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なぜ?人を殺してはいけないのか?

仏教には戒律があります。

1、人を殺してはいけない。

2、間違った男女関係はいけない。

3、嘘をついてはいけない。

4、盗んではいけない。

5、酒を飲みすぎてはいけない。

こう言ったものは、倫理とも言われます。

これは、大変重要なことです。

なぜなら、こう言ったものを守っていくと、実際に、幸せになったり、豊かになったり、出世したりする、確率が非常に上がるからです。

しかし、なぜこんなものが、あるんでしょうか?

私が思うに、人間には、生まれた時に、もうすでに、遺伝子の中に、こう言ったものを守るように、プログラムが書き込まれているような、気がするのです。

つまり、人間の深層意識の中には、社会を成り立たせるために、すでに倫理はプログラムされているのではないでしょうか。

で、倫理は、生まれた時にすでに持っているものと、社会的なものがあります。

社会的な倫理とは、勤労の精神などがあると思います。

でも、よく戦争で殺人は肯定されることも多いじゃないか?という人もいると思いますが。実は、人間は自分の属する共同体、の中の人間のみを人と認識しがちなのです。

ですから、思想、民族、宗教、イデオロギーの違いなどで、戦争が起こる場合、ある共同体は、自分の外の集団の人間を、人だと思っていないのです。

要するに、殺人ではなくて、異物を排除しているという、感覚なのです。

だから、全ての人が、同じ人類じゃないか、人じゃないか、という目を持つ指導者が多ければ、戦争は起こりにくくなります。

倫理が国家によって、強力に担保されてきたのは、中国の世界帝国とイスラム帝国でした、これらの巨大国家の富は世界を長い間、圧倒してきました。

これを私は、産業的中間資本と呼びます。

近代、西欧列強なんて言いますが、単に大混乱だっただけなのでは?と思ってしまうくらいです。

モンゴル世界帝国の倫理は、思想、良心、宗教の自由ということでした。

社会を成り立たせるためには、絶対倫理は必要なものですし、それらは、人類は生まれた時にすでに持っているものでもあるような、気がします。



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