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『翠子さんの日常は何かおかしい』第25話 疑念

 ワンルームマンションに戻ると翠子は穏やかな顔で緑茶を淹れる。買い置きの袋を破って木目の美しい器に盛り付けて御茶請けとした。
「お待たせ~」
 座卓の中央に器を置いて即座に回り込む。赤子の手前に湯呑を差し出し、急いで対面の位置に戻って座る。
 半透明の竜司が渋い顔で横目を向けた。
「姉御、俺を通過しないでくださいよ」
「なんでよ。便利なのに」
「死んだ身ですが……人としての配慮というか、そういうのがあってもいいじゃないですか。あと、なんかゾクゾクするんで」
 竜司は自身の身体を摩る。翠子は眉根を寄せて、なんでよ、と不満を零した。
 赤子は無表情で湯呑を手に取った。高台に手を当ててコクリと飲み、速やかに元に戻して正面の翠子に目を移す。
「湯加減を間違えて渋いのです」
「そこは美味しいです、って言ってくれないとお姉ちゃんの面目丸潰れだよ」
「茶菓子に裂きイカがおかしいです」
「言葉は似ているけど、意味が違うよね」
 赤子は涼しげな顔で聞き流す。やや視線を下げると器に手を伸ばし、一本を口に含んだ。先端を咀嚼そしゃくして吸い込むように食べる。再び緑茶を飲んで居住まいを正した。
「姉様が不正規のハンターなのですか」
「それなんだけど、私は怪異を呼び寄せるみたいで、その、タチの悪い輩を懲らしめたことはあるよ。そうだよね」
 いきなり話を振られた竜司は面食らった。慌てて表情を素に戻して話を合わせる。
「そ、そうですね。ありました。賞金首に関係なく、確かにありました」
 赤子は竜司を見やる。品定めをするような目の動きとなった。
「姉様、このトサカ頭は何者ですか」
「これは亡霊ではあるけど、悪霊とは違って私の……なんだろう?」
「姉御、そりゃないですよ」
 苦笑した竜司は赤子の方に身体を向ける。自身に親指を向けて得意気に語った。
「生前の俺は百人規模の族の総長をしていた。亡くなったあとは百鬼夜行のチームにいたが一身上の都合で抜けた。姉御の力に一目惚れして今は舎弟として動いている」
「姉様、このトサカ頭の言う通りなのですか」
「力を魅力と捉えたら、間違ってはいないかな」
 翠子は笑顔で答える。チラリと見た竜司は安堵の息を吐いた。
 赤子は僅かに眉根を上げる。
「トサカ頭、赤銅色の意味について答えるのです。姉様の真の脅威について、ちゃんと語るのです」
「……それは、だな。人は怒ると顔色が変わるだろ? 理性が吹き飛ぶと容赦ないから脅威になるって訳だ」
「そう、まさにそれよ。今日のあんたは冴えてるじゃない」
 翠子は親指を立てた。竜司は自慢のリーゼントを手で撫で付けて、ですよね、と浮かれた声を出した。
 二人の遣り取りを見て赤子の目に冷気が宿る。
「姉様の力は肉体のない亡霊には効かないのです。トサカ頭が代わりに退治したことになるのです。疑わしいのです」
「おかっぱ頭、どういう意味だ。俺に実力が無いと言いたいのか」
「その通りなのです」
 赤子のきっぱりした物言いに竜司の顎が突き出る。怒りに任せて立ち上がり、一睨みして翠子に耳打ちした。
「まあ、やらないよりはマシかもね」
「少しは腕を上げているんで、ここは任せてください」
 竜司は袖を捲って程々に太い前腕を見せ付ける。翠子は苦笑に近い顔で適当に紙を丸めて座卓の上に立てた。
「おかっぱ頭、よく見ていろよ。これが俺の実力だ」
 赤子の唇が微妙に震える。欠伸が出る前に掌を押し当てた。
「本当に眠いのかもしれないが!」
 怒気で語尾が撥ね上がる。竜司は拳を固めた。上体を前に倒し、右手を後方に引いた。床を擦るような低い位置から拳を斜め上に突き上げる。大振りのアッパーカットは座卓の端を突き抜けて紙に直撃した。僅かに浮き上がってコロコロと転がる。
「どうだ!」
 竜司は赤子を見た。瞼を閉じた状態で口に手を当てていた。
「どうしたのです?」
「おいおい、勘弁してくれよ。結構、疲れるんだぞ。姉御、申し訳ないのですが」
「再チャレンジね」
 先程と同じように紙を立てる。その間に竜司は気合を入れ直し、アッパーカットの姿勢を取った。
「おかっぱ頭、今度は欠伸するなよ」
「早くするのです」
 赤子は無表情で返す。怒りを力に変えて竜司は拳を突き上げる。
 立てた紙は当たる前に倒れた。そのせいで全力の一撃は空振りに終わった。
 翠子は苦笑いを浮かべて言った。
「赤ちゃん、息を吹き掛けたよね」
「トサカ頭の無様な踊りを急に見たくなったのです」
「ふざけるな、おかっぱ!」
 竜司の目が激しい感情で釣り上がる。翠子には結末が見えているのか。仲裁に入ることはなかった。
「赤子が本当の踊りを見せてあげるのです」
 すっと立ち上がる。半歩、横に動いて竜司と向き合う。
 赤子の全身がゆらりと揺れた。見えない風に翻弄されるかのように不規則に舞う。おちょぼ口から低い声が流れ出し、部屋に満ちてゆく。
 竜司の頭が右手に大きく傾く。膝に力が入らず、くしゃりと潰れるように倒れた。
「姉様、こんなトサカ頭が本当に役に立つのですか」
「相手に恵まれたら」
「赤子は納得していないのです。姉様が強敵と出会える強運を持っていることは疑っていないのです」
「でも、これ以上の説明は難しいんだけど」
 赤子はたもとに手を入れる。紅色のスマートフォンを取り出すと耳に当てた。
「赤子です。姉様の家にしばらく滞在する予定です……はい、失礼するのです」
「赤ちゃん、今の話は本当!?」
「本当なのです」
 瞬間、赤子は抱き締められた。顔に頬を押し付けられ、両脚が宙に浮く。そこに凄まじい遠心力が加わった。
「赤ちゃんと生活できるなんて夢みたい!」
「今の赤子は悪夢の中にいるのです」
「……笑え、ないっす……」
 床に突っ伏していた竜司が場に相応しい寝言で締めた。


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