一斉に十月の空に放たれた八千羽の鳩
十二歳の十月から
十月はそんなシーンと重なる
父の記憶を反芻する季節になった
先月七十一歳をむかえたというのに
それは変わらないのだから
ニンゲンの記憶というのは
不思議だ
かなり固執するものらしい
十月になると少女たちは
彼女たちの保育園時代には
決まって
私にどんぐりのプレゼントをくれたものだ
少年たちも然り
遊びに来た彼らが
「ばあば、どんぐり、ひろったよ これかざってね」
と手渡してくれたプレゼントのどんぐりを飾って
十月のお茶会
毎年秋にはマロンケーキを焼いてきたけれど
さつま芋のケーキを焼きたくなった
いただきもののさつま芋もたくさんあったし
ぜったい美味しいはずだから
うまく焼けました
小花模様のジノリのお皿に盛り付けて、薄っすら紅葉したブルーベリーの葉と南天の葉を添える
コーヒーを淹れて
ケーキを切り分ける
たっぷりのバターと卵とさつま芋が
和やかに、ふくよかにまとまっていて
ほらね
想像通りの美味しさです
いつもお菓子を作ると
少年少女たちに食べさせたいと思うのだけれど
このさつま芋ケーキは
父にごちそうしたかった
そんな慈しみの気持ちがわいてくる、焼き菓子です
そういえば
父の好物って
なんだったのだろう?
赤く染まろうとする空を見ながら記憶を遡ってみる
けれど
ワカラナイ
でも
この焼き菓子は、ぜったいに父は好きだと
確信できる
幼かった私が
父の自転車の後ろに乗せてもらって、田舎の道をゆるりゆるりと
父の大きな背中と
過ぎゆく見慣れた風景を交互に見て
家路につく
そんな光景
記憶の中のシーン
狂った暑さの盛夏、残暑にうんざりした九月
が過ぎゆき
十月になり
夕陽は、もう
すっかり深まる秋の色です
こんな風に誰かを想ったり
聴覚の奥深くに潜んでいる懐かしいひとの声に
耳を澄ませたりする
そんなひとときと
ほっこり、しみじみ、美味しいお菓子
私の十月
追憶茶会
先日の栗仕事の記録
少年たちも手伝ってくれ、大量の栗はマロンペーストと渋皮煮になりました。
栗の渋皮煮といえば、母の姉である私の伯母です。
嫁ぎ先の神社の裏山の栗の木が実るころ、たくさんの栗を集めて、大量の渋皮煮を作って、空き瓶にいくつも詰めていたこと。
秋祭りのとき、バスに揺られて手伝いに行くと、栗の渋皮煮を幾つも食べられるのがほんとうに楽しみだったこと。
十月はやはり追憶の季節なのかもしれません。
人恋しくなる季節です。
(私は砂糖の分量をかなり減らして、さつま芋ペーストには焼き芋を使うアレンジで作ります)
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