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未知との遭遇

私たちは「知っているつもり」になっていることが多いですが、実際は、わかっていないことが沢山あります。コロナについても、まだ何もわかっていませんね。次々と「変異種」があらわれて、研究と開発の余地が沢山あります。mRNAで流行がstopできたように思いがちですが、今後も異変種が出て混乱が継続するのではないかと思います。まだ「ワクチン対策」の糸口さえ見えないのですから・・・。

私は、人間が一番の「変異種」を繰り返してきた存在じゃないかと思います。それを「進化」とよんで、居座ってきたにすぎない。世界中の「ホモサピエンス」は、変異種の展覧会みたいなものじゃないかと思っています。

<チョット寄り道> 人間の祖先はどこから来たのか
わからないことの1つは「人類の先祖がどこから来たのか」ということです。今もって「神様が人間を造られた」ということを学校で教えているところがアメリカにあります。
反面、ジャワ原人・ホモデニソワ人・ネアンデルタール人など、世界各地の「ホモサピエンス」の根っこを「進化論」に基づいて研究する科学者も多いですね。およそ250万年前に現生人類に似た生物が誕生したといわれますから「アフリカ起源説」・「多地域進化説」はともあれ、ジャワ「原人」・北京「原人」らと「現生人類」とのつながりはどうなっているのでしょうか。

いずれにしても、ホモサピエンスという「種」が生まれ、それが気候・風土に適応しながら「変異」を繰り返していたのでしょう。

      誰が、どんな技術で「有史以前の城や都市」をつくったか

どうしてもわからないことがあります。有史以前に、誰が高度の城や都市の設計をしたか。どんな方法で建築したのか。技術が蓄積されていたのか等です。

むかし、エジプトで「日干し煉瓦」を製作しているところを見学しました。「焼きレンガ」の工場も見学しました。しかし、これを組み立て、城壁をつくり、そして例えば、モヘンジョダロのような「下水道完備の都市」をつくる技術を、「ホモサピエンス」はいつから、どのようにして獲得してきたのか。

打製や磨製石器の旧・中・新石器時代の技術では、大規模に計画された都市や機器をつくることができません。何千年・何万年もの歳月をかけて技術を開発させてきたのでしょう。「宇宙人説」が出るわけです。
世界中に散らばる遺跡・遺物から見ましたが、それぞれがバラバラで「技術の連携」が行われたとは思えません。「先史考古学」「古代学」という分野です。

 <チョット寄り道>  アナトリア高原の巨石遺跡調査
「1万2千年前のトルコ・アナトリア巨石遺構の調査」に千葉工業大学・東京大学の研究者チームが参加するという記事(2021・11・24・朝日)がありました。調査する遺構には「石柱に囲まれた神殿跡」とみられるものがあるそうです。「遺構になる前」に巨大な建築物が造られ、人々の日常生活があったはずです。

       トルコ・アナトリア高原
ずっとずっと遠くまで、平原が広がっています・・・。その向こう、見えないか・みえるかの境目に、城壁なようなものがみえます。2時間歩いても平原の半分もいかないだろう・・・・その中に、巨大な「ヒッタイト」の城があって、前3500年に繁栄した大王国があったのです。その繁栄ぶりを、彼らが残した「楔形文字」で知ることができます。

遺跡に吹く風の中に「鉄」で武装した軍隊のけたたましい轍の音が聴こえてくるようです。城壁の入り口に「ライオン門」があります。ライオン門を抜けて、小高い場所に立って周囲を見渡すと、あちらこちらに各国の発掘隊の姿があって、私たちが知らない世界を探しているようでした。

 <チョット寄り道> ヒッタイトの図書館
ヒッタイトの首都・ボアズキョイで図書館が発見(ボアズキョイ文書)されました。ビックリしたことに、ここに残っていた楔形文字の中に、ムワタリ王と、はるか遠方の「エジプト新王朝」のラムセス2世との間の「国際平和条約」が出てきたのです。

エジプト・ルクソールの神殿にヒエログリフで記載されている内容と一致するのです。これを「ガデッシュの戦い」(紀元前1286年)というのですが、お互いに、大遠征をして大規模に戦ったのです。私は、ガデッシュまで車を走らせましたが、荒涼とした地域に、約3000年前の面影はありませんでした。

    メソポタミアのジグラッドは誰が造ったか

むかし私は、ティグリス・ユーフラテス川の河口に立ったことがあります。湾岸戦争が始まってしまい、政治的混乱のために、ウルク・ウル・ラガシュなど「シュメールの遺跡」を確認することが出来ませんでした。残念です。

教科書では、メソポタミアのアッカド王国のことなどは、紀元前2300年ころのサルゴン1世を通して、一寸だけ学習するだけですね。しかし、ここには気が遠くなるような時間が流れ、人々の暮らしと歴史があったのです。  

ドイツ・ベルリンの博物館に行くと、復元されたメソポタミアの遺物をたくさん観ることができます。そのスケールの大きさに圧倒されますよ。むかし、メソポタミアの地域で、どんな人たちが、何を考えながら生活していたのでしょうか。

           世界中には、解明できないものが沢山ある

① 1929年の春に、中国:四川省:成都の近くに住む農民が溝を掘っていたときに「玉器」が出てきたのです。
調査してみると、遺物が続々と出てきたのです。
現在は「古蜀王国」といわれますが、四川省・山間地に長江の上流の、前3000年以前の「高度の青銅器文化」の遺跡だったのです。
「三星堆遺跡」です。
不思議な仮面と文物は、殷・周を中心とした黄河文明とは異なるものです。青銅器の文明の交流があったかどうかわかりません。この高度な文明をもった民族は、どこから来て、どこに消えてしまったのか、いまもって不明です。大量の遺物の裏に「生産力と高い文明」があったと考えるとイメージが膨らみますね。

<チョット寄り道>  中国の古代遺跡
中国では、黄河文明が主に紹介されてきましたが、これと異なる文明が長江(揚子江)の下流に発達していたのです。「河姆渡遺跡」です。ここで発達した「稲作が日本に入ってきた」と考えることができます。

    ②モヘンジョダロ・ハラッパ―の遺跡も解明できない
もの凄く暑かったです。真夏にモヘジョダロの遺跡に立ったからです。
インダス川流域に、紀元前2000~3000年くらいに高度に発達した都市国家があったというから、少々無理して行ってみたのです。実際はイメージしていたより、はるかに規模が大きくて圧倒されました。
有名な「沐浴場」くらいは知っていましたが、下水道の施設まで完備していたとは思いませんでした。インダス川にそって、大都市をつくる「技術」も「文化」も「人材」もあったのです。

   
     <チョット寄り道> アトランティス大陸
むかし、大好きだったマンガに「海のトリトン」(手塚治虫作)があります。これはアトランティス大陸に関係する話を発展させたものです。
直接、関係はありませんが、この大陸については、ギリシャの哲学者プラトンが『
ティマイオス』・『クリティアス』で触れていますね。その他、太平洋上の伝説の「ムー大陸」・「レムリア大陸」など実証できないけれど魅力的な大陸の話がありますね。有史以前に、ロマンを感じるからだと思います。

      ③謎が多い大ピラミッド
「せっかくだから・・・」と思って、ラクダの背中に揺られてギザのピラミッドまで行きました。クフ王のものは紀元前3000年前のものだといわれますからもの凄い王国だったのですね。「ビラミッドの謎」にはいろいろな説があって「定説」がないようです。
2017年。名古屋大学が中心の研究チームが、原子核乾板を用いた宇宙線(ミューオン)による透視技術でピラミッド内部を調査したという報道がありました。その結果、ピラミッドの中に「未知の空間」が発見されたというのです。

<チョット寄り道>  大エジプト博物館
JICAとエジプト政府が協力して「大エジプト博物館」が建設されています。ギザの三大ピラミッドの近くにできる歴史的な建造物です。「ツタンカーメンの遺物」があるカイロの博物館は古くて狭いので、文化財の保存・修復・人材育成の大きな拠点をつくっているのです。 

本来はすべて「写真」を挿入したいのですが、私には技術がありませんので
記事が中途半端になっているのが残念です。
今、試行中ですが、いい知恵はないのでしょうか?        

 

 

 

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