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古本屋になりたい:1 餅つき

日曜日の朝、目が覚めてあたたかい布団の中でスマートフォンを触っていると、外が賑やかになって来た。

 初めは押し殺した、数人で相談するようなひそひそ声。町内の清掃の日だったかな、と一瞬考えるが、そうだ餅つきの日だと思い出した。
 父が餅を食べないので、我が家では誰も餅を好んで食べない。砂糖醤油を絡める以外の食べ方をしたこともほとんどないくらいだ。

 餅はいらないな、と階下の集合ポストに入っていた餅つきのお知らせのプリントは見ただけで放置していた。お餅が欲しい方は点線以下を切り取って町内会長のポストまで、と書いてあった。感染対策のため、餅つきは役員数名で行います、つき上がったら町内放送でお知らせしますので、集会所までお越しください、その場で食べないで持ち帰り、必ず加熱して食べてください。

 少しずつ人数が増えているのか、時々笑い声が混じり、場のテンションが上がっていくようだ。低く鈍い音がドン、ドン、と響き始め、餅つきってあんな音だっただろうか、とあたたかい布団の中で考える。4階の高さでは、杵が餅に当たるペッタンコー、ペッタンコーの音は聞こえないのだ。それでも、脳内で、昨年末のM-1グランプリで活躍したヨネダ2000の2人が軽快に動き出す。

 ざわざわした空気が膨らんで、人数が増えているのが分かる。結構集まってるな、と思いながらまだ私は布団の中だ。子供の声も聞こえる。

 順番に回ってくる町内の役の中で、私は年度末まで防犯部というところに所属しているが、あまりすることがない。月に一度の会議は、ちょっとした報告や確認事項の後は毎回雑談になってしまい、次回の会議の日取りを決めたらそれで会議はおしまいだ。町内一周のパトロールをすることもあるが、お天気が悪い、などの理由でやらないこともしばしばだ。気楽な役でありがたい。

 昨年度までは共用部の蛍光灯の取り替えがいちばんの面倒な仕事だったそうだが、LEDに交換が完了して、この仕事は免除されることになった。今月の会議は、娘を迎えに行かなくてはならないという1人の声で、よっしゃさっさと終わらせよう、と10分で終了した。
 先月の会議で餅つきの話題になり、防犯部長さんが、ほんまにここらの人は餅つき好きやねえ、と言ったので、私は改めてそうなのかと思った。

 しばらく他県で暮らしていたのを、実家の近くのこの団地に引っ越して来たのがコロナ禍になってからだ。

 隣町に住んでいた小学生の頃も、子供会では餅つきをしていたけれど、餅に思い入れがないので印象に残っていない。それよりも、同時に開催されていた古本市の方が私には重要だった。古本市と言っても、おそらく町内の人が不要な本を持ち寄っただけだったのだろう。プラスチックの衣装ケースのようなものが何箱か、その中に子供向けの図鑑や物知り百科、星新一のような子供が読める大人の本、お父さんが電車の中で読むようなミステリーなど、出す方も買う方も気楽な品揃えだ。世界の七不思議と、ピラミッドの本を、一冊百円で買ったのを覚えている。お年玉をもらったばかりで、百円で本が買えるとはと、手持ちのお金と比べても格段に安い古本に大満足だった。古本を買ったのはその時が初めてだった。

 いつまでも寝ていると、片頭痛が出てはかなわない。日曜日に長寝する人に片頭痛の患者がいる、というようなことを、オリバー・サックスの本で読んだばかりなのだ。たしかに、だらりと過ごしてしまった後でたまに片頭痛が出る。

 布団から出て、半纏を羽織りながらカーテンの隙間から外を覗いてみると、集会所の広場にはたくさんの人がいた。高齢者が多いのはこの団地の特徴だが、子どもやそのお父さんお母さんもいる。家に持ち帰らないでその場で食べてしまっている人もいるけれど、まあ今日くらい良いじゃないか。ドラム缶で火を焚いているのも懐かしい光景だ。定期清掃以外で人がこんなに集まって賑やかなのを見るのは、初めてかもしれない。

 この辺の人は餅つきが好き。
 そんなにお餅が好きじゃなくても、参加すれば良かったな、と少し後悔した。

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