エッセイ : 12月の終わりの森のなか

今日、仕事が代休で休みだったのでデイパックを背負い森のなかに入った。
完全防寒で入ったので寒さには困らなかった。

森のなかに入ったのには理由がある。
先週の土曜日、僕の高校の時の1番の友人が、
くも膜下出血で倒れて病院へ搬送された。
そして、緊急手術となった。
幸い軽度のくも膜下出血だったため、手術も無事終わり、後遺症も殆どないとのことだった。
安堵した。

昨日は1人でいたかった。
奥さんは仕事で家のなかで1人だったが、
本当に1人になりたいと思い、森へ出かけた。
八ヶ岳のような高い山の山頂は
薄っすらと雪化粧をしていたが、
里山の森のなかには、まだ雪はなかった。
枯れ木を踏み分けて森のなかへ入って行った。

11時半頃、森のなかにある大きな平らな石の所まで来た。
僕はデイパックからシングルバーナーとアウトドア用の小さな鍋を出し、家から持って来た材料で
その石の上でチリコンカーンを作った。
くも膜下出血で倒れた友人の大好きな料理だ。
熱々のチリコンカーンを薄く切ったバゲットにのせ
パーコレーターで淹れた珈琲を飲みながら食べた。

僕は来年の2月が来ると62歳になる。
いろんな言葉が頭に浮かんだ

人生は長さの問題ではない 中身の問題だ
人の寿命は最初から決まっている
人はやらなくてはならないことが残っている内は
死なない

それが何かは分からないないが、
僕がまだこうして生きているのは
やらなくてはならないことが残っているから
と思うことにした。

誰が言ったか忘れたが
人は歳を取ると賢くなるのではなく、
用心深くなるのである。
という言葉を思い出した。
用心深くなれば長生きするかもしれない
でもそれは本来あるべき姿ではない

自分には分からない自分の寿命を受け入れることにした。
幸せなことも悲しいことも
結局は、そういう星の下に生まれた、ということなんだと思う。
そのことに、この歳になって初めて気がついた。
12月の終わりの森のなかは何処迄も静かだった。






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