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遠くから地元下呂のことを考えた1ヶ月

週末岐阜県民として初めて「岐阜に戻らない1ヶ月」を過ごした。
関東で過ごしながら新しく始めたことが2つある。

SNSの立ち上げ

1つ目は温泉寺のInstagramの立ち上げと運用。
下呂の人にとって、そして私にとって最も身近で特別な場所。そんな温泉寺に関わらせていただけることが本当に嬉しい。

まだ大したことはできていないのだが、“温泉寺”だからこそフォローしてくださる方や、反応していただく方がとても多くいることを実感している。温泉寺を知らないであろう友人からも反響があったことは意外だった。だからこそ、伝えたい方に、伝わる媒体にしていかなければならない。

もちろん「温泉寺の発信」をメインにしていかなければならないが、私個人としては「下呂の発信と情報収集、そしてその先」までしていきたいと思っている。
ありがたいことに地元の方々からのフォローが増えてきたので、個人アカウント以上に地元の日常が届くようになった。
その意味では見てほしい・知ってほしいという発信と、見たい・知りたいという情報収集までのイメージはできている。

その上で温泉寺を含めてどう活用していくか。まだまだ先は長いが、じっくりと向き合いたいと思っている。

快く引き受けてくださり感謝

まちあるきの準備

2つ目はまちあるきをする準備。
これまで友達としていたようなまちあるきから、もう少しソーシャルな形でできたらと思っている。そして、下呂を良く知る人・まちあるきが好きな人たちと一緒に実施したいと思っていたので、私もそれ相応の情報を知っている必要があると感じていた。
そのために下呂に関する調査を行っていた。国立国会図書館で古地図や資料を手に入れたり、Webから下呂の歴史を勉強したりする時間を過ごしていた。

その中でも印象的だったのが、1981年に出版されたゼンリンの地図と2023年のGoogle mapの地図。
2つの地図を見比べて、どこでどんな変化があったのかを探しているの時間がとても楽しかった。それを現地で一緒に楽しめたらいいなと思い、まちあるきのテーマを「下呂温泉街の40年間の変化」と仮設定した。
ストリートビューや古地図、過去の記憶を遡って建物一軒一軒を区分し、変化を地図に残す作業を始めた。

そのために新しく購入したiPadとApple Pencilを用いて一軒一軒描いていく。「ここが喫茶店だったんだ」とか「この近辺は比較的新しい住宅が多いんだ」など、あまり語られることのなかった下呂温泉街の歴史を知ることができた。これ地元の人やまちあるき好きと語れたら楽しいだろうなと期待が膨らんだ。

今回の対象範囲は旧下呂町の幸田・湯の島を中心とした


建物はただ描いているのではなく、レイヤーに分けてラベルを振り分けている。これもまだどうしようかなというところではあるが、ひとまず

・住宅
・事業所や行政施設
・商業施設
・宿泊施設
の4種を、40年前と(変化なし・新築または改築・解体または廃業)の3項目、
12区分に分けてみようかなというところだ。

建物の写しは大体終わった
とりあえず下呂だとわかる形にはなってきて安心した


色を変えたらそれっぽい地図にはなったが、カラーバランスの悪さや建物の写しの甘さが目立ち、説明ありきになりそうだなあと編集に悩んでいる。
建物の修正とラベリングを中心に、初見でも分かりやすいものにしていくとともに、デジタルだからこそ楽しめる地図に仕上げていこうと思う。

地元と原体験を考える

この1ヶ月はひたすら“下呂“のことを考えていた。
ほんの少しは自信もついてきたけど、まだまだ足を止めるわけにはいかないなと。
この先どんなことをしていくかについても本当にわからない。

ただこれまでの1年間、遡れば地元を離れてからの10年間の中で、一番自分が進みたい方向を定め、進み始めた時間を過ごしているんじゃないかなとも思う。


地元を離れているからやらなくていいのではなく、やらなければならないという罪悪感のような気持ちも少なからずある。
でも今はそれ以上にできることがあるし、やりたいことがあると感じている。
究極的には地元を離れているからこそできることも見つけたい。

また、自分の原体験についても考えていた。

知らないことも多いけど、知っていたことも多かったということ。
ここに⚪︎⚪︎さんが住んでいるとか、ここに⚪︎⚪︎店があったとか、社会に出る前の経験にしては詳しいのではないかと思えてきた。
親族も全員下呂で生まれ育ったような家系だし、入れ替わりの少ない小さなまちだし、その分地元の話を聞いて育ったからなんだろうなと改めて認識した。
ただ、それと同じくらい地元には温泉以外何もないとか、戻ってきてほしくないとも聞いたなあとも思い出していた。

原体験の中には、地元を切り離して考えることのできなかった人生を送り、良くも悪くもそうなりたい自分となりたくない自分がいた。

それが原体験であり、原動力なんだろうな。
なんだか不思議な気持ちになった。

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