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ギフテッド児が、不登校になった時に思っていたこと

こんにちは〜。今日は電車でちょっと遠くに買い物に行く、JKです!
今日はnoteをいくつか投稿したいです!!
このnoteは若干、いやかなり話が重くなると思うので、そういうのが苦手な人は、
今回のnoteはパスして、他にも色々投稿しているので、
そっちをチェックしてみてください!
一応、今日他に投稿しようと思っているやつは、
私的には若干感動できるので、そっちをみてもらうのでも全然OKです!


ということで、今回は、ギフテッド児が不登校になった時に思っていたこと。
最初のnoteに理由をさりげなーく書いているのですが、
私は先生からの悪口を聞いて完全に不登校になりました。
元々、中学校1年生の夏休みごろから体調を崩すようになっていました。
中学校になると、周りを見て行動する癖がつきすぎていて、
かなり無理をしてやりたくないことを引き受けることが増えていたので、
それが原因かなーと思っています。
そこから、中学校は夏休み明けはほとんど学校に行くことができませんでした。
学校には投稿していたのですが、保健室の先生が発熱があるからとの理由で
登校させてくれず。まあ、コロナ禍だったのもあるので仕方ないとも思うのですが、
学校に診断書を出したり、担当医の先生が実際に学校とご多忙の中でも
オンラインで会議を開いてくださったり、かなり手を尽くしていただき、
私たちも自分なりにできることは頑張っていたのですが、
やっぱり学校は変わってくれませんでした。
そうなれば私が変わるしかないじゃん!
って思って、気がつくと、中学校2年生に進級していました。
中学校2年生では、担任の先生がまさかの新任の先生で、
全ての交渉、やり取りの履歴が削除。また一からの振り出しに戻りました。
そこで、私は、学校側に、別室登校を求めていました。
なぜかというと、私の友達も不登校だったんですけど、
その子の場合、
診断書なし
体調不良
勉強について行くのが難しい
という理由で、別室登校が認められていて、実際その子から
別室登校になると結構楽だという話をきいていて
当時感覚過敏もMAX、学校での疎外感も感じていた私は
別室登校の希望を先生に訴えましたが、
学校がそれを拒否。
毎日のように泣いていたのを覚えています。
その後、ゴールデンウィークの前日。
私は、家庭科の授業中に体調が悪くなり、カロナール、ナウゼリン等を
服用したとしても、体調が回復せず、担当医からの助言も全て試しましたが
一向に治まりませんでした。
そこで、保健室に行き、早退することになりました。
ここまでは私も、当時熱が40度あり、
もしかしたら普通の風邪なのかもなー
くらいで、机に突っ伏してました。
そしたら、私の学校は、早退するときに
担任、もしくは自分が所属している学年団のどなたかの先生に確認をしてから
保護者に連絡という流れなのですが、
職員室から、
保健室の先生
「また、早退されるみたいですけどいいですか?」
一年生の頃の担任(持ち上がり。2年生は別の担任)
「いいですよ。」
その会話が、職員室の換気のために窓、ドア全てが空いていたので聞こえました。
そして、その後、
一年の頃の担任
「ギフテッドってなんなんですかねw
 なんか去年色々されたんですけど
 いまいちピンときてないし、
 頭いいっていうけど、学校でほとんど受けてない強化の点数悪いし、
 頭悪くないw
 しかも毎日くるけどさ、正直めんどくさいんよねw
 なんか保健室の紙見ないといけないし
 もう来なくてもいいし、学校から消えてほしww」
今でも、こんなに鮮明に記憶しているくらい、
当時の私にはぐっさり心を抉られました。
頭が良くて、精神年齢が高かったとしても、
所詮は中学2年生。
そこから一週間くらいは母親とも争いが絶えませんでした。
なぜなら、こんなこと言えないから。
けれど、もうちょっと頑張ろうと思って、
一週間後の考査に向けて頑張っていたのに。
考査1日目。
私の学校は土曜日にも学校があり、
考査は体調が優れていないからという、
どうしてもギフテッドによる特性ではなく、体調不良で
別室受験が初めて叶いました。
しかし、当日の朝、
別室受験の生徒は職員室に教務主任の先生を呼ぶ必要があり
職員室に向かうと
学年主任の大きな声が聞こえました。
「もうあいつほんまに学校くるなよwwだるすぎwwwwww」
この言葉を聞いた瞬間、階段の真ん中で一気に足が動かなくなりました。
きっと5分くらいそのまま固まっていたと思います。
私の小学校からの親友がそこにきてくれて
ありのままのことを話しました。
そしたら、実は昨日もそのような話を私がいない放課後にしていたという
話を聞き、もう私はこの学校にいる意味は友達以外ないな。と思っていました。
しかし、ここで私はさらに社会の闇を知ることになるのです。
別室受験をする音楽室に、学年主任がきて、
私の学年がほとんどを占めていたので、
その人たちを一人一人回っていました。
なんでそんなに明るい声で話しかけれるんだろう。
もしかしたら他の別室に受けている子たちにも、
職員室とかで悪口を言っていたら本気で嫌やな。
みたいに思っていたら、私のところに来て。。
肩を、ゆっくり撫で始めたんです。
学年主任は、40超えの男性。
ここでそんなことをするのか。
まあ私が聞いているのは知らないしなーと思いつつ。
そして、肩を降りて、若干胸を触られた気がします。
今でもそれは私だけの秘密で、親にも、担当医にも、相談した友達にも
話をしていません。
匿名だからこそ、今ここでちょっと発散させてください。
そして、触りながら、満面の笑みで、
私の顔を覗き込みながら、
「頑張ろうな。できるやつって知ってるからさ。
また、学校も来てくれたら嬉しいし。」
その言葉が決定打となって、その日はテストを受けた後に、
ちょっとだけ自分の教室に寄りたかったのですが
すぐに帰りました。
次の週に担当医の診察があり、
診察前からこの話をしたくないけど
しないと死んでしまうかもしれないと思い、
涙が止まらなかったことを見て、
たまたま通りかかった担当医、
仲の良い看護師さん
その病院で働いている母の妹
急にそのようなことになったので動揺している母
そこで私は急いで診察室に通され、
号泣しながら、こんなことがあったと話しました。
そうすると、担当医の先生まで号泣して
守れなかったことを謝られました。
私は、そんなことよりも、とにかく親に言って欲しくなかったのですが、
担当医の先生がこれを話さないと
今後もっと学校に行きにくくなるし、
友達と一生会えなくなるかもしれない
と言われ、私は担当医の先生から
親に話してもらうことにしました。
そうすると、私が帰ってきてから、担当医も泣いていたので
事情を知らない看護師の方が
明るく、どこか担当医の様子を見て
焦った感じで、母親を呼びました。
事実を知らされ、診察室から出た瞬間、
母親は号泣し続ける私を抱きしめて
ひたすら謝られました。
そこで、私はまだ話しかできていなくて、
診察が終わっていなかったので、
診察している間、
母の妹が母から話を聞き、
鬼の形相で怒っていたと母から後で聞きました。
そこから私は毎日のように、辛いし、学校に行きたくない。
けど、友達と話もしたいし、勉強もしたい。
けどまた学校に行くと何か言われるかもしれない。
何か聞くかもしれない。
それが怖くて、毎日のように
悪夢にうなされました。
悪口を言った先生が私を刺し殺す夢です。
ずっと。ずっと。もうしんでるでしょ。って言うくらい刺してるのに
私には意識があって。
やめて。って何度も言うのに、
私に別室で話しかけてきたような時の笑顔を
悪口を言った両方の先生が浮かべながら。
ずっとずっと
私を刺し続けるんです。
怖くて、怖くて、助けを呼ぼうとしても
誰も来なくて。
本当に憂鬱でした。
親ともたくさん喧嘩しました。
それこそ大変だったし、親だって学校に行って欲しいけど
行って欲しくないみたいなジレンマを抱えていたからだと思います。
結果、私は中学校2年生の時に、最高の先生に会いました。
中学校3年生の担任です。
実は私が悪口を言われていた時期に、
ちょうど先生もメンタルを崩して、
私の学年団で担任もしていたけれど
喉の中にヘルペスができちゃって二週間くらい休職されてました。
その先生のことだけは信用できて
私が教室に入れなくて、教室から漏れる音だけで廊下で勉強している時も
机を持ってきてくれて、一緒に勉強したり、話をしたり、
先生は採点をしていたり、普通にお菓子食べてたり、スマホ触ってたり。
学年主任の先生には何回かバレてまじで怒られたんですけど、
あの時は本当に心の支えになってました。
そして、その頃、私が一回もテスト範囲の期間
授業に出ることができなかった教科で
学年2位を取ったことがありました。
ほとんどの先生からは、好奇の目、後は睨まれたりしました。
だって、学校に行かなくても成績がとれてしまうことを
立証してしまったからです。
けれど、唯一中3の頃の担任の先生だけは
私のことを褒めてくれて、
普段は自分しか食べてないお菓子をこっそりくれました。
その経験が忘れられなくて、
その先生に、話しました。
号泣しながら。
そしたらその先生は黙って話をきてくれて、
え、見返したくないん?
って言う予想外すぎる反応が。
え、って予想外の反応に驚いていると
俺やったら、来年からほとんど毎日学校に行って
そいつら見返すで。
って言われて、その先生はそれから毎日私が登校して教室じゃなくて
廊下で授業を受けていて、担当している授業がなかったら、
いっつも自分の教える教科以外も教えてくれて、
模試の成績も学校に行ってないのに、
学年で10位とかもとりました。
そしたら、その先生が3年生で担任で、
めちゃくちゃ嬉しくて、そこからはフラッシュバックした時も
いつもその先生が落ち着かせてくれたし、
放課後に私の前でだけ、机くっつけて
俺眠いから寝る。
誰か来るか、5時になったら起こせ。
って言ってきたり、
なんか頑張ってるってその先生が思った時には
ことあるごとにあの時くれたのと同じお菓子をくれたり。
単語帳くれたり。
その先生のおかげで、内部進学もできたし、
自身も取り戻せて、
まあ、大変なこともあったけど大好きな先生と出会えたし、良かったと思います!


ということで、めちゃくちゃ重くて、本来描きたかった内容が
辛すぎてほとんど記憶が抜けていたことにより
ちょっと書けなかったんですけど、
私はこんな感じで不登校だった時は過ごしてました!
需要があれば、仲のいい先生との二人だけの空間の話であったり、
めちゃくちゃしょうもない話で喧嘩したり。
誕プレくれた話とか
いろいろできたらなーと思います。

以上、友達との約束魔でギリギリになって、慌てて家を飛び出かけている
GIFTEDなJKでした!
次は、親に聞く!子供がgiftedで良かったこと。
どんなこと話かぜひ、予想してください!
コメント待ってます!

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