東日本大震災と私
こんにちは
皆さんは3月11日と聞き、何を思い浮かべるか。
そう。東日本大震災の日だ。
その日から本日で13年となる。
2011年3月11日14時46分に三陸沖を震源とする地震が起き、津波による甚大な被害によって1万人以上の方が亡くなった。
当時私は小学校3年生だった。
その時の記憶はとても衝撃的だった為今でも忘れない。
今年は能登半島地震も起きたためより防災に関しての関心がより高まっただろう。
本日は私の東日本大震災の体験談を綴っていきたい。
地震発生時
当時小学校3年生だった。
その時は、授業が終了し、教室に戻った時だった。
音楽室から戻り、教室に足を踏み入れた瞬間大きな揺れが私を襲った。
当時の心境として映画風にまとめるとこのようになる。
その後校庭に避難し、安堵しているもの、恐怖におびえているもの(特に低学年の子に多かった。)、さらに泣いている子までいた。
突然の事態に皆は騒ぎ出した。
その混乱した空気の中ある先生が大声を張り上げてこう言った。
この言葉を聞き、皆は水を打ったかのように静まり落ち着いた。
揺れも収まったので教室に戻り帰りのホームルームが始まった。
突然の揺れだったため先生の話を聞きながら皆帰りの支度をしていた。
先生が「地震にきをつけて帰りましょう。」といっている間に余震が襲った。
その時私はランドセルをやっかみすぐに校庭に出た。
そして、会社を早退した母親がいた。
「よかったね。」といわれた瞬間涙が出た。
と、同時に「自分、生きている」とも感じた瞬間だった。
この時私は東北の地で何が起こっているかもまだわからなかった。
津波の映像をテレビで見る
「ああ生きていてよかった。」
そのような気持ちを抱きながら帰路へ着いた。
そして祖母の家へ向かった。
テレビはずっと震災の報道特番を行っていた。
そして衝撃的だったのが、リアス海岸と呼ばれる場所で津波が襲っている映像が中継で流れた。
人がのまれ
車がのまれ
街がのまれた。
「津波」という怪物に襲われ町は無惨な姿になってしまっていた。
見ていて胸が張り裂けそうで悲しかった。涙が出た。
震災からしばらくはテレビでエーシージャパンのcmが流れていた。
このcmは有名だろう。
このcmを見るたびに元気をもらった。
1年後あの曲の誕生
東日本大震災から1年後の2012年ある曲が誕生した。
それは、「花は咲く」だ。
この曲は私にとってあの震災で亡くなった人をしのびつつも前を向こうという気持ちにさせてくれた曲だ。
これからも歌い疲れてほしい曲であると感じた。
後世へ~未来の子供たちに震災のことを伝える~
3月9日(土)に東京・神保町にある日本出版クラブにて以下のイベントが開催されたため聴講してきた。
第一部は絵本「希望の牧場」の朗読が行われた。その後、第二部においては、「16歳の語り部」として出版された、3人の東日本大震災を経験した人の話を聞いた。
16歳の語り部はここから購入できる。
希望の牧場はここから購入できる。
講演を聞いて印象に残った話として、経験者の一人である現役の保育士さんからの話があった。
この話を聞き、震災を経験していない小学生や中学生に私も伝えたいと考えた。
特に震災の年に生まれた子は今年で中学生である。
あの日あの時何が起こったのかを正確に子供に伝えるとともに、自身の防災意識を高めなければと感じた。
それでは
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