エッセイ : 欧州で食べた朝ごはん 8 / パリジェンヌとクロワッサンとカフェオレの朝ごはん パリに感じた自由の風

1990年、出張でフランス支社のあるパリに行った。木曜金曜とお客様周りをし、月曜日にフランス支社でミーティングだったため、土日はパリの街をゆっくり歩いて見学することにした。
土曜日の夜は、フランス支社のマチスさんがディナーをご馳走してくれると言っていたので、夕方6時にはホテルに戻るつもりだった。

土曜日はセーヌ川の右岸を見学することにした。
1番北の凱旋門に行ったが、交通量が多くて凱旋門に渡れない。困っていると、若い男の人が来て、
凱旋門は地下通路を通って行く、あそこが地下通路の入口だと教えてくれた。
日本の地下鉄の入口みたいな所から地下通路に入り凱旋門を見学して戻って来た。

そのまま南に歩いて行くと、知らない間にシャンゼリゼ通りに入っていた。
僕はその日、朝7時にホテルのレストランでカフェオレとバゲットの朝ごはんを食べて出かけた。
ゆっくり歩いて周ろうと思い、歩いて凱旋門に行き
シャンゼリゼ通りを歩いていると9時になった。
シャンゼリゼ通りはお洒落なカフェやお店があり、
見ていて飽きなかったが、バゲットだけの朝ごはんだったので、お腹が空いて来た。
カフェではテラス席等でみんな朝ごはんを食べていた。せっかくパリに来たので、カフェで朝ごはんを食べようと思った。
1番小さなテーブルが4人席だったが、お店の人は座っていいと言った。但し、店が混んで来たら、他のお客様が同席するのを許可して欲しいと言ったので、わかりました、と答えた。

僕はカフェオレとクロワッサンとチーズを頼んだ。
フランスに限らず、欧州の珈琲は日本の珈琲よりも濃い。だが、その珈琲にミルクを入れ少し泡立ったカフェオレは美味しかった。
朝、ホテルでバゲットを食べたが、味は基本的に
日本の物と同じだが、日本の物よりも茶色くて、
噛めば噛むほど味が出て来る美味しいバゲットだった。クロワッサンも、日本の物よりもサクサクしていて美味しいと思った。

クロワッサンを食べていると、お客様がどんどん増えて来た。
「相席してもいいかしら?」
と英語で聞かれた。
僕が、はい、どうぞと答えると2人の若い女の人達が座った。
「ありがとう、何処から来たの?」
「日本から来ました。」
「日本から来たの? 私、坂本龍一、好きよ。」 
「私も、デビッドボウイよりもかっこいいわ。」
何と、フランスの女の人は、坂本龍一さんはデビッドボウイよりもカッコいいと思うのか、と思った。
日本人として嬉しくなって来た。
「パリジェンヌの方ですか?」
「彼女はそうよ。私は違うわ。 パリジェンヌっていうのは、パリに住んでる女の人じゃなくて、生まれも育ちもパリの女の人のことを言うのよ。私はワインで有名なボルドーの生まれなの、男の人の場合はパリジャンよ。」
もう1人の女の人(パリジェンヌ)が
「ルーヴルは見たの?」
「いいえ、まだです。」
「私はルーヴルよりもオルセーの方が好き。
オルセーにはミレーの落ち穂拾いも展示されているのよ。時間があったら見てね。」
「わかりました。行ってみます。」
パリジェンヌはニコッとしてくれた。

僕はカフェを出て歩き始めた。そしてチュイルリー公園のなかをゆっくりと歩いた。
パリジェンヌ、パリの女の人に対して奇麗とか素敵というイメージをみんな持っていると思う。
僕が最初に感じたイメージはカッコいい女の人だった。フランスに限らず欧州の人達は男女問わず、
余り派手な服装はしない。ましてやロゴの入った服など滅多に着ない。落ち着いた色合いの服を見事に着こなす。
カフェで会った2人の女の人は、カフェオレのカップの持ち方も、クロワッサンをつまむ仕草も洗練されていた。
そして絶えず趣味の良い香水の匂いを漂わせていた
髪をかき上げながら笑うとドキッとした。
落ち着いた服装から美しさが滲み出て来る感じだった。
少し離れたテーブルで煙草を吸っている女の人がいたが、この女の人もカッコ良かった。こんなに煙草が似合う女の人は見たことがないと思った。

僕はチュイルリー公園のなかでパリに吹く自由の風を感じていた。日本人のなかには、フランス人は気取った人達みたいに思っている人がいるが違う。
寧ろみんなフレンドリーだ。
そして、いろんな個性や文化を受け入れてくれる
懐の広さを持っている。
文化芸術の中心地になった秘密の1つは、この懐の広さの様な気がした。
花の都パリというが、パリに花は殆どない。パリの華やかさを表した言葉だと思うが、その代わり沢山の街路樹があり、歴史的建造物と調和して美しい街になっていた。
僕はパリという街が好きになった。

チュイルリー公園を抜けると巨大な城塞の様な建物が見えて来た。ルーヴル美術館だった。 
ルーヴルを見学するだけで半日は必要と聞いていたので外側から見るだけにした。
ルーヴルの建物は大きいなどというものではなかった。歩いても歩いても建物の隅から隅まで歩けなかった。そして、物凄い威圧感まで感じた。
漸く歩き切り、一息ついた。
右前方のセーヌ川のなかの島の様な所に、素晴らしい建物が見えた。ノートルダム大聖堂だった。
ノートルダム大聖堂に行く前に休憩することにした

セーヌ川から少し離れて街を歩いた。少し歩くと
パン屋さんがあった。時計を見ると12時近かった
お店のショーケースのなかにハムサンドがあった。僕はそのハムサンドに驚いた。日本のハムサンドはサンドイッチ用のパンに薄切りのハムが申し訳程度に2枚位入っているだけだ。ところが、フランスのハムサンドは違う。バゲットに縦に切れ目を入れ、
そこに数種類のハムが挟みきれないほどたっぷりと挟まれていた。バゲットよりもハムの量の方が多かった。これを食べようと思った。

店の前のテーブルと椅子を使っていいと言った。
お店の奥さんがハムサンドを食べやすくカットして持って来てくれた。隣のカフェからカフェオレも届いた。
僕はお店の奥さんに英語で、奥さんはパリジェンヌですか? と聞くと、奥さんは、ウイと言った後
英語で
「私はパリジェンヌだよ。私はこのセーヌ川の対岸にある家で生まれ育った。旦那と恋に落ちて結婚して、この旦那のパン屋を一緒にやっているよ。
もう30年以上も。また食べに来るんだよ、いいね。」
と言って微笑んだ。
微笑んだ奥さんの目尻に少し皺が出来た。でもその皺が優しさを醸し出して魅力的な微笑みだった。
この奥さんも素敵なパリジェンヌだった。 
ハムサンドはサンドイッチを食べていると言うより
肉を食べているという感じだった。濃いカフェオレによく合って美味しかった。

ノートルダム大聖堂を見学した。 
ノートルダムは直訳すると、我等の貴婦人だ。
ノートルダム大聖堂は聖母協会。聖母マリア様のための協会だ。フランスの人達は聖母マリア様のことを我等の貴婦人と呼んでいる。
何かいいなぁ〜こういうのって、と思った。

僕はその後バスに乗り、モンマルトルの丘に行った
そこからパリの街を一望した。
そこでもまた、パリの自由の風を感じた。

ホテルに戻りシャワーを浴び、少し部屋で休んだ後
ホテルのロビーに行った。
マチスさんは約束の時間の6時少し前に来た。
マチスさんの運転する車でディナーに向かった。
車の窓からパリの街を見ながら、明日の朝もう一度
カフェオレとクロワッサンの朝ごはんを食べて、
セーヌ川の左岸を見学しようと思った。
そして、あのパリジェンヌが勧めてくれたオルセー美術館に行って、ミレーの落ち穂拾いを見ようと思った。











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