死にたがりの生記録

死にたがりの生記録

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人の死をなんとも思わない人もいる。 度重なりすぎて、嘘でしょって思う人もいる。 そもそも、人が亡くなることにそれほど興味関心がない人もいて、ただそれだけ。 本当にそれだけなんだけど 弱ってる時にはくるものがある。 電話でも案外、思ってることは伝わるものです。

    • 終わったなぁ

      疲れた、ひどく、本当につかれたよ よくここまで運転して戻ってこれたもんだわー もうひと休憩入れたら帰ろー 腐るほど泣いてきた 号泣してきた、体の中の水分全部なくなっちゃうじゃないかなってくらい。 めちゃくちゃ注目された、 めちゃくちゃ見られました。 それでもその視線に負けなかった自分を誉めてあげよー 疲れたよねー、 元姑居るかもしれんし、 あの人もあの人も居るかもしれんし、 そら、会いたくないわなー 義兄がいてくれてなかったらこうもうまくはいってなかったよね

      • 吐き出しきらないことには

        たまんないんだよなぁ、毎回。 頭の中での思考回路がうるさすぎる。 もうnoteは毒吐き用、愚痴吐き用、あしたのための自分用にしようと開き直ってみよう。 とりあえず、一回。 やるだけやってみよう、 今回みたく、過去の自分が未来の自分を変えてくれるかもしれないから。 過去の私が未来の私に教えてくれるかもしれないから。 DRAGON GATE に久しぶりに触れた昨日、 エネルギーが爆上がりするのが本当によくわかりすぎて。 嗚呼、興奮とか、憧れとか、〝好き〟のエネルギー

        • 明日、葬式だなぁ…

          って頭によぎるの、なんかいも。 なんか、悲しくなっちゃう、そんなレベルじゃなくて いちいち気分は落ち込むし、 とりあえず、明日まで。 明日までは元気な自分で居よう、居たいって決めた昨日、 本当に初めて、 本当にはじめて。 泣いた、 親の前で少しだけ 度重なる死に直面した時には泣いたけど、 それでも極力影で泣くか 子どもたちの前で泣くかの2択しかなかった。 好きじゃなかったから。 ずっと、ずっと。 本当に、ずっと。 ずっとずっと親の前で泣かないようにして

        人の死をなんとも思わない人もいる。 度重なりすぎて、嘘でしょって思う人もいる。 そもそも、人が亡くなることにそれほど興味関心がない人もいて、ただそれだけ。 本当にそれだけなんだけど 弱ってる時にはくるものがある。 電話でも案外、思ってることは伝わるものです。

          訃報。

          本当に暗いのでお気をつけください。 通称、〝死にたがりという名の病〟にかかっている自分ですら、生を継続させることも、維持していくことも難しい次第ですから、個人のご判断でお読みください。 どうか、これ以上人が亡くなりませんように。 これが一番の願いなんです、無理難題とわかりつつも、私にはそれを願わずにはいられないのです。 本題です。 訃報というの名の悲しみはいつも突然やってきて、わたしを惑わせる。 ほら、〝生〟にする? 〝死〟にする? 再びわたしはいつもの死のふち

          転じて職となる。

          〝絶対の絶対に無理だ。〟 大量の段ボール箱、 膨大な資料。 端正な顔立ちの男性は大きい目でチラリとこちらを見やった。 〝あ、やばい。間違えた。〟 瞬間的に異性に対する恐怖心を思い出す。 バリバリ現役、管理職です。 顔で語っている男性を前に、 わたしは〝記念受験〟と称し面接を受けにきたことを後悔した。 〝冷酷非情〟彼の顔にその文字が貼り付けてあるように見えて仕方がなかった。 〝初めから無理難題だったんだ、  わたしには向いていない。〟 後から入ってきた男性と2人

          夫源病

          わたしは人の人生を生きすぎていた。 そう痛感する。 齢30、 わたしはわたしという名の人間を、人生をほんとんど生きてこなかった、と言っても過言ではない。 ふと一瞬、時折、あるのはあるのだけれど それはあまりにも一瞬すぎて 流れ星と似ている気がする。 何故だろうか、それをよくよく考えてみる。 考えてみると、それはむくっと顔を出す。 今か今かと待っていましたと言うまでもない、とでも言うように。 やつらは我が物顔でわたしと言う人間を首を長くしすぎて待ちくたびれた様子で

          死にたがり、というなの病

          青天の霹靂 とでも言ったほうがいいのか、 言うべきか。 潜在意識とか、引き寄せの法則とか。 腐るほど聴いてきたのは 〝自分の思考が現実を作る〟 ということ 〝今の気持ち、周波数が未来を作る。〟 ということ。 まったく腑に落ちてなかったし、落とそうともしてなかったし。 実践してはやめて、の繰り返しをすることはや数年。 大っ嫌いだった、 この世でいちばん憎んでいた母親から 教えられるとは思ってもみなかった。 想像だにしなかった。 思いもしなかった。 考えも

          死にたがり、というなの病

          はー、今日もいきたくねぇなぁ

          そんなことを思いながら寝たような 寝れてないような朝を迎え、 まいど、人生何度目かのあさ。 あー、なんか たまにはお日様登り忘れたりしないかな? 天照大御神さま、ど忘れしたりしーひんのかな? 実は時間さんっておっちょこちょいで進み忘れたりしない? とか、わずかに期待をこめて窓の外を見てみる。 どうやら誰も何一つも忘れてないみたい。 そりゃ、そうだよな。 と少しため息。 世間一般からしたら遅いおはよう、 世間一般からしたら自堕落な生活。 それでも わたしはわ

          はー、今日もいきたくねぇなぁ

          男性恐怖症克服への道 ♯1

          男性がこわい、 その恐怖心は幾分かマシになったとは思う、 自分自身でも。 でもまだたまに顔を出す 高圧的な男性と遭ったとき 見た目にはでないが、心臓はばくばくだし、手は震えて痛い。 軽い酸欠状態。 しばらくは尾を引きずる。 出陣式から始まった激動の一週間、 いや、まだまだ始まったばかりの激動。 出陣式では情けない姿を見せた。 恐怖でいっぱいで、違う意味で今も恐怖でいっぱい。 久しぶりに遭遇した高圧的な男性。 ただただ、恐怖でしかない。 連絡をとらなければいけない、これ

          男性恐怖症克服への道 ♯1

          未来への選択、自分自身への選択。

          「未来の自分のために、行動するんだよ。」 件の彼との電話中、 自然と出た言葉だった。 なぜかって、最近やたらめったら 人の死にまつわる話ばかりだからだ。 年始、腐るほど泣き、 腐るほど後悔し、 腐るほど前を向けず、 ずっとずっと廃人のように生活していた。 実家に身を寄せてなければ 自分の命を繋ぐことも難しかったかもしれない。 それでも時が経てば 嫌でも前を向けるようになる日が来て 嫌でも過去の思い出になってしまう。 それが、辛かった。 苦しかった。 過去になんかし

          未来への選択、自分自身への選択。

          狂うほど人を好きになったことはありますか?

          こころのせいり、の続きになるけども。 誰にも吐き出せなかったことがここでは吐き出せる。 大して需要もないだろうし、 大して他人に影響も与えないだろうし、 という安心感からか わたしは他者に悪い影響を及ぼすことにひどく怯える。 おそらくそれは、過去 自分が多大なる悪影響を人に及ばされてきたからだろう。 多大なる悪影響の末、 何度も生きるのをやめようとしたからだろう。 だがしかし、人間は簡単には死なない。 思ったより、人の身体って丈夫なんだ。 何度かの自殺未遂の末、行き着いた

          狂うほど人を好きになったことはありますか?

          こころのせいり

          たまたま久方ぶりに恋愛映画、 もしくはドラマを見たくなった。 今まで自ら見るものは ミステリー、もしくはドキュメンタリー。 離婚してからというもの、 離婚事由からか、男性に対する恐怖心や 異性間の問題を避けつつあった。 自ら現実からも逃避してきた。 なるべく接触しないように、 なるべく好意をもたれないように、 周りから注意されるように、 思わせぶりな態度をとらないように。 姉が勧めてくれたのは 「リコカツ」 途中まで見て気づいた。 どうしてだろう、昔のわたしなら 何事

          大っ嫌いな洋画

          #映画にまつわる思い出 映画にまつわる思い出といえば、 当時小学校4年生。 漢字もそこそこ、なお年齢。 離婚した父との面会は決まって映画かバイク。 映画は必ず洋画もので 中身も必ず当時の自分には理解し難いものばかり そして決まって言われる事がある。 「洋画は必ず字幕で。」 当時は父と会うために嫌々付き合った映画、 中身もほぼわからずにとりあえず 文字を追うことに必死になった過去。 「これが見たい!」とたまに要望を出し、 許可をもらうと喜び、跳ねると その後の一言に

          優雅な朝

          とは程遠い 登校拒否の子どもたち、 出勤前の父母の慌ただしい声で目覚めた朝 用意してくれていた朝食を 今は亡き祖父の部屋で頂く。 小さい部屋の中 喧騒を聞きながらふと思いを馳せる。 会話の少なかった、 共に過ごした時間があまりにも少なかった祖父は こうやって毎朝 ひとり静かにご飯を食べていたのだろうか、と。 そしてふと思う。 祖父の存在を身近に感じる。 祖父が喜びそうな朝食を、 大事にしている嫁に作ってもらった朝食を、 祖父ならば 有難う、有難う。と食すのだろうと