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異形者たちの天下第3話-1

第3話-1 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 慶長一九年(1614)正月九日、後陽成上皇は久しく鬱屈した日常を大いに笑いで吹き飛ばされた。
 出雲の阿国。
 慶長二年に江戸で興行して以来、ぷつりと消息を絶っていた彼女が、これまでの芸能の集大成というべき踊りを完成して都へ戻ったのは、二年前のこと。慶長八年に北野社で傾奇踊りを観覧して以来十年余、すっかり阿国の虜となった後陽成院后・前子皇后は、誰に憚ることなく、この日の興業を手放しで歓んだ。
「春は、傾くと心が晴れる」
 そう上皇に催促し、以来、新年を迎えると御所内で密かに傾奇踊りを観覧するのが宮家の恒例であった。そして今年も、後陽成院の仙洞御所で阿国の傾奇踊りは派手派手しく披露された。
 幕府に内緒、で密かな趣向とでもいおうか。
 この御観覧に列した公卿の面々もまた、朝廷の最たる顔ぶれである。今年の正月五日に叙任された者たちが、ずらりと顔を揃えている。
 
  従一位 関 白   鷹司信尚
   同  左大臣   九条忠榮 (前関白)
  正二位 権大納言  三條公廣
   同  参位非参議 白川雅朝 (左衛門督)
  従二位 権大納言  三條西実條(武家伝奏)
   同  権大納言  中山慶親
   同  権大納言  中御門資胤
  正三位 非参議   五辻之仲  (右兵衛督・督如元)
  従三位 参 議   上冷泉為満 (白馬外弁)
   同  参 議   万里小路孝房(元日外弁・雜事催)
   同  参 議   中御門宣衡 (白馬外弁・雜事催)
   同  参 議   阿野実顕  (踏歌外弁・雜事催・御酒勅使)
 
 彼らの叙任は上皇の口添えによるもの。それを思えば幕府に配慮することなど、馬鹿馬鹿しいことだ。むしろ進んでこの御観覧に参加した。しかし、噂に聞こえた美貌の傾奇女を観たいという下心があることも、決して否定は出来ない。
 出雲の阿国は、たしか今年で齢四七。にも関わらず、その肌のきめ細やかさは、如何なことか。歳不相応の神々しささえ感じられた。これは魔物か、魔性か。
 人間五十年の時代である。
 病や戦さを免れても、並の人間は長く生きることなどない。稀なる者がいても、それは一握り、という世の中である。世の当然は、人は二十歳前に次の世代を産み、四十路に孫を抱くこと。
 が、果たしてこれは何ごとか。
 魔性と呼ばずして何だろう、時としてこのような女が世に出現することもあるものか。それとも類い希なる肉体の修練が、このような美貌を持続させているとでもいうのだろうか。とまれ禁裏の殿方たちはその艶姿に心を奪われ、女たちはただただ感嘆の溜息を洩すのである。
 阿国の踊りには添え役のように踊る女がいた。誰いうともなく、この女のことを人々は
「阿国の娘」
と囁いた。成程、確かにその踊りも舞台の流れも、若き日の阿国の初々しさが残っており往年の阿国を知る者にしてみれば
「若かりし日の込み上げる情欲」
さえ思い出させる。そんな妖艶さが漂い、初めて観た者でさえもその華麗にして華美な踊りに引き込まれていき、知らず知らずのうちに虜となった。いま観覧している何者も、ゆくゆくは
「この女子が」
 出雲の阿国の後継者になるのだろうと、そう確信していた。
 
  光明 遍照 十万世界
  念仏衆生摂取不捨
  なむあみだぶつ なむあみだ
 
 これは狂言と傾奇を合わせた阿国独自の踊りである。確客が感嘆の吐息を漏らすや否や、囃子はリズミカルに変化し、舞台の阿国も衣装が早変わりした。狂言回しを意識してたのか、心なしか地味目に映えた衣装は見る間に眩いものとなる。
 
  あただおくには柚の木に猫じゃのうと
  思い回せば気のくすり
  茶屋のおかかに七つの恋慕よのう
  一つ二つは痴話にも召されよのう
  残り五つはみな恋慕
 
 同類偽モノの傾奇踊りの追従を許さぬ阿国の凄味は、興業の何もかもが無駄なき計算に彩られているかのようだ。
 時折口に出る歌のいくつかは、古めかしく懐かしい阿国傾奇の歌である。ただ単に舞い歌うだけならば、たぶん新鮮さは微塵もなかっただろう。それを咀嚼し進行の流れで目新しく思わせる手法は、生唾モノである。南蛮渡りのソンブレロという帽子、乳房さえチラリと見える薄手の小袖、そして黄金造りの大太刀や虎や豹の毛皮をふんだんに用いた、およそ日ノ本の常識にはない身形。それが派手であるほど、舞台のうえでは堂々とするほどに涼やかで見映えがいい。阿国や伴踊りする女たちが締めている男物の褌でさえ、時折弛んでは隙間から黒き茂みが白地に映える。
 派手で過激で淫奔な世界。
 その派手な出立ちとリズミカルな踊り、ふと我を失っていることに戸惑いさえ覚える観客の心。これらがすべて一体化されるに至っては、まさに傾奇の真骨頂ここに極まれり。観る者すべての心は、まるで薪能のような無の境地にさえあった。

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