『翠子さんの日常は何かおかしい』第6話 夏の定番
第6話 夏の定番
待望の土曜日が訪れた。窓外の雀は早朝からチュンチュンと大乱闘。ベッドから跳ね起きた時田翠子はカーテンを開け放つ。予想していたのか。怒鳴られる前に飛び去った。
睨みを利かせた翠子は速やかに冷蔵庫へと向かう。手慣れた様子で冷えたロング缶のビールを取り出した。開ける寸前で元に戻す。
「いきなりビールって」
苦笑いで座卓に置かれたリモコンを手に取った。ベッドに寝そべった状態でテレビを点ける。矢継ぎ早にチャンネルを変えて消した。
横目で壁際の円形のクローゼットを見やる。
「外出しようかな」
くるりと回ってベッドから下りた。小走りとなってクローゼットを開ける。ハンガーに掛けられた衣服を手で右から左に回した。
一周したが決められない。険しい表情で二周目を果たす。
「……服を買わないと」
無難な水色のブラウスに白いスリムパンツを合わせた。素足に編み細工のサンダルを履くと急いで出掛けていった。
電車を乗り継ぎ、若者でごった返す繁華街にやってきた。
翠子はスクランブル交差点を渡りながら、それとなく目をやる。
淡い色合いの服が目立つ。今年の流行りはチュニックなのか。愛らしい姿の数人とすれ違った。
異を唱えるように露出の激しい女王様もいた。同性であっても目のやり場に困る。翠子は控え目な視線にとどめた。
ざんばら髪の落ち武者は完全に無視した。半透明の姿で群衆を擦り抜けていった。
通りにはビルが建ち並ぶ。その一棟を翠子は見上げた。八階の全てのフロアーが服飾関係で占められている。テレビやネットの宣伝効果で若者には広く知れ渡っていた。
「常識だよね」
先日、スマートフォンで情報を得た翠子は堂々とビルの中に入っていく。
内部のフロアーを見た瞬間、挙動がおかしくなる。ディスプレイされた衣類の多さに目が定まらない。及び腰となってカタカタと震えた。
「ふぅ~」
怪しいストレッチの合間に環境に慣れた。翠子は少し澄ました顔で見て回る。幾つかのコーナーを巡ると表情に不満が表れた。
膨大な量のチュニックに翠子は息を吐いた。
「お客様、何をお望みでしょうか」
女性店員が笑顔で声を掛ける。
「今、チュニックが流行りなの?」
「おっしゃる通りです。新進気鋭の女優さんが私生活で着られていて、大変な人気商品となっています」
「さっきもこれと似たようなのを外で見掛けたんだけど」
「このブランドも人気が高く、昨日に再入荷されたばかりのものです。試着、なさいますか?」
「やめとく。もう少し見て回りたいから」
翠子は次の階に移動した。多くのアクセサリーに心を奪われた。しかし、可愛くない値札を見て全てに別れを告げた。
「高いし、どれも似たようなチュニックだし」
苛立ちで本音が漏れる。階を移る毎に険悪な顔付きになっていった。
最上階の八階に足を踏み入れた。フロアーを一瞥して、また? と溜息交じりに呟いた。
諦めを熱意に変えて片っ端から見ていく。ぎらつく目を方々に向けた。
次第に足が遅くなる。失意へと変わっていった。
隅に押しやられたようなコーナーを目にした。ディスプレイされたチュニックに息を呑む。
「え、これって……」
商品を手にした。正面と背面を見比べる。感心した顔となり、最後の値札で満面の笑顔となった。
衝動買いに近い。異なるデザインのチュニックを五着、迷いのない足取りでレジに持っていった。
若い女性の店員が明るい顔で商品を受け取る。
「お買い上げ、ありがとうございます。夏の定番ですね」
「やっぱり、チュニックだよね」
翠子は溌剌とした様子で返した。
買い込んだ一着を取り出し、早速、試着室で着替えた。着ていたブラウスは買い物袋の中に押し込んだ。
「デザインがいいよね」
満足した様子で翠子はビルを後にした。
行く先々で注目を浴びた。翠子は鼻先をツンと上に向ける。電車を乗り継いで地元の駅に降り立った。
真っ直ぐにマンションには向かわず、適当に近所を散策する。
「……なんだろう」
不安を口にした。出会う人々の目には棘があり、潜めた声は聞き取れなかった。
公園の側に差し掛かる。
「あ、翠子だ!」
おさげの女の子がスカートを翻し、公園から飛び出してきた。
「おもしろい話はないんだけど」
「どこかで肝試しがあるのかな」
「私は知らないけど、どうして?」
女の子は翠子の背後に回り込んだ。背中を手で摩って正面に戻ってきた。
「前もそうだけど、タイヤのスリップ痕がすごくリアル! 他にもあるんなら見たい!」
「デザインは違うけど、シリーズらしいよ」
「どれどれー」
女の子は買い物袋の中を覗き込む。
「これは前に血が飛び散って、背中を切られたものだね! こっちは破け目のデザイン! 一部が燃えたように見えるのは焼死体のアピールだね!」
「斬新なデザインだよね? 皆が同じチュニックを着てたら目立たないし、悪くないよね?」
「これって肝試し用だから普通に着る服じゃないよ。いつもは安っぽいシャツなんだけど、今年はチュニックが流行ってるからね」
女の子は腕組みをして頷いた。
「だから、夏の定番なのか……」
「夏の定番は肝試しだよね! もしかして普通に着ようと思った?」
「……その、少しは」
「翠子らしいね!」
女の子は翠子の尻を平手で叩いた。
「ジュースをおごってあげるから元気出して!」
「は、はは、そりゃどうも」
翠子は女の子に手を引かれ、どこか虚ろな顔で付いていった。
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