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古本屋になりたい:11 捕鳥部萬(ととりべのよろず)の墓

 私が住んでいるあたりは、古代、有真香と呼ばれていたところだ。
 ありまか、と読む。

 小学生の高学年になった頃、父の車でよく通る道に、有真香農道という新しい道が繋がった。
 聞き慣れない不思議な響きで、初めは当て字だろうかと思った。

 駅近くの大きなスーパーマーケットに入っていた、布恋人という手芸用品店を私は思い浮かべた。私はずっと、ぬのこいびと、と読んでいたのだが、フレンドと読むと知った時はびっくりした。

 外来語に漢字を当てはめた店名は、1980年代ころの流行りだったのかもしれない。
今でも、長くやっていそうな喫茶店の店名なんかで見かけることがある。来夢来人と書いてライムライト、みたいな。

 実家の近くには古墳があって、このあたりが古い土地らしいと言う認識はあった。
 捕鳥部萬(ととりべのよろず)という人の墓だということは知っていたが、何者かはよく分かっていなかった。
 古墳というくらいだから、仁徳天皇陵くらいの古さなのだろうと、漠然と考えていた。

 小学5年生の社会の授業で、郷土の歴史を習った時には、捕鳥部萬のことは出てこなかった。
 川の少ない土地で、水不足が深刻だったその昔、行基が大きなため池を作ったと言うのが、学校で習った一番の古事だった。

 高校の古文の授業で、田辺聖子のエッセイ「文車日記」が配られた。私は、タダで本がもらえるなんてラッキーと思ったが、当然授業料に含まれていたのだろう。

「文車日記」は、副題に“私の古典散歩”とある通り、日本の古典にまつわるエッセイである。
 額田王の恋の歌に始まり、百人一首や更級日記、軍記物、戯作など、ですます調の柔らかい文体で古典の世界を紹介している。
 一つ、聖書についての章があるが、これは文語体の聖書、とくに詩篇の美しさを書いたものだ。

 この本が授業でどのように使われたのか、よく覚えていない。あくまでも古典に親しむために、好きなように読みなさいと配られたのだったかもしれない。
 どの章も3ページほどにまとまっていて、何となく開いたページを読み始めても、あっという間に読み終えてしまう。授業中、つい便覧の関係のないページをめくってしまう癖があった私には、ちょうど良い慰みになった。

「大君のみ楯」という章がある。
 589年、崇峻天皇の頃、蘇我氏と物部氏の間で繰り広げられた、崇仏を巡る争いがあった。
 良く知られる通り、仏教という新しい信仰を受け入れ、力をつけて行ったのは蘇我氏だ。聖徳太子もこちらの側にいた。

 古来の信仰や文化を守ろうとした物部氏は戦に負けて、長であった物部守屋は殺された。
 勝てば官軍という。蘇我氏は勢いを増し、物部氏は逆賊とされた。
 物部守屋の従者であった捕鳥部の萬は、妻の故郷である和泉国・有真香に落ち延びた。

 蘇我氏の軍勢に追い詰められた萬は、孤軍奮闘するが、ついに力尽きて捉えられ首を刎ねられる。
 その首に愛犬が寄り添って離れなかったという。

 田辺聖子は、日本書紀の記述から、天皇の楯となって戦った自分を何ゆえ逆賊とするかと叫んだという萬の悲痛を、二・二六事件の青年将校たちに重ね合わせる。
 軍国少女だったという、いかにも田辺聖子らしいロマンチシズムである。

 黒岩重吾も、同じく物部守屋と蘇我馬子の対立を小説にしているが、かなり重要な登場人物である捕鳥部の萬(万)の、死に様に関してだけはあっさりとした記述で終わらせている。
 天皇のみ楯という表現はなく、守屋のために戦ったという印象を残して物語は終わる。

 私の実家の近くにあるのが、この捕鳥部萬の墓と義犬塚だ。
 日本書紀には、愛犬についての記述も萬の活躍と変わらないくらい長い。名前は残っていないが、白い犬だったようだ。

 有真香という地名は、天下、阿間河、阿理莫と言った字が当てられていたこともあるらしい。
 風土記の編纂のために、地名を美しい文字に変えよという命令が出されたと聞くので、その頃に有真香の字が選ばれたのかもしれないと想像している。

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