子育てエッセイ : サガンの悲しみよこんにちはを読んだ長女(主人公セシルの朝食は?)

長女が高校2年生の時だった。
僕はこの頃、仕事で朝7時前には出かけていたので
朝、娘たちと顔を合わせることはなかった。

ある日、奥さんから長女のことで相談された。
長女が朝食にオレンジを1個しか食べない。それも
階段に座って食べる、というのだ。
何を言ってもオレンジ1個しか食べない。それも、
階段でしか食べないというのだ。

僕は何処かで聞いた話しのように思っていたが思い出せなかった。だが仕事から家に帰る途中、もしかしたら、と思った。
家に帰ると長女は部活でまだ帰っていなかった。
奥さんに言って長女の部屋に入ると、長女のベッドの枕元の棚にある1冊の本を見て納得した。
フランソワーズ・サガンの、悲しみよこんにちは
だった。
悲しみよこんにちはの主人公セシルは朝オレンジ1個食べるだけ、それも階段に座って。
長女は、悲しみよこんにちはを読んで思ったことがあるんだと思った。
僕は奥さんに説明し、少しの間、好きにさせておくように言った。

それから1ヶ月もしない内に長女は普通に朝食を
食べるようになった。やはり、若いから、オレンジ1個の朝食ではお腹が空いてしまうらしかった。

僕も悲しみよこんにちはを高校生の時に読んだ。
サリンジャーのライ麦畑でつかまえてと、
F・スコット・フィッツジェラルドの
華麗なるギャツビーと
見延典子さんの、もう頬づえはつかない、と並び、
高校生の時に読んだ本のなかで影響を受けた本の
ひとつだ。

悲しみよこんにちは、はサガンが18歳の時に書いた処女作で、爆発的に売れ、サガンは18歳にして
富と名声を手に入れ、時代の寵児となった。

フランソワーズ・サガンは綺麗な人だと思う。
僕はカッコいい美人だと思う。
悲しみよこんにちはという小説はストーリー自体もいいと思うが、主人公の17歳のセシルから飛び出すセリフが魅力的だと思う。
今、悲しみよこんにちはの文庫本を開いて、これはと思うところを見ているが、セシルのセリフには、
ざっと見ただけでも、このようなものがある。

気に入られるということ以外
わたしは何を求めているのだろう?
わたしには、まだわからない

自分を守るために議論などしてはいけない

わたしは自分の行為によってのみ自分を裁くのだ

運命とは奇妙なものだ
その姿を現すときに、おのれにふさわしくない横顔
月並みな顔を好んで選ぶ。

幸福なときが正しくて不幸なときは間違っている

愛はこの世でいちばんやさしく
いきいきとして、
いちばん道理にかなったものだから、
代価なんて問題ではないから。

そう望んだのはわたし自身だったということを
わたしは忘れていた

セシルの言葉は、多感な高校生には刺激的に思えると思う。セシルに影響を受けるのは、僕はよく分かる。ライ麦畑でつかまえてや華麗なるギャツビーと
同じ位の僕は高校生の時に影響を受けた。

フランソワーズ・サガンの小説はタイトルを読んだだけでも読みたくなるものが多い
ブラームスはお好き
冷たい水の中の小さな太陽
愛は遠い明日
失われた横顔
夏に抱かれて 
赤いワインに涙が
ある微笑み
思わず手に取ってしまいそうな物ばかりだ。

無難な人生はつまらない、と言った
フランソワーズ・サガンの墓石には
フランソワーズ・サガン
安らかならず ここに眠る
と刻まれているという。

今度の週末は、珈琲を飲みながらサガンの小説を
読んでみようかな、と思う。



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