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生きづらさはつらいと言えないつらさ。

鬱やパニック、また発達障害の特性によって抱えてしまう「いきづらさ」というのは、

生きていく上で普通ならば、つらいことをつらいと言えるのは当たり前のことなのに、

それを、友達や上司、先生はおろか
親や兄弟にまでおかしい、変だ、と理解されず

「つらいことをつらいと言ってはいけない世界でずっと生きている」ことへのつらさ、なのだ。

身体の不調も考え方や感じ方の不調も、こころの問題にすれば、まるで片付いたようにされているように思う。

それは脳の働きであり、脳は肉体の一部であり「からだ」なのだ。
だから安易に「こころの問題」と片付けてもなにも解決しない。

「普通」の環境で過ごすだけでも誰も予想できないようなストレスを感じるのに、それを口に出すことを憚られるという精神的な負荷を受けている。

当事者のいう「いきづらさ」とは、この後者の方「つらいと言えないつらさ」なのだと僕は考えている。

だから当事者同士の対話や「うつヌケ」のような書籍が改善のきっかけになりうるということを、もっともっと理解されてほしいなとおもう。

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