優雅な朝
とは程遠い
登校拒否の子どもたち、
出勤前の父母の慌ただしい声で目覚めた朝
用意してくれていた朝食を
今は亡き祖父の部屋で頂く。
小さい部屋の中
喧騒を聞きながらふと思いを馳せる。
会話の少なかった、
共に過ごした時間があまりにも少なかった祖父は
こうやって毎朝
ひとり静かにご飯を食べていたのだろうか、と。
そしてふと思う。
祖父の存在を身近に感じる。
祖父が喜びそうな朝食を、
大事にしている嫁に作ってもらった朝食を、
祖父ならば
有難う、有難う。と食すのだろうと
そう思った瞬間、突然
改めて食に対する考え方がガラリと変わる。
手を合わせ
命をいただくことに感謝し、
作っていただいた人に感謝し、
それを流通していただいてる人等々に感謝し
〝いただきます〟と述べること。
この一口一口が自分の血肉となること
それを頂ける有り難み。
今一度、一口一口噛み締める。
なんて有難いことだろう、
なんて幸せなことだろう。
様々な感謝と愛が溢れ出し、
元々食に対してストイックな考え方がある自分ではあるが
改めて、より深く、より一層。
感謝と愛に溢れた日々を心から感じさせられた。
そんな取り留めもない毎日に
愛し、大切にしている人たちが
今日も生きていてくれることに感謝。
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