メジナのはなしは、染みるでぎょざいます
メジナは海の中で仲良く群れて泳いでいますが
せまい水槽に一緒に入れたら、
1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。
助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。
いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、
小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。
同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
この、さかなクンの話を聞いて、すぐに感じたり気付いたり考えたりした自治体や教育委員会はどれだけあっただろう。
枠が閉鎖社会とカーストもどきを生むのなら、学校は何のためにあるのだろうか。昭和の頭で考えても、絶対に令和に相応の答えが導き出せないよね。
その枠からはみ出す生き方は誰にもある。
ワシもそういう意味では、アウトサイダーでした。途中退社したのも、自覚の上です。平成の想い出ですね。
さかなクンの言葉は、人間がどんなに粋がってもメジナと大して変わらないという達観を得られる。得られた達観が生かされない社会は、水槽と同じだね。